近藤和彦
第1章 異文化としての歴史 導入部 pp.4〜5
◇歴史をみる目
歴史学は、過去に生きたさまざまな人間、さまざまな社会のありかた、また、その変化を対象としている。百年前、千年前にも人はそれぞれのしかたで生き、喜び、悲しみ、愛し、執着し、争い、協力していた。現在のわたしたちの世界とは違うかもしれないが、それぞれの意味とまとまりのある世界に人々は生きていた。歴史学とは、その過去という異文化を考察し、 甦 らせる営みである。いわば精巧なタイム・マシーンを作るような営みともいえる。そうすることによって姿見にうつしだすように、今の時代を相対化し、 省みることができる。
こうして構想され叙述される歴史に多くの人が目を向けてきたのは、なぜだろう。理由はいくつもあるだろうが、その一つは、現在を大きく見通して、今あるものの正当性を補強したり、逆にその拘束から解き放たれたいと思ってきたからではないか。だが、ひところの疑似神学的な「歴史の必然」や定向進化の信念はようやくゆらぎ、認識論的に晩生だった歴史学でも神は失せ、ポストモダンの波がおよんでいる。今を相対化し、現在から自由になるためのパースペクティヴをえるには、人の営みの蓄積としての歴史に問いかけるほかない。
この第一章ではまず、たいていの読者には珍奇と思われるかもしれない 「女房売り」(sale of a wife) と 「スキミントン」(skimmington) という現象を紹介して、この本の世界への案内としたい。どちらも近世イギリスの民衆生活において男女関係がもつれた場合に、公衆の前で演じられた制裁と同調のパフォーマンスであった。そこにはコミュニティの民俗的な時空に性と暴力が交わり、連帯と偏見と差別もあらわになっていた。これらを知と権力をもつ人々がどう見ていたか、という点にも注意したい。あわせて、いくつかの方法概念も導入しよう。
1.「女房売ります」
◇ビラを読む
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