漢字と日本文化


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 「此の糸、何色?」

 「此の木は何?」

 「一本の木の両側に一人ずつ人が立っていて、その二人の人は向こうに行くのか、こちらに来るのか?」

 少年時に遊んだなぞなぞ遊びである。このような漢字の遊びの伝統は長い。室町時代に当時のなぞを集めた書として有名な『後奈良院御撰何曽』では、次のような漢字遊びが収められている。

  梅の木を水にたてかへよ       
  鷹心ありて鳥を取る         
  嵐は山を去て軒のへんにあり     風車
  竹生嶋にあり嶋もなし        
  道風がみちのく紙に山といふ字をかく 
  廿人木にのぼる           
  戀には心も言もなし         
  紅の糸くさりて虫と成る       
  山を飛あらしに虫ははて鳥来る    
  はたちのこさか立ながら生るゝ    

先に引いたなぞなぞは、少年時の遊びである。『後奈良院御撰何曽』が、もともと子どもの遊びとして集められたものかどうか定かではないが、『徒然草』に載る次の話も、同じように漢字にまつわる話である。

 医師篤成、故法皇の御前にさぶらひて、供御の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功納も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。ひとつも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六條故内府参り給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候」と申したりけるに、「才のほど既にあらはれにたり。いまはさばかりにて候ヘ。ゆかしきところなし」と申されけるに、どよみに成りて、まかり出でにけり。(第百三十六段)

 篤茂(和気氏)は、典薬頭であり、大膳大夫であった。法皇の食事(供御)については、すべてを理解していなければならない立場であった。そこの食べ物全部について責任があるので、すべてが分かっているというのは、当然の態度であった。その余りの、何でも分かっているという発言は、側にいた人にとっては何か言ってやりたいものであったろう。その際、「鹽」の字の部首などは、果たして必要な知識であったであろうか。この質問自体が相手をおちょくっている、或いは、底意地が悪いといってもよい。どう答えるか、切り返し方の難しい問である。しかし、彼は、その俗字である「塩」の字を思い、得意げに「土偏」と答えてしまった。この侮辱的な質問に気づかず、或いは、騎虎の勢いとでもいうのか、頓珍漢に最悪の答えをしてしまう。このように話の内容は愉快なものではないが、些細なやりとりの中に、人間がよく出ていることでは、面白いといえるかも知れない。そして、当時、大人社会の中で、漢字の部首の問答が行われたなどは興味深い。

 遡って『万葉集』にある戯訓の一つに、「出」の字を「山上復有山」と書いたのは有名であるが、これも漢字遊びの一種である。

 漢字は表意文字といわれることが多い。表意文字は表音文字に対する概念であるが、表音文字は意味に関係なく音を表す文字であるから、その対義として、表意文字は音に関係なく意味だけを表すと錯覚され易い。しかし、漢字の表すのが意味だとして、その意味が語と離れた関係であることは、言葉のレベルで考える場合は、あり得ない。意味と語とは分離できない関係にあるのである。つまり、漢字は意味を表すが、それは意味を表すというよりも、語を表すというのが正しい。その意味で漢字は表語文字というのが実情に叶った言い方といえる。

 新しく漢字が作られる時、それは、或る語を表す為ということになるが、その時、語の意味を分析し、分析の結果を文字にする場合が多い。そのようにして出来上がった漢字には、分析の結果が反映し、一字の中に複合した意味が込められることになり、漢字を幾つかの部分に分解できるのは、その為といえる。最初に挙げた、漢字を使ったなぞなぞ遊びなどが出来るのも、その漢字の性格からである。


[image/gif: 漢字 (1)-(6)]

 新しく作られる漢字では、落語の中に「無理偏に拳骨」「ごみ溜め偏に蹴散らす」という漢字が登場するのは、文字通りの遊びであるが、そこまででなくとも、種々の分野で、多くの漢字が作られている。「(1)(かえり見る)」「(2)(人)」「辷(すべる)」「(3)(おしたつ)」「辻(つじ・十字路)」「呂(口づけ。泉鏡花の用字)」「(4)(ひらたぶね)」「(5)(とも)」「(6)(カッター)」等、多くあるが、どういう発想に基づいたか、その出来映えは使い出した人の言葉感覚に左右される。そして、その意味で傑作ともいえるのが、「働」であろう。多くの人に受け入れられたことに、字としての尤もらしさがあったからであろう。但し、「人が動く」と「はたらく」とが何故結びついたのか、これは日本的発想の現れというべきであろうか、気になる点である。その点、本来異なる文字であるが、似た意味を持つ漢字である、「つとめる・はげむ」意で「仂」を使ったのは納得できるものがある。因みに、「仂ない」を「はしたない」に当てることがあるが、この当て方には、言葉の意味を考えて、成る程と思わされるものがある。

 漢字には一字の中に複合した概念を含む文字が多い。また、知られる通り、漢字は二字複合した形で使われることが多い。恐らく、漢字一字が原則として一音節で読まれるために、多音節語とすることで、同音語を防ぐ手段であったのであろうが、二字複合ということが、複合概念の語を作る結果をもたらした。これは、幕末から明治にかけて二字複合の漢語を利用することで、新しい西欧語の概念を日本語の中に取り入れることができ、日本の近代化に役立ったことは、今更言うまでもあるまい。

 漢字の役割は、日本の近代化に大きな役割を果たしただけでないが、その漢字を避ける傾向は古くからあった。

 慈円(一一五五〜一二二五)は『愚管抄』を漢文によらず執筆したのは、漢文では多くの人に理解されないからであり、和文の中で始めて心がこもるからであるという。

 偏ニ仮名ニ書ツクル事ハ、是モ道理ヲ思ヒテ書ル也。先是ヲカクカヽント思ヨル事ハ、物シレル事ナキ人ノ料也。此末代ザマノ事ヲミルニ、文簿ニタヅサワレル人ハ、高キモ卑キモ、アリガタク学問ハサスガスル由ニテ、僅ニ真名ノ文字ヲバ読メドモ、又其義理ヲサトリ知レル人ハ少ナシ。(巻二)

 今カナニテ書事タカキヤウナレド、世ノウツリユク次第トヲ心ウベキヤウヲ、カキツケ侍意趣ハ、惣ジテ僧モ俗モ今ノ世ヲミルニ、智解ノムゲニウセテ学問ト云コトヲセヌナリ。ゥRレダニモコトバコソ仮名ナルウヘニ、ムゲニヲカシク耳チカク侍レドモ、猶心ハウヘニフカクコモリタルコトヲ侍ランカシ。ゥnタト・ムズト・キト・シヤクト・キヨトナド云事ノモヲホクカキテ侍ル事ハ、和語ノ本体ニテハコレガ侍ベキトヲボユルナリ。(巻七)

明治以降も、漢字の不便さへの主張は、古くからあり、慶応二年(一八六九)に前島密は「漢字御廃止之儀」を将軍に提出した。明治一〇年、福沢諭吉は「文字之教」で漢字の数を三千程度に抑えることを主張する。

 ムツカシキ字ヲサヘ用イザレバ漢字ノ数ハ二千カ三千ニテ沢山ナル可シ。此書三冊ニ用ヒタル言葉ノ数僅二千ニ足ラザレドモ一通リノ用便ニハ差支ヘナシ(明治六年。福沢諭吉『文字之教』)
 この後、現在の常用漢字にまでつながる動きとなる。

 先に、慈円の説を引いたが、逆に漢字・漢語の効用のあることは確かである。阿川弘之氏は、漢語の語彙の乏しい、日本語の文章はしまりがないとされる(『あくび指南書』五四頁)。以前、我々に文章能力の乏しいのは、漢文を読むことが少ないからで、文章がうまくなりたければ漢文をもっと勉強しろと教えられた。

 その逆に、夏目漱石の『坊つちゃん』の中の、職員会議に於ける「野だ」の発言がある。「野だの云ふ事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列するぎりで訳が分らない」と坊つちやんはいう。不当な漢語使用の例である。

 百貨店で片仮名言葉の増加が云々されているうちに、最近、プロ野球の選手名簿を見ていると、漢字表記を避け片仮名表記にした選手のいることに気づく。不確かな記憶に基づくことであるが、漢字を避け、仮名文字で名前を書くという試みは、政治家の選挙などで始まったことであろうか。プロ野球に関してだけであるが、最初、異様に感じた、その試みも、その選手に恵まれたというのか、最近はさして異様にも感じなくなってしまったが、その反面、これから先、日常の場に於ける漢字はどのようになって行くのであろうか。
国際化ということが、言われ出したのは、今では最近のことではない。「日本語の国際化」という猛烈な表現までが出るようになった。それだけに、自分たちの拠って立つ基盤だけはしっかり自分の物にしておきたいの思いが強い。

(山口 明穂)

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