文明の表象 英国山川出版社、1998)

近藤和彦

序  pp.3〜4


 
  歴史学は現在と過去との対話だという。「今」を生きる歴史家と「昔」から遺贈された史料との問答であると。であれば、問いのかけかたによって応答はちがってくる。問いを発するのは歴史家あるいは歴史書を読み考える読者だが、彼/彼女は孤立した個人としてでなく、彼/彼女がはぐくまれ生かされている社会ないし時代の一人として発問する。かくして歴史学はそれを形づくった社会の刻印をうけており、時代の変容とともに姿をかえる。歴史学も歴史像も各時代の産物である。しかし反面で、呈示された歴史像は逆に人々の集合意識に影響しかえし、思考の準拠枠をなし、これを再生産する。

  この本でとくに考えたいのは、イギリスの社会と歴史を近代化途上の日本人がどう見つめてきたか、そこには日本人の世界認識がどう反映し、また逆にその表象は彼らの考えかたをどう喚起してきたのか、そうしたことを改めて世界史のなかで振りかえってみるとどうなのか、また、わたしたちは現代イギリスと現代日本、そして現代文明をどのように見とおすことができるのか、といった問題である。

  日本の近代化はちょうどパクス・ブリタニカの時代にはじまり、その変容と同時進行した。幕末・明治から昭和のある時期まで、読み書きする人々の発想は、第一に、古代〜近世の東アジアにおける華夷秩序のなかで刻まれた中国(中華帝国)との交渉という歴史を引きずっていた。近代日本にとって中国の政治的意味は大きく転変したが、漢詩や書の素養はエリートの要件でありつづけたのである。第二に、これに同時代的与件としてくわわったのは、一九世紀のイギリス(大英帝国)を中心とする世界秩序であった。近代日本の知識人の頭のなかで、近代イギリスを頂点とする世界観・文明観は、それへの対抗をふくめて、何を考えるときにも参照の枠組をなすほど枢要な位置をしめることとなる。イギリスをどう認識するかは、その人の世界ないし文明への姿勢を要約していた。

  こうした二重の与件と正面から組みした近代知識人の代表をあげるなら、たとえば一九世紀後半の福沢諭吉、二〇世紀なかばの丸山真男である。両者ともに漢籍の素養が血肉と化し、当時最新のイギリスないし欧米の知識に通じていたことは言うまでもない。この二人の中間の世代に属する夏目金之助(漱石)もまた彼らに勝るとも劣らぬ才能と感性にめぐまれた知識人であった。夏目が二〇世紀の最初の年にロンドンの下宿でしたためた日記から次の部分を引用しておこう。

  英人は天下一の強国と思へり。仏人も天下一の強国と思へり。独乙人もしか思へり。彼らは過去に歴史あることを忘れつゝあるなり。羅馬は亡びたり。希臘も亡びたり。今の英国仏国独乙は亡ぶるの期なきか。
日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつゝあり。未来は如何あるべきか。
自ら得意になるなかれ。自ら棄るなかれ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼するなかれ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行へ。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となつて現はるべし。

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