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第19回国際歴史学会議の報告

文責:森本一夫


国際歴史学会議「歴史の中のムスリム社会:比較の視点からみる共存と紛争の諸相」
(Muslim Societies Over the Centuries: Symbiosis and Conflicts in ComparativeAspects, 19th International Congress of Historical Sciences)

 8月6日から13日までの8日間にわたり第19回国際歴史学会議が開催された。開催地のオスロ大学キャンパス(ノルウェー)は夏のさわやかな光に包まれ、昼下がりなどは日光浴をしながら語らう老若男女の姿がまぶしいほどであった。

<国際歴史学会議の概略>

 この会議を主催した国際歴史学委員会(The International Committee of Historical Sciences)は1926年にジュネーヴで設立されたもので、本部はローザンヌに、事務局はパリに置かれている。この委員会は3種類の下部団体から構成されており、それは国内委員会(National Committees)、提携国際機構(Affiliated International Organisations)、分会(Internal Comissions)である。これら3種の下部団体は国際委員会の運営においてそれぞれ異なった役割を果たすのであるが、5年に1回開かれる会議でのプログラム構成にもこの3本柱の構造が見てとれる。すなわち会議の諸セッションも、大テーマ・特殊テーマ・ラウンドテーブルの3カテゴリーからなるいわば核の部分と、様々な提携国際機構が開く諸セッション、分会が開く諸セッションに大きく分類されるのである。ここで提携国際機構、分会はそもそも組織自体が一定のテーマ設定に応じて作られているものでありセッションのテーマも自ずから定まっている。それに対し大テーマ・特殊テーマ・ラウンドテーブルのテーマは各国の国内委員会がそれぞれ国内から募り、国際委員会に提案し、承認されるという手続きで設定される。

<会議の中でのIASセッション>

 この度の会議でイスラーム地域研究がセッションを組織したのは、上の諸範疇でいえば核の部分のうちの特殊テーマであった(Specialised Themes 5)。実は、今回議長を務めたイスラーム地域研究の研究リーダー佐藤次高氏は前回の国際歴史学会議(1995年、モントリオール)でも「Islamic Urbanism in Human History: Political Power and Social Networks」を組織したが 、その際のセッションのカテゴリーはラウンドテーブルであった。したがってこの「昇進」は、単なる偶然でなければ前回の実績によるものであろう。ここに「イスラームの都市性」、「イスラーム地域研究」と続いてきた大型プロジェクトの意義の一端をみようとするのは少々贔屓目にすぎるだろうか。さる先生からは、イスラーム関係のセッションを非西欧の日本人が組織するということに国際歴史学委員会が期待をかけているのだという解説をいただいた。今回初めて参加した私でさえも、この会議のあまりに素朴な「西欧性」(参加者の顔ぶれ、諸セッションのテーマの両面からの、西欧中心主義的であると批判する気も起こらないほどのそれ)に面食らったほどだから、これはありそうなことに思われる。そこでこのさる先生の解説にしたがうならば、このセッションは「イスラーム地域研究」、日本国内委員会、そして国際歴史学委員会の期待を背負っていたということになる。

<セッションの概要>

 セッションは8月9日の午後2時から3時間にわたって開かれた。このような大会議の常とて大テーマを含む「裏番組」が7つもあり、参会者は35名程度であった。セッションでは佐藤氏の基調報告に続いて6名の研究発表、2名のコメントが行われる予定であったが、発表者のうちQ. A. Qasim、M. Friedrichの両氏が欠席され、実際にペーパーが読み上げられた研究発表は4つであった。以下、それぞれの報告を概観する(詳しくはIAS英文叢書の一冊として刊行予定のプロスィーディングズを参照)。会場の様子

佐藤次高(東京大学、IAS 研究リーダー):基調報告
 佐藤氏はムスリム・ズィンミー関係を扱った重要な諸研究に言及しながら、それらが一様に持つ、限られた事象に基づいて性急に「イスラーム」の寛容・不寛容を論じる本質論的傾向を批判した。これと対置されるべきこのセッションの方向性として氏が示唆したアプローチは、「歴史上のムスリム・マイノリティ関係は、個別のケースという次元で、そのような個々のケースの前提となった政治的、社会的、経済的諸条件に注目し、またそのようなケースを他の世界のケースと比較することによって説明されなければならない」 という一節に凝縮されていよう。
 続いて佐藤氏は自身の提案する上記のアプローチの一例として1318年にシリアのジャバラで起こったヌサイリー教徒の反乱という一事件の背景を検討した。ヌサイリー教徒を反乱に追い込んだマムルーク朝政権の諸政策が指摘された上で、そのような諸政策を生み出した背景として、十字軍という外的要因と、モンゴルの脅威という内的要因(ウンマ内という含意か)が指摘された。以上の議論を氏は、「共存の時代を研究する者はそのような共存を可能とした諸条件を検討せねばならない。紛争を研究する者は、そのような紛争を引き起こした政治的、社会的要因を考慮にいれるべきであり、そのような紛争をイスラームの特徴、あるいはイスラーム的社会システムといったものによって説明すべきではない」としめくくった。

Mushirul Hasan (Jamia Millia Univ., India):
 'Majorities' and 'Minorities' in Modern South Asian Islam: A Historian's Perspective.
 ハサン氏は、南アジアにおける「ムスリム」というアイデンティティの形成過程をその外的、内的要因の双方に留意しながら批判的に検討した。1881年センサスの時点ではムスリムである複数の集団が存在するのみであったところから、どのようにして全南アジア的な「ムスリム・マイノリティ」が創出されたのか?氏はこの画一的なアイデンティティの形成に、植民地主義、インド・ナショナリズム、そしてムスリム・エリートが果たした役割、その際用いられた野蛮なムスリム支配時代といったステレオタイプを論じた。植民地統治のために創出された枠組みがヒンドゥ的な偏向をもったインド・ナショナリズムに引き継がれ強化されたとみる氏は、パキスタンやインドのアクチュアルな問題にも言及し、その解決策として、画一的なムスリム・アイデンティティを脱構築すべきであると主張した。

Knut Vikor (Bergen Univ., Norway):
 Sufism and Foreign Rule in Africa:Mediation and Mobilization.
 ヴィコル氏は植民地主義勢力の進出を受けた19世紀の北、北西アフリカにおいて様々なタリーカが見せた動きを論じた。法学派というような他のイスラーム的結合原理による集団が目立った政治的な活動を見せなかったのに対し、なぜタリーカには強力な反植民地主義的闘争を行うものがあったのか、というのが問いである。サヌーシー教団、ティジャーニー教団の諸派、ラフマーニー教団などの、ジハードから傀儡化にいたる様々な対応を採り上げた氏は、特定のタリーカの政治化はそのタリーカの教義によるのではなく、手段にかかわらず常に教勢を拡大しようと努めている教団が、ある特定の状況に置かれた際に起こることにすぎないとする。こうして教団の政治化はその理念によってではなく、その組織力、柔軟性、既存の社会体制との微妙な距離などによって説明されることになる。

小松久男(東京大学、IAS事務局長): 
The Andijan Uprising Reconsidered.
 小松氏は1898年にフェルガナのアンディジャンで起こった蜂起を取りあげた。この蜂起に関する従来の研究ではそのイスラーム性が軽視されてきたとする氏は、他の要素に目を配りながらも「イシャニズム」の重要な役割を指摘する報告を行った。蜂起の指導者ドゥクチ・イシャンのイシャンとしての経歴、蜂起の戦力となったキルギスの状況と彼らとドゥクチ・イシャンとの関係、蜂起直前に行われたテュルク的要素と殉教思想をを示す2つの儀礼、この蜂起がロシア当局とムスリムに与えた影響など、アンディジャン蜂起の重要な諸側面が確かな史料的裏付けをもって跡づけられた。この発表はスーフィー教団の反植民地主義闘争を扱った点で、上記のヴィコル氏の発表と共鳴しあうものであったと言える。

Felice Dassetto (University of Louvain):
 "Muslims in Western Europe: Socio-hisotorical Developments and Trends."
 ダセット氏の報告は、まさにアクチュアルな問題、現代西欧におけるムスリムの問題を扱うものであった。氏は西ヨーロッパに住むムスリムの類型を、移住の時期や出身国、個々人のイスラームとの関わり方などにおうじてわかりやすく解説した後、イスラーム的要素が生活の様々な場面で直接的にどれだけ目につくかという指標を用い、西ヨーロッパにおけるムスリムの存在様式の時期的変遷を論じた。ムスリムのヨーロッパへの定着を進行中の事象ととらえる氏は、その後、今後の展開として可能と考えるいくつかのシナリオをも呈示した。
 
 これらの報告の後、小休止をはさんで、Mariela Marin、Abd al-Karim Rafeqの両氏からコメントが寄せられた。マリン氏はセッションの分析枠組みに関して、「ムスリム社会」という枠組みと個別事例への志向の間に存在する矛盾を、自身の研究の経歴などにも触れながら指摘した。ラーフェク氏は各発表を的確にまとめ、従来の研究の本質主義的傾向、共存と紛争にかかわる諸事例の複雑さといった佐藤氏の指摘した点などを確認した上で、自身の出身地であるシリアの事例を取りあげ、そこで多数派ムスリムと宗教的マイノリティの間に継続的に成立していた共存関係を紹介した。
 
 30分ほど残った討論時間では、議長の佐藤氏の判断により、まず従来の研究者達のムスリム社会観、つぎにヴィコル、小松両報告にともに登場したタリーカの問題、という2つに論点をしぼった議論が行われた。最初の論点に関しては(あるいは関係しないか?いずれにしても手が挙がり、議論は始まった)、おそらくインド人と思われる2人の人物がハサン氏の持論に反論し、議論に花が咲いた。第2の論点に関しては、フロアから発表者達になぜ政治運動化する事例にタリーカが多くウラマーは少ないのかという問いが発せられ、それに対してはウラマーとスーフィーを峻別することの誤りやカリスマの制度化の度合いの違いが説明に有用であることなどが示唆されていた。

 

<所感>

 セッションはスムーズに進行し無事に終わった。したがって、企画・準備段階から設定されてきた目標は達成されたにちがいない。その意味で、このセッションは成功したと言えるだろう。しかし、せっかく報告を書く機会を与えられたのだから、何か批判もせねばなるまい。そこであえて述べるならば、私にはもう少し欲を持っても良かったのではないかと思われてならない。上でその解説を紹介したさる先生は、せっかくイスラームのテーマでやるのだから、西欧流の言説で語る学者ではなく、ムスリムの語りを語る学者を連れてきて論争性をますべきであった、そうすれば他のセッションでも存在感を示していたユダヤ系の論客も集まり、何かありそうだと期待した観衆も集まっただろうとの感想をもらされた(確かに他セッションの人出の具合を見ていると、スターがいるか、論争が起こりそうか、というセッションにはどっと観衆が集まる傾向があったようだから、そうすれば人は集まったかもしれない)。私はこの方向性にはかならずしも賛成ではないが、しかし、そのような選択肢も含めて、まず聴衆を集める「しかけ」が設けられていても良かったのではないかとは思う。
 セッションの内容についても、やはりもう少し欲を出せばよかったのではないかと思った。佐藤氏の、個別事例から丹念に積み上げて行く必要があるという提言はセッションの最初に読まれる基調報告としてはもっともであったが、個別の報告が全て終了した後、せめてささやかな見通しとしてであっても、それらの個別報告を何らかの形でまとめようとする試みがなされなかったのは残念であった。私としては、個々の事例を見る必要がある、「イスラーム」、「イスラーム的システム」で説明しようとするのは控えなければならないという佐藤氏の提言はもっともなものだと思う。それがセッションの参加者に充分に共有されていたことも、個別事例に関しその固有の諸条件を見ようとする各ペーパーの内容から明らかであった。しかし、もう一歩、次の一般化の方向性を提言することはできなかっただろうか?もう「イスラーム」という枠は取り払って、イスラーム世界の事象も、たまたまそれがイスラーム世界の中で起こっただけの一事例として、例えば中国の事例と比較するような、そういう脱イスラーム的方向が志向されているのか、あるいは再びより確実な作業を経て最終的にはイスラーム的な何かを得ようとしているのか?コメンテーターのマリン氏も「個別の事例に分解して考えて行こうとするのに我々はなぜ「イスラーム」を対象としているのだろう」という主旨のことを述べていたわけだから、このことを議論してもよかったのではなかろうか。そのような議論は、素朴に西欧的な国際歴史学会議に対してもひとつのメッセージとなりえたであろう。いくつかのセッションでは個別のイスラーム研究者を報告者として迎えることが行われていた。今後国際歴史学会議が真の国際化すなわち世界化を図るに際しては、そのような特定のテーマのもとでの地域・文明圏の包摂というやりかたと、今回のセッションのような特定の地域・文明圏に関するテーマの設定といういきかたの、大きく2つのアプローチが可能であろう。そのような中で、上記のような議論を行うことは、容易に結論はでないにしても、両アプローチに関係する長所や短所を明らかにすることなどで重要な貢献となりえたと思われる。
 
 本セッションの開催はイスラーム地域研究の重要な一事業であった。そして、国際歴史学会議という大きな舞台での唯一のイスラーム関係のセッションを当プロジェクトが企画・運営したということには大変意義があったと言える。ただし、無責任な一参加者としては上記のような感想を持った。願わくはプロスィーディングズの刊行に際しては、一歩踏み込んだ方向性を示してもらいたい。

 (文責:森本一夫)

会議の様子などはこちらの写真をご覧ください。

第19回国際歴史学会議(oslo)公式サイトはこちらです。

 

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