『歴史学研究』727号(1999年)

青木 康 氏の書評論文 について


  限られた時間のなかで不十分ながらも精魂込めて著した自分の仕事を、きちんと
理解したうえで論評して下さる存在がいかに貴重か、ぼくじしんも書評する者として
つくづく感じ入ります。今の世の中、有能な人はみんな忙しくしているので、なおさらに。
同時に学界の風向きがどうなっても、やはりきちんとした仕事(学問的姿勢)への
敬意を忘れると、長期的にとんでもないことになるのではないかと危惧します。

  書いて下さったことは、ぼくの越智さん(のメリットと信じるもの)への接近もふくめて、
一々もっともです。「政治史におけるネジレの指摘」や「壮大な説」について、
関連づけや証拠を挙げないままに(いわばレトリックの力技で?)言いっぱなす
スタンスについては、これで良いと思ってはいません。
『文明の表象 英国』は、もう少し地道な研究生活に復帰すべき途上の経過報告
or うめき声、という意味もありました。

  最後にいわれた「現実が・・・国単位の表象をめぐって自己完結的に議論をすること
を許さなくなった」というのもその通りで、ヨーロッパ文明とか近代世界とかいう問題
の枠組のほうが、きっと more relevant なのでしょう。ただ、小著を『文明の・・・史観』といった
大雑把な本にはしたくなかった。じっさい『西洋世界の歴史』や『岩波講座 世界歴史』16
(近世ヨーロッパ)の編著などやってみて、これらは(それぞれ一つに専念する時間を
与えられないかぎり)一人で良心的にできる仕事の限界をほとんど越えている、
という感想をもちました。

  両書については、また別に書きたいと思いますが、満足のいかない部分が残る
としても、世界史観の再検討としては良い機会を与えてくれた、と思い直しています。
歴史学の両輪のうち「考える」ことについては、この間 誰にも負けないくらい十分に
やってきました。松塚俊三氏が『週刊読書人』で「思索する歴史学」と表現して
下さったのは、したがって、嬉しい。

  1999年10月7日 近藤 和彦



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