『週刊読書人』 1994年5月

二宮宏之『歴史学再考 − 生活世界から権力秩序へ

(日本エディタースクール出版部、1994年1月)


  この三〇〇ページ余の書物は、一九八三年から昨年までのあいだに二宮宏之氏がいろいろなメディアに発表してきた計十四本の文章のコレクションからなる。そのうち三本は、著者がかつて阿部謹也・川田順造・良知力の三氏とともに編集同人をしていた『社会史研究』(一九八二〜八八年)に載ったものであり、全体の四部構成のうち三つの部の初めに位置して、その柱ないし導入部の役割をはたしている。ここに所収の文章の多くをわたしも初出のときに熱心に読んだが、今回まとめて通読することによって、また新たな感銘に浸った。端正にエレガントに、読者それぞれの歴史認識の再考をうながす本である。

  第一部は、やや理論的・総括的な論文二つからなる。最初の「参照系としてのからだとこころ」には「歴史人類学試論」という副題がそえられ、問題の配置を一望のもとにしめす。「身体性(からだ)」「心性(こころ)」「社会的結合(きずな/しがらみ)」をめぐる三つの概念図が付されているが、これは読者にあらゆることを連想させる表式だ。続く「ソシアビリテの歴史学と民族」は、似た論点をもうすこし伝統的な語法で論じる。その最後に「再び政治の局面へ」と題する節がおかれ、国家や政治史を忘れてしまったかのごとき八〇年代の社会史に変容をうながす。この二つは、ともに国立民族学博物館の共同研究から生まれた文章である。

  第二部は、家族をめぐる二つの文章からなる。その前半「ある農村家族の肖像」は分量からいって九六ページにおよび、註の数も九六にのぼることにも現われているように、この本のなかでもっとも充実した章といえよう。材料として使われているレチフ=ド=ラ=ブルトンヌの作品群のおもしろさからも来ているのだろうが、アンシァン・レジーム下の(おもにフランス中北部における)家族と人口動態の具体相がエピソード豊かに注釈され、またフランス・日本における研究蓄積をふまえて解析される。方法的に新しいかどうかということより、父−子、夫−妻、世代、「家」、そして文学をめぐる博い学識と叙述の魅力に、読者は惹きつけられる。先の著作『全体を見る眼と歴史家たち』(木鐸社、一九八六年)における「歴史のなかの『家』」と合わせ読まれるべき仕事である。後半の短文「メタファーとしての家族」が、第一部の場合と同様に、「修身斉家治国平天下」ないし国家の象徴の次元を補強している。じつは本書の全体には「生活世界から権力秩序へ」という副題が付せられているが、その意味するところを形の上でも明示するかのようである。

  第三部は、エッセーやインタヴューによる一種の歴史家小伝である。一九六〇年代のパリで二〇代の終わりから三〇代半ばまでをすごした著者にとって、マルク・ブロックは別として、他はすべて同時代人であり、ともに学び論じた仲間や親しく交わった先生をめぐる語りは、他の追随をほとんど許さない。『全体を見る眼と歴史家たち』のいくつかの断章、二宮氏の編訳になる『歴史・文化・表象』(岩波書店、一九九二年)とともに読むならば、生き生きとした現代フランス歴史家列伝となるだろう。

  第四部は、現場の歴史家として、著者じしんが現時点でなにを一番の課題と考えているのか、をしめす三つの短文からなる。「読み」および認識論と叙述といった歴史学方法論におけるノートとも言える。
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  二宮氏のおもな仕事としては、先にも触れた著作のほかに「十七・十八世紀における農村生活環境」というフランス語の論文、そして高橋幸八郎氏への献呈論文集に収められた「『印紙税一揆』覚え書」という論文をあげることができる。残念ながら、どちらも広く知られているとは言えない。むしろ二宮宏之の名は、一般に、新しい歴史学、アナール派の紹介者といった連想をよぶのではないか。ところが、新しいか旧いか、アナール派か否か、そのトレンド(の転換)は、といった愚問を斥けるかのように、著者は本書の第三部で、ソルボンヌでその演習に列したジャン・ムーヴレの遺著の刊行に託して、次のように述べる。

  「先生が厳しく求められたのは、新しい歴史学であろうと旧い歴史学であろうと、歴史家の仕事の質なのであった。残念なことに、この『質』を測る便利な物差しは存在しない。私たちにとって可能なのは、身をもってその質の高さを体現している作品に立戻ることだけである。そして新しい歴史学を志す者こそが、そのことを真先に知らねばならない。」

  おなじムーヴレ先生の死の翌年、一九七二年の学会誌『土地制度史学』に追悼文を寄せたのは二宮氏である。まだどの書物にもこの文章は再録されてないが、その最後の段落はこのように感銘深く記されていた。

  「ムーヴレさんの研究における態度は厳しく且つ禁欲的であったが、その日常においては大いに語らいを好まれた。演習の場は云うに及ばず、帰途の路上でも街頭のキャフェでもアルシーヴの控の間でも、話題は尽きるところがなかった。‥‥セーヌの流れを望むムーヴレ邸には歴史家は云うに及ばず多彩な人物が集い且つ語らっていた。‥‥ぼくらはムーヴレさんとの日々の語らいから、そしてこの知的ヨーロッパの集いから、如何に多くを学んだことであろうか。パリ到着以来、殆ど第一歩から古文書解読の手ほどきを受け、ドラマールの引き方を学び、高等法院判例集の意味するところを学び、トレヴーやエクスビイーの字引の有用さを学び、そして同時にシャルトルの焼絵硝子やヴェズレエの柱頭を語りつつ夜の更けるのを忘れたのも、このオルロージュ河岸のお宅であった。これら全てを想う時、ぼくらはムーヴレ先生において、研究の厳しさと歴史への愛と人の生の歓びを身をもって示された、語の真の意味での『導き手』を喪ったことに心うちひしがれるのである。」

  著者が本書で「人間」や「歴史学」を論じるときに何を想い浮かべておられるのか、これ以上に贅言をくわえる必要はないだろう。

  だが、こうした旧きよき時代のあとには一九六八年が訪れ、また八九〜九一年が来る。二宮氏はヨーロッパ文明を愛し、それを代表する人々に愛された歴史家であるだけではない。ポストモダンを生きる現代人でもある。あたかも星菫派と見まがいそうな「人間」や「総体」を拠りどころに説き始められた本書は、M・ブロックとJ・ムーヴレ(の遺産)への讃歌を経由して、最後は人文主義の動揺(言語論的転回?)に逢着する。わたしたちもまた同時代人としておなじ問題に遭遇しているわけだ。

 こんどう かずひこ=西洋近代史 


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