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イスラーム地域研究の発進

三浦 徹

『歴史学研究』第702号(1997年10月発行)より転載


 1997年4月から、文部省科学研究費による「現代イスラーム世界の動態的研究:イスラーム世界理解のための情報システムの構築と情報の蓄積」(研究代表者佐藤次高[東京大学])がスタートした。これは、新プログラム(創成的基礎研究)とよばれる方式による研究プロジェクトであり、2002年3月までの5年間にわたって行われる。

 新プログラム方式とは、1989(平成元)年の学術審議会の建議にもとづき、翌90年度から新たに設けられた「学術の新しい展開のためのプログラムとして推進される学術研究」である。革新的または学際的な学問領域の創造、共通基盤科学技術の開拓、国際共同研究の推進などを目指し、長期間にわたり(最大5年間)重点的な研究助成が行われる。(注1)

 東京大学大学院人文社会系研究科を中心として、6つの研究班、13の研究グループに分かれて、80名の研究分担者が参加し、年間予算も1億円という大規模なプロジェクトである。運営のための事務局が東京大学本郷キャンパスに新設された文学部アネックス棟に置かれ、インターネット上にホームページを開設し、7月には全体集会を開催し、研究が本格的に始動した。その趣旨、研究組織、研究計画については、ホームページおよび『ニューズレター』第1号に述べられている。

 本研究は、イスラーム世界を対象とした人文・社会・自然の領域にわたる総合的地域研究であり、略称として「イスラーム地域研究 Islamic Area Studies」という新語が用いられている。このような点で、1988年から3年間にわたって実施された重点領域研究「比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究」(領域代表者板垣雄三、略称「イスラームの都市性」)の再来と感じる読者も多いことだろう。なぜ、イスラーム研究にこのような学際的研究がついてまわるのか、疑問もあるだろう。本稿では、新プロジェクトの概要を紹介し、「イスラームの都市性」とのつながりを検証しながら、歴史研究と地域研究の関わりを考えることにしたい(筆者は、本プロジェクトの広報担当者として本稿の執筆依頼を受けたが、地域研究の手法に関わる部分は個人的な提言であることをお断りしておく)。

1.プロジェクトの概要

 研究の目的として、・イスラーム地域研究の新しい手法の開発・情報システムの開発・若手研究者の育成の三つが掲げられ、以下の研究班が設けられている。

  • 総括班(代表者:佐藤次高)
  • 研究班1 「イスラームの思想と政治」(研究拠点:東京大学大学院人文社会系研究科、代表者:竹下政孝)
    • aグループ「現代イスラーム思想」(代表者:小杉泰)
    • bグループ「国際関係の中のイスラーム」(代表者:五十嵐武士)
    • cグループ「イスラームの法と国家」(代表者:鈴木董)
  • 研究班2 「イスラームの社会と経済」(研究拠点:上智大学アジア文化研究所、代表者:村井吉敬)
    • aグループ「社会開発とイスラーム」(代表者:水島司)
    • bグループ「現代イスラーム世界と経済」(代表者:木村喜博)
    • cグループ「イスラーム研究の動向」(代表者:私市正年)
  • 研究班3 「イスラームと民族・地域性」(研究拠点:国立民族学博物館・地域研究企画交流センター、代表者:松原正毅)
    • aグループ「国民国家とムスリム・アイデンティティ」(代表者:加藤博)
    • bグループ「現代のムスリムと文化摩擦」(代表者:山内昌之)
    • cグループ「現代イスラーム資料の収集」(代表者:臼杵陽)
  • 研究班4 「地理情報システムによるイスラーム地域研究」(研究拠点:東京大学大学院工学系研究科、代表者:岡部篤行)
  • 研究班5 「イスラームの歴史と文化」(研究拠点:東京大学東洋文化研究所、代表者:後藤明)
    • aグループ「生活の中のイスラーム」(代表者:片倉素子)
    • bグループ「歴史の中のイスラーム」(代表者:湯川武)
  • 研究班6 「イスラーム関係史料の収集」(研究拠点:財団法人東洋文庫、代表者:北村甫)

 今回の研究プロジェクトの特徴は次の三点にあるといってよい。

 第一は、「イスラーム地域」を対象とした学際的な総合研究であること。ここでいうイスラーム地域とは、イスラーム教徒がマジョリティを占めている国家や地域(中東、中央アジア、南アジアや東南アジアの一部など)だけではなく、マイノリティとして、あるいは移民労働者としてのムスリムの存在が関わる地域(たとえば、バルカンや中国、あるいはヨーロッパや米国など)を含めている。また、研究領域についても、社会科学、人文科学の諸分野から自然科学にもおよび、これらの総合をめざしている。

 第二は、コンピュータおよび電子メディア(コンピュータ・ネットワーク)の積極的活用を図ることである。研究班4は、東京大学工学系研究科都市工学専攻に研究拠点がおかれ、地理情報システム(GIS)を用いて収集されるフィジカルな情報を、社会・文化のコンテクストと結びつけて解析することを企図している。また、研究会の連絡やその報告は、電子メールやホームページを用いて行うことを原則とし、インターネットを用いた、国内・国外の研究者・研究機関のネットワーク造りをめざしている。アラビア文字を含む文字資料、画像資料、あるいは書誌情報などのデータベース化や電子メディアによる検索システムの構築などにも挑戦する。

 第三は、国外の研究者や研究機関と連携した国際共同研究であることである。プロジェクトでは、3回の国際会議(2000年にはオスロでの国際歴史学会議でのセッションを予定)を開催するとともに、毎年、研究者の派遣・招聘を行い、常時、インターネットを用いて、英語などの外国語により研究成果を発信していく予定である。

 地域の総合的研究、コンピュータ利用、国際化という3つの課題は、現在の日本の学問研究全体が直面している課題ともいえる。その意味では、これらを課題として掲げること自体には新たな意味はなく、問題は、これをいかに実現するのかであろう。実際、近年の重点領域研究では、「総合的地域研究の手法確立」(平成6年度より、研究代表者坪内良博[京都大学]、東南アジアを中心とする)「スラブ・ユーラシアの変動」(平成7年度より、研究代表者皆川修吾[北海道大学])「現代中国の構造変動」(平成8年度より、研究代表者毛利和子[横浜市立大学])のように、特定の地域を総合的に研究するプロジェクトが並行して進められている。その点で、イスラーム地域研究という領域がもつ独自な意味が問われることになる。

2.イスラームの都市性」とのつながり

 「イスラームの都市性」では、23の研究班(うち公募研究班7)に分かれ、「都市性」という概念をキーワードに、3年間にわたり日本各地で、202回におよぶ研究会(セミナー、公開講演を含む)、3回の全体集会、2度の国際会議が開催された。その特徴の第一は、「イスラームの都市性」という標題を掲げながらも、「比較の手法」を名乗ることによって、地域的には非イスラーム世界を含め、人文・社会・自然科学の領域にまたがる総合的研究を組織したこと。第二に、公開性を重んじたこと。研究組織の面では、研究代表者を国内の諸機関に分散させ、また研究分担者の任務は、研究会を企画することにあるとされ、分担者以外の報告者、協力者を広く募った。研究会の成果は、直ちにニューズレター『マディーニーヤ』(計41号)に概要が報告されるとともに、研究報告集と研究会報告集(計168冊、内英文18冊)が作成され、分担者・協力者・研究機関へと頒布された(海外を含む)。このような迅速な広報活動を支えたのが、当時普及しつつあったパソコンやワープロであった。予算の多くは、意識的に、パソコン設備、研究会の旅費、事務補助員の謝金に用いられ、人文系の科研費の常套である図書費に用いることは抑制された。

 3年間の活動は、上記の各種の数字が示すがごとく、きわめて活発であったといえる。その反面、「自転車操業」とも「お祭り(学的饗宴)」との批評や、大学院学生などからは「事務労働」にかり出され、貴重な研究時間を失ったとの不満も聞かれた。それは、意識的にストックよりもフローに重点をおいた運営の結果ともいえる。中東・イスラーム研究者とヨーロッパ、日本、中国などの研究者が顔なじみとなり、相互の交流が深まったことは間違いがない。ヨーロッパ史の森本芳樹氏や日本史の吉田伸之氏が、「イスラームの都市性」プロジェクトを都市研究への新たな視角を提示するものとしてエールを送ったことにもよく示されている。2)このような相互交流は、古今東西の都市現象に関わる総合的事典である『事典イスラームの都市性』(板垣雄三・後藤明編,亜紀書房,1992)や多彩な都市研究の視角を提示する『イスラームの都市性』(板垣・後藤編,学振新書)にも結実している。

 またこの間に、中東・イスラーム研究者の間では、地域を中心としたまとまりが強まった。この領域の学会としては、もっとも後発である日本中東学会(会長佐藤次高)が、設立12年にして会員数500を越え、年次大会の参加者も200人に達し、5ー6の部会に分かれてセッションがもたれるほどとなった。日本オリエント学会(古代オリエントを含む)や日本イスラム協会(中東に限定せずイスラーム世界を対象とする)とあわせ、3つの学会が地域学会として活動し、これに比して、史学会や歴史学研究会などの大会に参加する中東研究者はむしろ減少しているきらいがある。

 今回の「イスラーム地域研究」では、「イスラームの都市性」のもっていた「機動性」や「公開性」を踏襲しながらも、より統合性の強い組織的な研究を目標としている。それは、新プログラムという方式の要請でもある。

 具体的には、以下のような相違点をあげることができる。

・6つの研究班(研究拠点)を設け、そのもとに研究グループを編成し、組織的に研究計画を立案・推進する。(「イスラームの都市性」では、各研究班は並列関係にあり、また公募研究班の参加が可能であった)

・資料収集グループを設け、前近代資料については東洋文庫に(研究班6が担当)、近現代資料は地域研究企画交流センターに(研究班3cが担当)集中的に収集し、これらを将来の基礎資料センターとすることをめざす。

・各年度の海外派遣・招請を計画的に行い、国際研究集会を組織し、国際的な研究のネットワークをつくる。

・研究成果の柱として、「イスラーム地域研究叢書」(単行書のシリーズ、外国語を含む)やデータベースを作成し、長期間の利用にたえる成果を蓄積し、「実証的な知の体系」を築く。

3.総合的な地域研究

(1)研究の対象

 イスラーム地域研究では、ムスリムあるいは文明としてのイスラームが関わる地域をすべて対象とする。現在、ムスリムの世界大での拡散や政治的影響力を考えれば、地球上のすべての地域が対象となりうる。

 正式な研究課題名は「現代イスラーム世界の動態的研究」であるが、略称「イスラーム地域研究」との微妙なずれを感じさせる。佐藤研究代表は、「地域研究が現代世界の理解をめざすことは当然ですが、従来の地域研究よりさらに自由なディシプリン研究がよりよい総合を生み出すのではないか、一枚の古文書の解読も、どこかで地域や文明の理解に深く関わっているという意識が大切ではないか」と述べ(『ニューズレター』第1号)、現代に対象を限定せずに、むしろ歴史研究を重視する姿勢を打ち出している。この点からすれば、時間軸の上でも対象は無限ということになる。

 また、地域研究を標榜するのであるから、自然環境を含め人間社会のすべての領域を対象とすることになる。とすれば、個々の地域、テーマ、領域の研究をいかに組み合わせ研究していくのかという、越境と総合の方法が問われることになるだろう。佐藤代表自身は中世アラブ史の専攻であり、とくに,歴史研究と地域研究の結びつきに、あらたな展開が期待される。

(2)研究の方法

 「イスラームの都市性」においては、「都市性」という概念がキーワードとなった。都市性というふくらみのある言葉を用いることによって、研究対象を、狭義の都市に限定せず、また物質文明のみならず、精神文明をも含め、その結果、地域的にも時間的にも多様な比較が可能となった。この用語の発案者である板垣雄三氏は、プロジェクトの終了後、「都市性は、定義を前提にしないで定立しうる基礎概念であり、そこに豊かな意味を吸引するような発見の道具として用いるべきである」と述べている。(注3)

 これに対し「イスラーム地域研究」では、「イスラーム地域」を対象とした「学際的interdisciplinary研究」という大枠は提示されているものの、どのような形で、地域やディシプリンの総合をめざすのかという点については議論がはじめられたばかりである。

 地域研究には、さまざまなタイプがあり、東南アジアをフィールドとする立本成文氏は、地域研究のタイプを、専門分野研究との関係において、次のように整理する。(注4)

 a−外国を対象とする個々の専門分野(ディシプリン)研究

 b−国家を単位とし、具体的な課題に沿って進められる戦略的地域研究

 c−地域の固有性を明らかにすることをめざす超領域的transdisciplinary研究

 aは、いわば外国研究であり、あらためて地域研究という必要はなく、bは、現在の国民国家の枠組みを基礎にする点で、今回のねらいとは逆方向といってもよいだろう。cは、地域が固有性をもつという前提にたって出発するものであり、その点では、現在に視野を限定する必要はなく、歴史・文化を重視し、総合的把握が重んじられる。また、学際的研究との相違は、前者が、専門分野ごとの研究を重んじるのに対し、地域研究では、地域の枠組みの中での分析と総合的把握を重んじる。その反面、地域の固有性(地域性)を追求するがゆえに、オリエンタリズム的な本質還元論(「イスラーム(地域)では・・である」という定言命題的な言説)に陥る危険をはらんでいる。

 このようなジレンマを脱するためには、地域の設定を固定的なものとしないことが必要である。

 これについては、板垣雄三が1973年に「n地域論」という問題提起を行っている。(注5)それは、従来の各国帝国主義vsそれの支配する従属的地域という相互に外在的な「地域」設定に対して、帝国主義的支配が貫かれる(内在化される)場を問題とし、これをn地域と呼んだ。したがって、英帝国主義と被植民地インド(あるいは日本帝国主義と朝鮮社会)とは、別個に存在する地域ではなく、帝国主義が貫かれる場としての英本国、インド、あるいはその双方がn地域として設定されるのである。第二には、n地域における対抗関係を、単に帝国主義vs民族運動として設定するのではなく、民族運動に対抗的なクサビとしてうちこまれる政治組織・イデオロギーとして民族主義を設定していることである。帝国主義、民族運動、民族主義という用語は近現代史上のものと考えれがちであるが、支配というものが、支配権力と民衆という二項対立では理解しえないものであるとすれば、これをさまざまな形で読み替えることが必要であろう。たとえば、中世イスラーム史における、外来の軍事権力(マムルークや遊牧軍人)、民衆運動、バランサーとしてのウラマー層、と置き換えることも可能であろう。すなわち、地域を同質的な場、静的な場ととらえるのではなく、「動態的」な場としてとらえる枠組みということができるだろう。第三に、n地域は、一小村落や一地点に(理論的には個人にも)収斂することも、逆に人類的・地球大的規模に拡大することも可能である。個人がさまざまな地域や集団にまたがって生きるものであるとすれば、問題群に応じて地域(場)の設定を組み替えることによって、個人を、X地域の内側のそしてY地域の外側の存在として両面から把握することが可能となる。アフガーニーやイブン・ハルドゥーンの思想も、彼らの遍歴経験と結びつけて解釈していく作業が必要であろう。

 板垣のn地域論を、時間軸上に敷衍することも可能だろう。歴史上の時の刻みが、地域と同様に、客観的・絶対的なものではないことは、ブローデルの三つの時間概念(長期波動、変動局面、事件)がよく示している。とすれば、絶対時間軸上のことなる時代を「同時代」として束ね、これを比較して論じるようなこともありうるだろう(中国宋代以降、イスラーム時代、ヨーロッパ近世を重ねる宮崎市定の近世論、都市化という現象から近代化は7世紀のイスラーム世界に始まりヨーロッパにいたるとみる板垣の近代化論、南欧古典古代、中国宋代以降、西欧近代を重ねる水林彪の比較国制史などにその例をみることができる)。

 ここで注意すべきことは、板垣のn地域という方法論が、イスラーム思想あるいはアラブの文化と結びつけて構想されていることである。ユダヤ教、キリスト教、イスラームの諸宗教集団の関係を、神からのn個の言語によるn人の預言者を通じた啓示によってn個の宗教コミュニティが生まれたとする説明がそれである。また、家族という集団について、本人の名に父祖の名を連ねるアラブの命名法を例にとりながら(ユダヤ教徒も同様である)、どの世代の先祖nを起点とするかによって、個人・家族・人類(アダムを祖とする家族)という伸縮自在な集団の設定が可能になると述べる。このような、個別的認識を積み重ねることを通じて統合の視点をさぐる思考法を、板垣は、イスラームの基本理念である「タウヒード」(一つにすること、神の唯一性)と結びつけ、タウヒードの「多元主義的普遍主義」思想とよぶ。(注6)

 同様のフレキシブルな集団形成は、師弟関係の鎖を軸としたスーフィー教団の結合原理や、上はカリフやスルタンからナーイブ(総督)や下僚に至るまで、パトロン・クライアント関係で結ばれた権力機構にもみることができるだろう。また、アラブやモンゴルといった「民族」概念も、歴史的状況のなかで、幾通りもの意味を帯び、その意味で相関的状況的概念である。板垣の仮説がもし的を射てい驍ニすれば、n地域論的な枠組みで世界をとらえることと、イスラーム世界の研究とは、車の両輪になりうるのである。

 ここで,イスラーム地域研究の筆者なりの定義を試みるとすれば、以下のようになる。

(1)研究対象となる地域(物理的空間)は、イスラームが関わる地域のすべてである(ここでのイスラームとは、宗教のみならず広義の文明としてのイスラームをさす)。

(2)研究の方法は、地域研究の手法をもちいる。ここでいう地域研究とは、みずからの設定した問題や収集・整理した資料を、空間的ひろがり(地域field)の中で、総合的に考察すること(佐藤代表の「一枚の古文書」のたとえを借りれば、これを地域のコンテクストのなかで解読する作業をいう)。

(3)(2)でいう地域は、問題群に応じて任意に設定することができる(住居形態による地域設定、聖者伝の分布による地域設定など)。そこでは、地域を動態として捉えるとともに、地域性(地域の固有性)を追究する。

(4)考察に際しては、イスラームという要素を多義的に用いる。これを、かならずしも分析のファクターに加える必要はないし、ファクターとして用いる場合でも、演繹的に用いることを排し、イスラーム的ファクターが存在しない場合でも同様の現象が起こりえないかを考える、あるいは、通常われわれがイスラームとして認識している要素を意識的に他の要素に置き換えてみるなどの作業が必要であろう。このような検証のために、非イスラーム地域(イスラームというファクターが存在しない)、あるいは存在しても強く機能しない地域との比較研究が有効である。

 板垣は、「世界に関する具体的な知識の組織的集積と総合により、たゆまず理論枠組(パラダイム)の反省的点検を進める営為が地域研究だとすれば、それこそがまさしく基礎学の名に値するもの」と述べる。また立本は「地域研究というのは、学問にいきづまった人が集まってきて、「地域」という枠組みのなかであらたな境地を求めようとする営為」であり、この意味で「研究のフロンティアであり、未完のプロジェクト」であると述べる。逆に、「地域の固有性が、ディシプリンとしての普遍性を主張して、他地域の固有性を覇権的に抹消するのは地域研究の本来の精神に反する」(立本)ことになる。(注7)イスラーム地域研究は、あらたなディシプリンとなることをめざすではなく、ディシプリンを検証し直す場であるべきかもしれない。

4.国際化

 「イスラームの都市性」プロジェクトにおける国際会議は、日本の中東研究における国際交流の画期となった。1989年の第一回国際会議(実行委員長佐藤次高)は、一週間にわたる大規模なものであり、中東、インド、東南アジア、中国など現地の研究者と欧米諸国の研究者とが一同に集い、セッションはもとより、昼食や大小の懇親会で入り乱れて歓談するさまは、国際会議の名にふさわしいものであった。公開性と速報性の原則は、会議においても貫かれ、会議期間中にプロシーディングス(4冊+補遺)が刊行され、参加者の注目を浴びた。翌90年には、ワークショップ方式で三日間にわたる国際会議が開催され、その後もプロジェクトと関連する形で、羽田正・三浦徹編『イスラム都市研究』(東京大学出版会、1991)の英語版や、1995年のモントリオール国際歴史学会議のラウンドテーブル「人類史におけるイスラームの都市性」の報告集が刊行されている。(注8)

 この間に、中村廣治郎、佐藤次高、永田雄三、山内昌之、羽田正、新井政美、安藤志朗、余部福三、小杉泰,栗田禎子などの研究書が、英語、フランス語、ドイツ語、トルコ語、アラビア語などで刊行された。中東学会の機関誌である『中東学会年報』は、創刊以来多言語併用の編集方針をとっており、オリエント学会のOrient、東洋文庫のMemoirsなどには、外国語による若手研究者の論文が頻繁に掲載されている。現在では、現地や欧米の学界で日本の中東・イスラーム研究は関心をもってみられるようになり、「日本の技術発展と同様に、一世代にして、欧米の研究水準に一挙に追いつき、しかも、欧米のオリエンタリズム的偏見を免れている」(B.S. Hakim)と評されている。外国語による研究の公刊という点では、西洋史や中国史の分野よりも、積極的であるような観もうける。

 しかし、日本の中東・イスラーム研究は、欧米諸国のそれと比べ、全体としては、質量ともに、大きな遅れをとっていることも確かである。日本における史資料の蔵書量は、たとい20年を要したとしても容易に追いつくものではない。現地語の教育コースや留学制度、あるいは、いまだに現地に国立の研究機関をひとつだにもたない現状など、研究基盤の点におけるハンディキャップは大きなものがある。また、現地の研究者からは、日本人の研究者であるということで珍重された時代は去り、日本と中東との関係やイスラーム認識を問い返されてきている。

5.展望にかえて

 このような状況のなかで必要なことは、研究の基盤整備や技術を磨くこととともに、研究の視角や方法における独自性をつねに追求することである。総体として日本のイスラーム研究の進路を考えるとすれば、「東洋」と「西洋」の二つの顔をもつ日本の政治的・文化的位置の特性を自覚しつつ、研究の方向を考えていくことが必要であるように思われる。たとえば、明治期の不平等条約改正や民権運動と中東の民族運動との関わり、ヤクザと賄賂にみる日本社会と中東社会の比較など、さまざまな接点がありうる。この点で比較文学の杉田英明氏が、中東と日本という二方向の「合わせ鏡」を用いることで、ヨーロッパ、中国などの諸「地域」の文化的背景や相互の影響関係を立体的に浮かび上がらせた手法は大いに参考にすべきだろう。(注9)また、日本を一つの柱とすることで、日本人のイスラーム観や中東認識を洗いなおし、ひいては世界地図を塗り替えていく架け橋ともなることが期待できる。

 イスラーム地域研究が、従来の中東研究やイスラーム研究の単なる空間的延長で行われるとすれば、それは、欧米や現地の研究といかに交流を深め高い業績をあげたとしても、われわれにとっても、かれらにとっても、独自性を感じさせることはむずかしい。むしろ、本稿で述べたような意味での地域研究に理解をもつ研究者が互いの資料やディシプリンを持ち寄り交流することによって、日本という「地域」が、あらたなパラダイムの発見の場となっていくことを、夢みてもよいのではないだろうか。(注10)


注1)「学術研究振興のための新たな方策について」(学術審議会建議、平成元年)では、国際貢献を果たしていくための研究の例として、「国際的・地域的相互理解の促進のための研究」を挙げ、「世界の主要地域を対象とした地域研究体制、特に、我が国において地域研究の学問的蓄積の少ない地域に関する研究体制を特段に整備する必要がある」と述べる。

注2)森本芳樹「都市史研究の新しい動向」『歴史学研究』607、1990、吉田伸之「都市と農村,社会と権力:前近代日本の都市性と城下町」溝口雄三・濱下武志・平石直昭・宮嶋博史編『アジアから考える 1交錯するアジア』東京大学出版会、1995。

注3)板垣雄三「比較の中のアーバニズム」『学術月報』45/1,1992,同『歴史の現在と地域学』岩波書店、1992所収。

注4)立本成文『地域研究の問題と方法』京都大学学術出版会、1996、128-130頁。

注5)板垣雄三「民族と民主主義」『歴史における民族と民主主義』(1973年度歴史学研究会大会報告),青木書店,1973「アンドロメダ星雲状の<地域>」『歴史のなかの地域』(シリーズ世界史への問い8)、岩波書店、1990(ともに『歴史の現在と地域学』に再録)。

注6)注3および板垣雄三「エスニシティを超えて」『東京大学教養学科紀要』17、1985(『歴史の現在と地域学』に再録) 

注7)板垣「地域研究の課題:近代の学問体系の組み替え」『歴史の現在と地域学』425頁。立本前掲書、317頁。

注8)M.Haneda & T. Miura ed., Islamic Urban Studies: Historical Review and Perspectives, London, 1994. T. Sato ed., Islamic Urbanism in Human History: Political Power and Social Networks, London, 1997.

注9)杉田英明「火蛾の憧憬:火蛾の憧憬:イスラム世界と日本」『東京大学教養学科紀要』24、1992、『日本人の中東発見』東京大学出版会、1995、佐藤次高ほか『イスラム社会のヤクザ』第三書館、1994などを参照。

注10)本稿提出後に刊行された濱下武志「歴史研究と地域研究」濱下武志・辛島昇編『地域史とは何か』(地域の世界史1),山川出版社,1997は,本稿と重なる論点が多い。

 

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