///アラビア語写本史料研究会『カリフ宮廷の儀礼』日本語訳注訳注3-6ページ///

〔txt. 3, ms. 2〕

慈悲深き慈愛あまねき神の御名の下に。
神よ、助け賜え。


 神に称えあれ。神によって恩寵は与えられ持続し、〔神に対して〕慈悲は求められ、請われる。権利は履行され、実行され、さらなるものが降り注がれ、要求される。神の使徒ムハンマドに祝福あれ、心よりの誠実さゆえに。また一心に神への祈念につとめたがゆえに。祈りあれ、預言者のもっとも偉大なる坐所のために。無垢なるもののもっとも清浄なる立所のために1 。〔アッバース家の〕存続の永からんことを、気高さの続かんことを、地位の高められんことを、助けの多からんことを、領土の守られんことを2 、教宣の護られんことを3 、力の堅固されんことを、王朝の安定せんことを。
 そして、技術は4 、それでもっともよく知られた者に示され続け5 、物品はそれに対する欲望を持つものにもたらされ続け、貴重なる品々はそれにふさわしく、釣り合ったものに娶せられ、またそれを求める庇護者のもとにとどめられる。もしそうであるとするならば、知恵とは、もっとも価値の高い物品であり6 、〔ms. 3〕もっとも利益のあがる物品であり、もっとも強く結びつける手段であり、もっともたどるのに明瞭な道であり、もっとも心の傾く動機であり、受け入れるのにもっとも開かれた門である。それによって、理性は判断し、習慣は実行され、合意が実現し、齟齬が消滅する。
 私が、この時代の人々、すなわち、彼らは多くの目が一瞥した人々であり、多くの精神が意識した人々であり、多くの功績によって卓越した人々であり、完全な栄光によって傑出した人々であるが、彼らをよく調べたときに、私が気づいたことには、我らが主にして我らが庇護者たるカリフ・カーイム(al-Qa'im bi-Amr Allah)様が、――彼の幸運が隆盛であり続け、その幸福が上り調子であり続け、その威光が確立し続け、〔txt. 4〕その権威が服され続けんことを7 ――、対抗されることのなく上に立つイマームであり、比類なく偉大な神のカリフである8
 彼は、目的を望みそれを手にする者、目標を目指しそれを達成する者、最頂点に達するために行動しそれを獲得する者、結果を入手するために行いそれを可能にする者の中でもっとも栄光ある者である。そしてそれによって、〔カーイム様は〕人々が敬意を持って彼に言及し、(訪問者の)ラクダの鞍が望んで彼のもとに並べられるのにもっとも相応しいお方となっているのである9 。そして賞賛者たちは彼を賞賛するが、彼の属性を限定することあたわず、〔ms. 4〕賛美者たちは彼を賛美するが、彼の真実の姿を捉えることができない。
 神は、その使命(al-risala)を、もっとも識りもっとも知る者にのみ下し賜い、その恩恵を、それをもっとも成し遂げもっとも実行する者にのみ委ね賜い、その代理権を、それをもっともよく遂行しもっとも有能に行う者にのみもたらし賜い、その寛容さを、それにもっとも相応しくもっとも適する者に与え賜う。神の行為が――神よ彼の名を称え賜え――、公正と正しさに基づいて行われ、賢明と福利に基づいて実行されていることを周知されるために。
 また、そのなかで、熟考に基づいてもっとも確実であり、明瞭さに照らしてもっとも佳きことは、神が、〔自ら〕が満足した無数の被造物に満足し、〔自ら〕が選んだ神の預言者の家系を選び賜うたことである。〔預言者の家系のものたちは〕知性と賢識の保持者であり、宗教心と敬謙さの持ち主である。生活は彼らの裁量に委ねられたものとなり、人生は彼らの居所で安全なものとなり、正道は彼らの営為によってまた彼らの手によって実現し、平安は彼らのある限り終始期待され、宗教は彼らの保護によって安泰となり、〔ms. 5〕物事は彼らの監督によって確実なものとなる。
 神に称えあれ、神は聖なる御前に――御前が援助によって守られ続け、神の助けによって保護され続けられんことを10 ――、新旧の高貴さと旧来新奇の寛容さを集め賜うた。そしてついには、終わりが始めに通じあい、裏が表につながり、基と部分が調和し、根と枝が適合することとなった。

【1998.7.13:清水和裕】 [[このページの先頭へ]]


 <その出身が預言者の系統からのもので、その席がイマーム位の中心にあり、その出自が預言者の一族に属し、その生まれがカリフの家にある者は、敬虔で純粋な神の代理であり、献身的で神を畏れる彼の信仰に忠実なる者であり、誠実で忠実な彼の被造物の保護者であり、確固とした力強い彼の権利の実行者であり、救いを求める人々を防御し、保護する隠れ家であるのにふさわしい。それゆえ、彼は、神の御心にかない、彼の恩寵を得、彼からの幸運で溢れ、〔txt. 5〕恩恵で満たされる価値がある>11
 また、彼にふさわしいことには、神からの贈り物が〔ms. 6〕完全であり、それは慈悲を下されることを確実にし、人々の胸が神の保護で満たされ、人々の舌が神に対する賞賛に結びつき、人々の手が神の祈りのために上がるのであり、神はそれらのうちで、聞かれたり受け入れられたもっともすばらしいものや、また、心の中で信じられたり、言葉に出して言われたもっとも献身的なものに対して、彼(カリフ)に報いてくださることであろう。そして、信仰と現世において、彼(カリフ)の輝かしい善行とすばらしい徳を守護なさり、両者の上に伸ばした彼の王朝への保護と、両者に向けた彼の領土への恩寵を見守られることであろう。<そのようにして、彼は東西の世界を普遍的な公正さで満たすのである、両者を驚くべき恩恵で満たしたのと同様に。また東西の世界に美しい行為を広めるのである、両者に多くの御力を広めたのと同様に>12 。彼は、お望みのままになし給い、ふさわしきよき報いを与えたもう。
 一方、カリフ位は、預言者に由来するのであり、それには価値の高さと権威の偉大さにおいて、もっとも高い支配権と、もっとも高貴な地位がある。行政の基礎と為政の規則において、もっともはっきりした道標と、もっともしっかりした支柱がある。書簡交換の規定と文書処理の規則において、もっともよい方法と、もっとも整った文書形式がある。カリフ位には奉仕の法と奉公の規則において、〔ms. 7〕もっとも適当なものが、理性と判断力を持つ人々や思慮や経験を持つ人々とともにあり、互いに交換し、交渉し、伝えるのにもっとも適切なものがある。忘れた人に思い出させるものとして、蒙昧な人の目を開くものとして、また、アッラーが力をお与えになったハーシム家の教宣の重要性と、彼が強化なさったアッバース家のイマーム位の権威を知る方法として。
 ところで、私は、その大部分が時の経過と規則(wudu`)の変化により消えてしまっているのに気づいた13 。また、情報を取りあげた時代や、目撃した事柄を経験し、それに慣れ親しんだ人は誰もいなくなった。私は、自分が祖父の Ibrahim b. Hilal14 からそれについて聞いていたのに気づいた。<それの知識と、それが確立した理由の多くについて>、彼の時代に彼と分かち合っている人は既に残っておらず、〔txt. 6〕それの伝承経路や伝承を<現在私と分かち合っている人も残っていないのであった。>15
 それで、私は、この残存物が、忘却された過去のことに続いて(消滅する)ことを恐れ、また、アッバース朝──神がその基礎を確実なものとしますように──が、私16 と私の先祖に注いでくれた恩恵にみあうものを考えた。それを考慮すると、それの古い習慣の足跡を広め、〔ms. 8〕正しい行いの跡を説明することが<必要であると思った。>17 私は、それのうち、著述によって熟知しているものや、編纂によって保存しているものを集め、それを、私が(読む者に)諸機会を提供し、幸運を増すものを保存する作品とした。私は、僕である自分が、目的とし、行ったことから、望み、期待したことを得られる場所に到達できることを望む。成功は神とともにある。
 私は、各章で伝えたいことを語るが、その中で、諸事が行われた様子と、それが行われるにつれ、時代を経るにしたがって至った状況を説明することにする。それによって、過去のこと、最近のこと、継承されているもの(anif)、改められたものを知ることができるように。

【1998.8.1, 3:村田靖子】[[このページの先頭へ]]



1 英訳ではカリフ位のこととするが、アッバース家のことではないか。

2 hawzとはアッバース家の直轄領を示す用語であるが、このhawzaについては不明。

3 da`waはアッバース朝教宣運動のことであろう。

4 sana'i`を「被造物」とする意見もある。

5 txt. 注1はma`rufをma`rifaの誤りと想定しているが、前者では「それ(sana'i`)で知られている者」、後者では「それを知る者」となる。文脈上は前者でも、「それにふさわしい」という意味にとれば可能であろう。

6 ここは原文にしたがったが、原注のとおりsana'i`とあるべきであろう。

7 祈願文としたのは英訳によるが、若干疑義も感じる。

8 これを独立文とする英訳ではなく、wajadtuにつながるとする校訂者に従う。

9 意味的には英訳にしたがったがrijalが単数女性扱いでnassatの主語になるのは不自然である。要検討。

10 上記の注6に同じ。

11 <>の部分は、多少の相違はあるが、Suluk al-malik fi tadbir al-mamalik のp.14からの引用[校訂5ページ、注1]。Shihab al-Din Ahmad b. Muhammad b. Abi al-Rabi` による Suluk al-malik は、カリフ=ムータスィム時代にかかれたと言われるが、もっと遅い時代のものである。その構成は、イブン・ブトゥラーンの Taqwim al-sihha に構成が似ている[GAL SI 372, l.9]。

12 <>の部分は、Suluk al-malik fi tadbir al-mamalik のp.14からの引用[校訂5ページ、注2]。

13 ここで連続性が欠けている。おそらく写本では一文抜けている。写本ははっきりしないので、`Awwad は次の文のように読んでいる[英訳11ページ、注1]。

14 この本の著者である Hilal al-Sabi の伝記の中で、彼について触れた[校訂5ページ、注3]。

15 <>の部分は、写本の欄外に書かれているが、本文の筆跡と同一である[英訳11ページ、注2]。

16 このページは、虫が食っている。特に、ここと次の注の部分[校訂6ページ、注2]。

17 同上[校訂6ページ、注3]。

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