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8: 音江環状列石
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No.
OTE_01
内容
音江環状列石 遠景(東から撮影)
撮影年
1953?
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版1-1※
箱番号
38_12
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
音江環状列石は、稲見山と呼ばれる標高113〜117mの丘陵の突端部に位置する。これはその稲見山を東方から撮影したもの。
No.
OTE_02
内容
音江環状列石 遺跡から石狩川方向をのぞむ(北方向を撮影)
撮影年
不明
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_13
注記
音江 平野をのぞむ
解説
遺跡のある地点から北方の風景を撮影したもの。蛇行して流れる石狩川が写っている。
No.
OTE_03
内容
音江環状列石 北側の遺跡の中央部分(北から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_10
注記
音江
解説
画面中央に位置する環状列石が第7号であり、画面左手奥で発掘調査が行われているのが第5号である。画面中央の最奥部でも発掘が行われているようであるが、これは第2号とみられる。
No.
OTE_04
内容
音江環状列石 第1号(南から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H03_006
注記
ナホレ 良
ストーン・サークル
解説
第1号の環状列石は直径約5mで、外周に立石がめぐっている。調査開始時の状況。
No.
OTE_05
内容
音江環状列石 第1号(南から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版2-2※
箱番号
41_03
注記
27 音江-1
解説
OTE_04の撮影位置の、わずかに東側から撮影したもの。『音江』では、「いまは積石が表面に殆んど残っていない」ことから、「もとは積石があった筈で、これを見ないのは、或は昔、発掘されたことを示すものかもしれない」と述べられている。画面奥で発掘調査が行われているのが第5号である。
No.
OTE_06
内容
音江環状列石 第1号(南から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_14
注記
音江
解説
OTE_05の撮影位置の、さらにわずか東側から撮影したもの。OTE_05と同様に、画面左手奥の第5号で調査が行われていることがわかる。
No.
OTE_07
内容
音江環状列石 第2号(西から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_001
注記
○○○製○用具
解説
第2号の環状列石は直径約4mで、外周に立石がめぐっている。調査開始時の状況。
No.
OTE_08
内容
音江環状列石 第2号(西から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版3-1※
箱番号
43_03
注記
26 ストーンサークル 2
解説
第2号の表面に積石はないが、立石内部の発掘の結果、円形の石が埋土の「底の方に投げ込まれていた」ことが確認されている。『音江』の所見では、過去に発掘が行われ、その終了時にもとの積石が投げ込まれたと想定されている。
No.
OTE_09
内容
音江環状列石 第2号 調査後の復元(西から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S4_01
注記
音江
解説
OTE_08とほぼ同じ写真。第2号では過去に発掘が行われたためか、立石内部の調査時に遺物は出土していない。
No.
OTE_10
内容
音江環状列石 第2号(南西から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S4_03
注記
音江
解説
第2号の調査終了後、立石内部の表面に積石を復元した状況。調査時の所見と想定に基づき、土坑の埋土に投げ込まれていた円形の石を表面の積石として復元している。
No.
OTE_11
内容
音江環状列石 第3号(南西から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_01
注記
27 音江-1
解説
第3号の環状列石は直径約3mで、外周に立石がめぐっている。調査開始時の状況。
No.
OTE_12
内容
音江環状列石 第3号(西から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_11
注記
音江
解説
OTE_04の撮影位置の、やや西側から撮影したもの。調査開始時の状況。
No.
OTE_13
内容
音江環状列石 第3号(南から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_17
注記
27 音江-1
解説
第3号の立石内部では角形の石の積石が認められており、これはその積石が検出された際の状況とみられる。
No.
OTE_14
内容
音江環状列石 第3号(南から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_09
注記
音江
解説
OTE_13とほぼ同じ状況を撮影したもの。第3号の立石内部で確認された、角形の石の積石の検出状況。
No.
OTE_15
内容
音江環状列石 第3号(南東から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_05
注記
音江
解説
第3号の立石内部で確認された、角形の石の積石の検出状況。OTE_14からさらに発掘を進めた段階とみられる。
No.
OTE_16
内容
音江環状列石 第3号 墓坑上面の上層(東から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
42_04
注記
27 音江・神居古潭
解説
OTE_15の段階からさらに発掘を進め、立石内部で確認された角形の石の積石を取り除いていった際の状況。『音江』の所見では、立石内部の南東部では積石がなくなり、北西部では「一種の石槨の如きもの」が検出されたとされているが、これはその「石槨」上面の上層部分を撮影したもの。
No.
OTE_17
内容
音江環状列石 第3号 墓坑上面(東から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
『音江』図版4-2※
『日本の巨石文化』第17図※
箱番号
S3_03
注記
音江
解説
OTE_16からさらに発掘を進めたもの。立石内部の北西部で確認された、「一種の石槨の如きもの」の上面が検出されている。
No.
OTE_18
内容
音江環状列石 第3号(南東から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_002
注記
○○○製○用具
解説
OTE_17の段階まで発掘を進めた際の、第3号の全体状況を撮影したもの。立石内部の北西部において「一種の石槨の如きもの」が確認された状況がわかる。
No.
OTE_19
内容
音江環状列石 第3号(南東から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S3_06
注記
音江
解説
OTE_13とほぼ同じ状況を撮影したもの。第3号の立石内部の北西部において、「一種の石槨の如きもの」が確認された状況がわかる。
No.
OTE_20
内容
音江環状列石 第3号 墓坑底面 ヒスイ玉出土状況(南東から撮影)
撮影年
1955
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版5-2
箱番号
43_09
注記
26 ストーンサークル 2
解説
積石の下層で検出された墓坑は、平面形が長径約1.4mの楕円形で、深さは約1mである。墓坑の底面から、歪んだ三角形を呈するヒスイの玉1点が出土している。
No.
OTE_21
内容
音江環状列石 第4号?(南東から撮影?)
撮影年
1952?
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_12
注記
27 音江-1
解説
地表面で環状列石を検出した状況であり、外周に立石がめぐっている様子がわかる。この写真については、立石の配置を『音江』第12図の実測図と対照して第4号の環状列石と判断したが、確証はない。第4号は直径約2mで、角形の石の積石が残る未発掘の遺構とされている。
No.
OTE_22
内容
音江環状列石 第5号(北西から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版6-1
箱番号
43_01
注記
26 ストーンサークル 2
解説
第5号の環状列石は直径約4mで、外周に10個ほどの立石がめぐっている。これは立石を検出した段階とみられる。調査当初の所見では、立石内部の縁には角形の石の積石がある一方で、中央部には積石がほとんどないとされたが、後に立石内部の墓坑の一部がすでに掘られており、その際に土を埋め戻していたことが判明したため、1955年に墓坑の発掘が行われた。
No.
OTE_23
内容
音江環状列石 第5号(北から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
箱番号
S4_02
注記
音江 発掘状況
解説
第5号の環状列石を平板で測量している状況。OTE_22と同じ頃に撮影されたものとみられる。第5号の奥には第1号が写っている。
No.
OTE_24
内容
音江環状列石 第5号(北から撮影)
撮影年
1952
原版
35mm
報告書の図版番号
『音江』図版6-2※
『日本の巨石文化』第15図※
箱番号
S3_17
注記
音江
解説
第5号の立石内部を発掘している状況。1952年の調査では、立石内部に石で囲まれた墓坑が検出されたと判断されたが、これはその前後の状況である。なお、この後、1955年の調査時に、これは遺構ではなく、過去の埋め戻しの埋土中に石が二次的に堆積して形成されたものと判断された。画面左手奥には第1号、さらにその奥には第2号とみられる列石の内部が発掘されている様子が写っている。
No.
OTE_25
内容
音江環状列石 第5号 立石内部(東から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_14
注記
27 音江-1
解説
第5号の立石内部の発掘を進めた際の状況。立石内部の縁から墓坑の上面にかけて検出された角形の石が写っている。これらの角形の石は、この後の1955年の調査の際に、過去の調査の埋め戻し後に墓坑に向かって落ち込んだ二次堆積と判断されている。
No.
OTE_26
内容
音江環状列石 第5号 立石内部(北から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
「日本に於ける巨石記念物 続々々」第9図
箱番号
41_16
注記
27 音江-1
解説
第5号の立石内部の発掘を進めた際の状況。1952年の調査の際には、これは石に囲まれた直径約0.9mの墓坑と判断されたが、後に1955年の調査によって、過去の調査の埋め戻しの埋土中に形成された二次堆積と判断された。
No.
OTE_27
内容
音江環状列石 第5号 立石内部(北から撮影)
撮影年
1952
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
42_03
注記
27 音江・神居古潭
解説
OTE_26の状況を真上に近い位置から撮影したもの。
No.
OTE_28
内容
音江環状列石 第5号 墓坑 ヒスイ玉出土状況(南西から撮影)
撮影年
1955
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_004
注記
○○○製○用具
解説
第5号の立石内部では、1955年の調査時に、平面形が一辺約2.5mの隅丸方形、深さ約1mの墓坑が検出されている。墓坑底面ではヒスイ製の玉が10点出土しており、これはその出土状況である。
No.
OTE_29
内容
音江環状列石 第5号 調査後の埋め戻し(東から撮影)
撮影年
1955
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_009
注記
○○○製○用具
解説
第5号の調査後、立石内部を埋め戻した状況。画面奥に第6号が写っている。
No.
OTE_30
内容
音江環状列石 第6号(南から撮影)
撮影年
1953?
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H04_015
注記
狩太
狩太26年
解説
第6号は直径約3m弱と小型で、角形の石の積石と、積石の東端に立石が認められる。これは表層の積石を検出した状況で、東端の立石は画面の外(右側)に位置しているため写っていない。画面左手奥に第7号の一部が写っている。
No.
OTE_31
内容
音江環状列石 第6号(南東から撮影)
撮影年
1953
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_008
注記
○○○製○用具
解説
第6号の全体を撮影したもので、角形の石の積石と、積石東端の立石が確認できる。第6号はこの時点で未発掘と判断されており、駒井の調査でも立石内部の発掘は行われていない。画面右手には調査中の第7号の一部が写っている。
No.
OTE_32
内容
音江環状列石 第7号(東から撮影)
撮影年
1953?
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_012
注記
○○○製○用具
解説
第7号の環状列石は直径約3mで、外周に立石がめぐっている。発掘前の状況。
No.
OTE_33
内容
音江環状列石 第7号(東から撮影)
撮影年
1953?
原版
35mm
報告書の図版番号
『音江』図版8-1※
箱番号
S3_20
注記
音江
解説
OTE_32の撮影位置の、やや南側から撮影したもの。調査当初の状況。
No.
OTE_34
内容
音江環状列石 第7号(南東から撮影)
撮影年
1953
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_10
注記
27 音江-1
解説
第7号の全体をやや高い位置から撮影したもの。立石の内部を少し掘り下げ、角形の石の積石が検出され始めた状況。
No.
OTE_35
内容
音江環状列石 第7号(南から撮影)
撮影年
1953
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_007
注記
○○○製○用具
解説
第7号の立石内部をOTE_34の段階からさらに掘り下げ、積石を検出した状況。
No.
OTE_36
内容
音江環状列石 第7号(南から撮影)
撮影年
1953
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H04_017
注記
狩太
狩太26年
解説
第7号の北東隅付近を撮影したもの。OTE_35の段階から積石の除去と掘り下げをさらに進め、中央部の積石が落ち窪んでいる状況を確認した段階。積石の下層では、長径約2.1mの楕円形の墓坑が検出されており、墓坑の床面では朱漆の細片が出土している。
No.
OTE_37
内容
音江環状列石 第9号(南から撮影)
撮影年
1953
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版9-2※
『日本の巨石文化』第19図※
箱番号
H04_016
注記
狩太
狩太26年
解説
第9号は立石を有する直径約2mの遺構で、内部には積石がある。『音江』の所見では、下層の積石は「花弁が開いたような形をして墓壙を埋めた土に落ち込んでいた」とされるが、これはその検出状況である。積石の下層では、平面形が長径1.8mの楕円形で、深さが1.18mの墓坑が検出されており、墓坑の床面からはヒスイ製の玉2点が出土している。
No.
OTE_38
内容
音江環状列石 第9号 墓坑埋土中の積石(南から撮影)
撮影年
1953
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_08
注記
27 音江-1
解説
第9号の墓坑埋土中で検出された積石の出土状況。OTE_37の近景である。
No.
OTE_39
内容
音江環状列石 「南側の遺跡」調査トレンチ(南から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』第22図
箱番号
38_10
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
遺跡の南側の環状列石群を調査する際に設定された調査トレンチの状況。『音江』で「南側の遺跡」と呼ばれているこの地点は、遺跡の四方が土手に囲まれていたとされている。この調査トレンチは、「南側の遺跡」の中央を南北方向に貫く形で設定されている。画面奥では、南側の土手とみられる高まりを貫いてトレンチが延びている。
No.
OTE_40
内容
音江環状列石 第11号 墓坑 遺物出土状況(北から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版12-1
箱番号
43_12
注記
26 ストーンサークル 2
解説
第11号は立石を伴わず、表層には「自然石の平たいものが集っていただけ」とされる。その石の集中の下層では、平面形が長辺約2m・短辺約1.5mの長方形で、深さが約0.7mの墓坑が検出されている。墓坑の床面には平石が敷き詰められており、床面上からはヒスイ製の玉23点、黒曜石製の石鏃13点、朱漆の弓1点が出土している。これはそれらの遺物の出土状況である。
No.
OTE_41
内容
音江環状列石 第11号 墓坑 遺物出土状況近景(南から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版13-1
箱番号
38_06
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
第11号の墓坑床面での遺物出土状況。墓坑の中央部やや西側の近景で、朱漆の櫛、黒曜石製の石鏃、ヒスイ製の玉が確認できる。
No.
OTE_42
内容
音江環状列石 第11号 墓坑 遺物出土状況近景(南から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版12-2※
箱番号
38_09
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
第11号の墓坑床面での遺物出土状況。墓坑の北東部の近景で、ヒスイ製の玉の集中と黒曜石製の石鏃が確認できる。
No.
OTE_43
内容
音江環状列石 第12号の南隣 石の集中(西側から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
H49_005
注記
○○○製○用具
解説
常呂実習施設所蔵の当時の調査記録によると、第12号の南隣に相当する地点において、表土下に角形の石の集中が検出されたとされている。これはその検出状況を撮影したものとみられる。調査の際、この石の集中は遺構とは認識されなかったようであり、第12号との関係も不明である。
No.
OTE_44
内容
音江環状列石 第12号 墓坑 遺物出土状況(南東から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版14-1※
箱番号
41_05
注記
27 音江-1
解説
第12号は、調査時の所見によると、表層には「石塊が散在」していたとされるが、立石や積石は確認できなかったようである。表土下0.1mの位置で、平面形が一辺約2.5mの方形で、深さが0.4m弱の墓坑が検出されている。墓坑の床面と南側の壁面には平石が敷き詰められており、床面上からはヒスイ製の玉9点が検出されている。これはそれらの玉の出土状況である。
No.
OTE_45
内容
音江環状列石 第12号 墓坑 遺物出土状況近景(北東から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
41_06
注記
27 音江-1
解説
第12号の墓坑床面から出土したヒスイ製の玉9点のうちの2点(『音江』第26図-6・7)の出土状況を近接撮影したもの。OTE_44の近景となる。
No.
OTE_46
内容
音江環状列石 第13号の東隣 石の分布状況(南東から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』第23図
箱番号
38_05
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
画面の右下から左上にかけて延びるのが、「南側の遺跡」の東側から中央にかけて設定された調査トレンチで、これは、そのトレンチと南北方向の調査トレンチとの交点付近における石の分布状況である。画面左上が第13号の表層で、そこから東隣(画面手前)にかけて石が分布している。
No.
OTE_47
内容
音江環状列石 第13号の東隣 石の分布状況(南東から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
38_07
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
OTE_46のわずかに南側によった部分を撮影したもの。画面左上が第13号の表層の石で、その手前(東隣)にも石が分布している状況がわかる。
No.
OTE_48
内容
音江環状列石 第13号及びその東隣の石の集中(東から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
箱番号
38_08
注記
28 音江 石籬 30.3.2
ストーンサークル
解説
OTE_46から掘り下げを進めた状況。画面奥で測量作業中の遺構が第13号である。その手前にも石集中(土坑?)が検出されているように見えるが、これは『音江』の報告書には記載されていない。調査の際、この石集中は遺構とは認定されなかったとみられる。
No.
OTE_49
内容
音江環状列石 第13号 墓坑(東から撮影)
撮影年
1956
原版
キャビネ判(乾板)
報告書の図版番号
『音江』図版14-2
『日本の巨石文化』第25図
箱番号
41_07
注記
27 音江-1
解説
第13号の表層では、OTE_47にみるように石が散在していたが、明確な立石や積石は確認されていない。表土下0.1mの位置で、平面形が長辺約2m・短辺約1.5mの長方形で、深さが約0.4mの墓坑が検出されている。墓坑の床面には平石が敷き詰められており、床面上からはヒスイ製の玉6点、黒曜石製の石鏃1点のほか、朱漆の破片が検出されている。
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