Q&A on 音楽・時差・世界システム
BBS談話室 から ちょっと転載します。
> ‥‥ロンドンならではの「うらやましい」限りの音楽事情が。
ルンドはともかく、コペンハーゲンでさえそこまでの音楽市
場は成立していないので、「北欧」の「田舎」加減を痛感し
ました。‥‥
という反応は、本意ではない。
いなかのサフォークで、ある夜 MD 夫妻に連れて行っても
らった(廃屋となった)教会で催されたコンサートは、有名
人が演奏したわけでも、すごい演目だったわけでもない
が、要するにヨーロッパの地方ブルジョワの文化と
sociabilite はこのようにして機能し維持されているのだ、と
知るに良い機会だった。
不便な(車で40分も走るような)片田舎のせいぜい400
年くらい前の変哲のない教会堂。でもせっかくホールとして
再建され、音響も悪くないから‥‥というので、そこらの有
志が維持している夏の夜の音楽会。MD 夫妻はそこでさる
出版社の人に会って、さらにどちらかの姉妹がなに、‥‥
とか。要するに適度に知り合いの交じった、しかし多くは他
人の集いなのだ。
そう、いずれ Aldeburgh でブリテンを聴くのもいいな。
>「西欧」ものに比べて一種「時差」のようなものを感じる毎日
です。‥‥一見シューマン然とした曲が20世紀初頭のもの
だったりすることが多々ありますから。
それは、前衛、各時代を代表具現する作品だけを追って
いたのでは分からない何かですね。聴衆は、いまでもシュ
ーマン、ブラームス、チャイコフスキー、エルガー, etc. を
求めているわけで、そのことは好き嫌いとは別に、なにか
意味があるのですから。
> ‥‥「北欧」世界を観察する際にキー概念になるのは上で
挙げたような「時差」のようなものではないかとのこと。「時
差」は単に「遅れ」だけではなく、国民管理や社会福祉など
に見られる過激なまでの「先取り」ということもあります・・・。
定向進化の立場をとらないかぎり、それは文化のspecificum
という問題でしょう。不均等発展の同時存在(横倒しの世界史)
というよりは、音楽の世界システムにおける中心・対抗群・従属
(&無関係な宇宙)の3層ないし4層の構造に
Wallerstein的な勝ち負けの構図をみるのでなく、
それぞれのコーナーにおける意味をみたい。
→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/WedgeIR_W.htm
169. 西窓妄語 Gustav 2001/01/06 (土) 23:57
大変面白かったです。とりわけロンドンならではの「うらや
ましい」限りの音楽事情が。ルンドはともかく、コペンハー
ゲンでさえそこまでの音楽市場は成立していないので、
「北欧」の「田舎」加減を痛感しました。
最近は、一念発起して「北欧」音楽(・・・とはいってもABBA
とかではない・・・)を聞きまくるようになったのですが、「北
欧」の古典音楽には、「西欧」ものに比べて一種「時差」の
ようなものを感じる毎日です。グリーグ、ニールセン、シベ
リウスは別にしても、殊、スウェーデンやアイスランドの作
曲家のスタイルにそれを感じます。一見シューマン然とし
た曲が20世紀初頭のものだったりすることが多々あります
から。例えば、先日“スウェーデン狂詩曲”で有名なアルヴ
ェーンの“グスタブ2世アドルフ組曲”を聞いたのですが、
“神はわが櫓”をメインモチーフとしたあまりに単純な情景
描写に、わかりやすさのあまり涙してしまいました・・・。で、
この曲の作られた年は1932年(・・・GIIAの崩御300年祭で
作曲されたもの)・・・(嘆息)。
津田塾大学にいらっしゃった百瀬宏先生がなにかに書い
ていらっしゃたのですけれども、「北欧」世界を観察する際
にキー概念になるのは上で挙げたような「時差」のようなも
のではないかとのこと。「時差」は単に「遅れ」だけではな
く、国民管理や社会福祉などに見られる過激なまでの「先
取り」ということもあります・・・。
そんな私はP.ヤブロンスキのリサイタルが2月にルンドで
行われることだけを楽しみに過ごす毎日です。