岩崎 鋼 さんの書評に対する応答-3-



ここでは、書評の第三部で、岩崎さんがご指摘くださった点について応えます。



《7. 私の死生観、その他》の部分について

ここでは、岩崎さんは、いわば医療の倫理自体を問題にするというか、医療が価値と して認めること自体を問題にしている、といえましょう。

「生が誕生するのも、それが死として消滅するのも、全ては生命、或いは諸物質の法則 のなからしめるところであって、そこには本来、なにかの価値とか、質とか、意義と か言ったことは存在しない。QOLとは、基本的に人為的な概念である。生命は人のそれ も含め、唯あるのであって、それ以外ではないのだ。」
はい、私もそうだと思っています。価値というのは、人間の言語的な営みの中で成立 するものであって、人間に先立ってどこかにあるわけではない、と同意します。

「清水さんは、患者の自己評価、満足度と言ったものを、ある種の公共的フィルター にかけて、一般的に言ってそう求めるのが妥当だと言えるような欲求を満たす自由が あるようにその人の環境を整えるのがQOLだと言った。人の満足度、快適度というの は、欲求を満たすことばかりで得られると言ってしまって良いのだろうか。東洋の知 恵は、そうではないと教えてくれる。人が生きていく中で何らかの満足、快適を感じ るためには、人は何かを求めると同時に、常に何かを捨てなければならないはず だ。”捨てる”と言うこともまた、生きる上で大切な知恵なのである。」
ここは、私が医療における価値評価を相対化しようとした時に、想定していた考えと 多分相当共通した、岩崎さんのお考えが表明されているところです。つまり、 「人の満足度、快適度というのは、欲求を満たすことばかりで得られると言ってしまっ て良いのだろうか」と言われると、私は「公共的な価値を前提して成り立つ医療の倫理 の範囲ではそうだ」と、しかし「その公共的な価値評価は決して絶対的なものではなく、 多くの哲学的洞察や宗教的価値観からは、俗なレベルのものと批判されるだろう」と いいます。おっしゃる「東洋の知恵」に限らず、西洋の知恵の中にも、それを語るもの があります。

私が拙著二章のはじめに、医療は「人がよく生きる」ことに関わるのではなく、「おか れた状態のよさ」に関わる、と言い、かつ評価を公共的に可能なものとしたときに、そ うした哲学的ないし宗教的価値の領域は括弧に入れたのです。
何年かまえに日本倫理学会のシンポジウムのようなところで、おもしろいやりとりがあ りました。ある仏教研究者が、生命倫理などを指して、たしか「人間の我欲を認めたと ころに成り立つ頽廃の倫理だ」といったような批評をしました。
その横にいたカトリックの神父がターミナルケアにかかわって「死後の生を信じられる とQOLが高くなる傾向がある」といった話をしたのですが、それに対しては「この地球 を破壊してきた罪深い人間が、死んで後まで生きたいと欲するとはずうずうしい」と も評しました。私自身はどちらかというと、この仏教研究者を支持します。
ただし、「人間の我欲を認めたところに成り立つ価値評価」に基づくものとして、医療 の哲学・倫理を、肯定しつつ、「医療ができることは限られているのであって、QOLが いくら高まったとしても、それで人間がよく生きるとは限らない」として、「人間に とって善く生きるとはどういうことか」の探究は別のところで行おうとするのです。
第8章の後半では、そういう場面の考えが少し入りこんで、「死後の生がないと希望が ないと考える人は、死後も生きたいという自らの欲求自体を反省すべきではないか」 といった趣旨の、批判めいたところが顔を出しています。

「なるべく苦しくないほうがいい」という時に、岩崎さんも「苦しいのは嫌だ」との 普通の人間の欲求を、まあ「もっともなことだ」と認める立場にたって医療実践をな さっているのだと思います。これを「もっともだ」と認める立場は「公共的」と私が いうものです。しかし、こういう公共的な価値観を言ってみれば「俗なものだ」とし て、例えば「苦しみもまた人が解脱するために人に課せられた善いものなのだ」と信 じるような立場もあるかも知れません。もっと身近なところでは、ターミナルケアの 場面でも、「全く苦しまずに死にたい」という患者さんたちの希望に沿うべく一所懸 命努めながらも、「全く苦しみたくない」という要求に疑問を感じる医療者との対話 をしばしばしました。
「欲を捨ててはいかが--そうすればもっと楽になるよ」ということについても、公共 的価値観の範囲で言えることと、「私の世界観からすれば」という範囲でしか言えな いことがあるでしょう。医療を特定の世界観・価値観を前提としない、公共的なもの (これだって一つの世界観・価値観ではありますが)にとどめたいという志向が、今回 の本の中には、一つの筋としてあることは事実です。ですから、岩崎さんの問題提起 はもっともですが、私の趣旨は、医療が認める価値観は公共的な範囲に限定された (俗な)ものだ、として、むしろそれ以上の個々人の価値観に立ち入らずに、それらに 居場所を作ろうとすることにあると、ご理解いただきたいのですが(cf.p37-8etc.)。


書評への応対はひとまず以上です。岩崎さんの実践の現場からするとどうなのか、と いう点について、いくつかの論点を考え直す問題提起を、再度感謝します。
読者の声インデックスへ

本欄の元になっている岩崎さんの書評第三部へ