近藤和彦 編 『長い18世紀のイギリス − その政治社会
山川出版社、2002年4月) 2800円

 

序章 pp.6-7 より

 1990年前後から国家社会主義の崩壊、グローバルな経済や情報の席巻をむかえた世界において、あからさまに普遍的な支配を推しひろげようとする権力と、むしろ領域的な枠を浸食、浸透しつつ潜行してひろがる勢力・集団との衝突は、日夜ニュースで見聞きするところである。いまや普遍文明の進歩や、他方のアイデンティティ・ポリティクスの解放性を讃えていればよかった時代ではない。こうした世界史の転変から、当然ながら、わたしたちの歴史をみる眼も影響をうける。
 だが、このような時代だからこそ、来し方をしっかり省みることが必要であろう。キリスト教共同体が分裂し、宗教と政治と物欲の交錯する戦争が止まず、戦争と技術革新が相互に促進しあっていた近世ヨーロッパにおいて、人々が古代人や同時代人の議論から学びつつ模索した新しい政治社会の構想、その経験を理解しなおしたい。わたしたちは 「後ずさりしながら未来に入ってゆく」 しかないのである。


  ← click

序章 p.11 より

 あらためて言うも愚かかもしれないが、イギリス史(British history)は イングランド史(English history)ではない。

第一章 p.21 より

 イギリス史における 「近世」 と 「長い18世紀」 は、序章でものべたように、異なる観点からおこなわれた時代区分であり、16世紀からの連続性を重視するか、17世紀末から19世紀へむけての新しい展開に注目するかによって、どちらかの時代区分をとることになろう。しかし、近世史であれ、長い18世紀であれ、ブリテン諸島の歴史は、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、およびさらに小さな諸単位の独立性と、イングランドの、とくにロンドンを中心とする南東部の優勢とのあいだの闘いと交渉の歴史なのである。しかも、それはヨーロッパのなかで、そして時代とともに世界史の一部として展開することになる。


序章 p.10 より

 ‥‥国家、市民社会、公共圏、共同体といった概念のいずれとも部分的に重なる領域に、しかし限定的でなく柔軟に、政治社会という語を適用したい。 国家の枠組よりはるかに潜行した結びつきとそこでの力の磁場といったものも存在するし、また、むしろ国際的、広域的な人・物・カネ・情報・権力のつながりも問われなければならないであろう。 ある程度の広がりをもつ場と集団に政治的磁力がはたらくことによって生じる権力性・統合性、また解放性・自律性を考察したい。
 いずれの政治社会においても、ボダンやホッブズの場合は、放っておけば無秩序あるいは「万人の万人にたいする戦争」に帰結してしまうのであった。 わたしたちの場合は、権力的支配と自生的共同性を排除しない結びつき(の場)、その平衡に注目することによって、文化としての政治を考察することができるであろう。 またこれは 21世紀における秩序の問題、あるいはデモクラシーの可能性を問うことにもなるであろう。

2002. 5. 3 保守  (c) All rights reserved: 近藤和彦 

 → Books  → 発言