Kazuhiko Kondo

The Church and politics in ‘disaffected’ Manchester, 1718-31,

Historical Research, lxxx, 207 (Feb. 2007), 100-123.

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以下に、いただいたコメントと応答を抜粋します。


              isawyou (20072)

私は‥‥『民のモラル』の出版直前の先生の講義が非常に強く印象に残っております。その後、民衆文化やローカルな政治文化の研究が国家統治のレベルまで射程に入れるものであることは頭では理解したつもりでしたが、共同研究も含め、お仕事が、複合国家論などのいわゆる大文字のイギリス史論へと移っていったような印象を受け、実をいうと『民のモラル』の続きが読みたいなぁという思いを抱いておりました。

そうした個人的な思いからも、再び抗争の問題が、地域・教会・政府レベルをつらぬく形で鮮やかに立体化された今回の ‘Church and politics’ は、たいへん面白く拝読いたしました。Unincorporated townとしてのマンチェスタの特殊性と、18世紀前半の普遍的な政治社会の問題とが、うまく互いを照らし出しているように思いました。また個人的には、オクスブリッジを飛び越してランベスがB.D. を授与することをめぐる論争があったことや、workhousetrust内部での3つの宗派間のポリティクスが興味深いものでした。特に、whig Anglicans dissentersが「組む」ことが与える、あるいは構築する「恐怖」の強さから、非国教徒の社会的位置づけについての、17世紀から連続する問題について思いをめぐらしました。

 

              Response (20072)

そうですか。民のモラル1993)からぼくの仕事が連続しているということは、現代の世界史1993)からの連続性とともに、自明のような気はしていたのですが、しかし、実際にはそう受けとめられているわけではない、ということですね。下で国際情報文化 さんがしたためてくださったとおり、ローカルな民衆文化、国民的な政治社会、コスモポリタンな世界(の構造)は、別個のものとしてじゃなく、関連して追及すべきだと信じています。皆さんの生まれる前の(?)1968-69年の複合情況とcontingencyの総括 → 社会運動史の課題でもあります。

標語的にいえば――講座派は間違っているけれど誠実に課題を追求しようとしてきた。労農派の目の付け所は正しいが(これまでは)粗っぽくて、ほとんどハッタリだ。

この論文に戻っていえば、デフォーの表現の剽窃もどきの巧妙さ(101)とか、近代的叙任権闘争(107)とか、地域社会で前世紀の言説(Down with the Rump)が執拗に繰りかえされるインパクト(passim)とか、ギリシャ人・ホウィグ党(敵)トロイ人・トーリ党(我々)といった表象の歴史性と文芸的公共圏のもつ意味(118123)とか、チャリティとは公益法人=財務問題だ(105114-15122)とか、本人はもぅ悦に入っています(病 膏肓、というべきだろうか)‥‥。

 


              ¶国際情報文化 (2007年1月)

    生活の場(この場合はマンチェスタ)における一見ありふれた紛争に焦点を当て、その背後にある社会の大きな変化 幾つかの系列の変化があり、互いに影響しあっている を析出するというのが、旧稿「宗派抗争の時代」から今回の原稿に引き継がれた方法論だと思います。このような方法論をとる場合、性質の異なる様々な対立や変化を未整理に羅列してもいけないし、かといってそれらを過度に整理しても現実から遠ざかってしまうという危うさがあるのですが、その点、旧稿も、今回の論文も、個々の論点を、互いに浸透しあう緩やかな層のような形で巧みに析出しているのではないか、と感じました。

             

    今回の論文ではとくに、個々の層の輪郭も、その相互関係も、旧稿以上に明確化されているように思います。その要因としては、一つには、利用されている史料の一層の充実があるのではないでしょうか。旧稿において紙幅の制約上紹介しえなかった幾つかの史料が、今回の論文では本文中に生かされています。そのため、個々の登場人物の相貌や人間関係の綾が、より明瞭に照らし出されているのだと思います(とくにバイロム)。またエリートとモブとの関係でいえば、’Down with the Rump!’ の受容をめぐる分析(p.11)は旧稿にはないものですが、私にはとくに勉強になりました。他方、数量データの方も(Table2)情報量が増しています。

             

    公私観念、宗教観念、秩序観念における社会の変動を総体として把握するために、どのような方法が有効であるのかということを今一度考えてみるに、「宗派抗争の時代」やThe Church and politicsのように、具体的な地域社会に焦点を当て、全ての変化の発現の場である人間関係を丁寧に解きほぐすことが、一つのやり方であることは間違いありません。と同時に、地域の人間関係をより大きな統治単位との関係の中で捉え直す作業も、当然必要になってきます。「連合した王国」(『長い18世紀のイギリス』)や、さらに「マンチェスタ騒擾とジョージ一世をつないだフランス語文書」(2005年史学会大会)は、そのような作業の重要な一環なのだろうと考えています。

             

    長々と書いてしまいましたが、とにかく、今回の論文から、次の仕事に向けて非常に強い刺激を受けました。私もワールドワイドなものを書くべく、頑張ろうと思います。

             

              Response (20072)

   いつも正鵠をうつコメントをありがとうございます。「このような方法論をとる場合、性質の異なる様々な対立や変化を未整理に羅列してもいけないし、かといってそれらを過度に整理しても現実から遠ざかってしまうという危うさがある(A) というご指摘は正しい。さらにまた「具体的な地域社会に焦点を当て、全ての変化の発現の場である人間関係を丁寧に解きほぐすことが、一つのやり方であることは間違いありません。と同時に、地域の人間関係をより大きな統治単位との関係の中で捉え直す作業も、当然必要になってきます。「連合した王国」(‥‥)や、さらに「マンチェスタ騒擾とジョージ一世をつないだフランス語文書」(‥‥)は、そのような作業の重要な一環なのだろう(B) と見透かされてしまうと、補うべきことは、もう何もなさそう。

 

   悔しいので、一つだけマイナーな修正をすると、「旧稿において紙幅の制約上紹介しえなかった幾つかの史料が、今回の論文では本文中に生かされています」というのだけは、違います。1988年には知らなかった史料を90年代、そして00年代に発掘して、喜々として引用しているのです。たとえば、8月の電子版ではpp.13-14(今年2月の紙媒体ではpp.112-13): ホウィグ党チェタム父子因縁の(普通法による)ジャコバイト訴追と、トーリ党による(教会法)逆訴追といった係争をしたためているとき、ぼくは、もう欣喜雀躍してるのです!宗派抗争と政治対立と、教区教会堂内にステュアート王家の紋章を維持するか、ハノーヴァ王家の紋章に付けかえるかといった文化的象徴の問題が、ここに不可分に重なって表現されている。教会史、政治史、建築史、文化史、心性史、なんて分けて考えることじたい、虚しい。

 

  たしかに電子版p.21(紙媒体でp.120)の、ウォルポール首相とその手先のホートン議員を揶揄する8行詩については前から知っていましたが(Workhouse issue, 1987, p.63で既引用)、これを上手に日本語に訳すことは至難の業なので、まだ和訳したことはありません。韻を踏まなけりゃ意味のない諷刺詩ですので、英語の文章で引用するのがふさわしい。

 

   (B) の最後で言ってくださっている点は、〈近世・近代のヨーロッパにおける政治社会〉(科研・研究成果報告書、2006)の最後 (p.132)では、やや斜に構えて、「従来別個に、ほとんど無関係であるかのように営まれてきた地域史、国民史、そしてヨーロッパ史が、じつは密接不可分であり、連携した研究が必要不可欠である」としたためました。今日の歴史学の先端?のありようへの危惧みたいなものがあるんです。貴兄が早々と感づいてくださっているのは、嬉しい。

 


AJBH (Nov. 2006)

 

Thank you for sending me your article on 18th-century Manchester, which I

have read with pleasure and admiration. It makes an important contribution

to an important subject. I was especially struck by the correlations between

religious affiliation and attitudes to social policy, welfare etc, and I was moved

to think - not for the first time - that what seems chronologically specific to

the 19th-century by we 19th-century specialists is actually part of a more

continuous tradition.

 

No doubt you have seen Martin Daunton’s reference to your amusing ‘Try Germany’

comment at the RHS in his Presidential letter to the Royal Historical Society Newsletter,

Autumn/Winter 2006.