『アメリカ史研究』 No.17 (1994年8月) pp.18-20

社会的結合と公共性
−アメリカ史の/歴史学の 新たな胎動−

近藤 和彦
2001. 1. 11 登載


  [1994年]5月13日(金)、わたしはあまり期待することなく千葉大学にむかった。ところが、20何年も前の学生時代の印象と違って構内は緑ゆたかであり、また西千葉の住宅地の街路樹ものびのび育っていて、楽しい驚きにわたしの心ははずんだ。『常識のアメリカ・歴史のアメリカ』[木鐸社、1993]をめぐる合評会では初めてお話しする機会をえた方が多かったが、討論は予想よりずっとインスピレーション豊かな方向に展開した。その夜の談論も風発し、「日本のダーントンになりたい」などという誰かの凄いマニフェストも耳にして、わたしたち酩酊集団は深夜の総武線快速電車に跳び乗ることになった。翌々15日(日)、今度は三鷹の国際基督教大学で開催された日本西洋史学会の大会で「ソシアビリテ論の射程」$ と題するシンポジウムがあった。こちらは二宮宏之氏の問題提起のあと、近世イングランドの居酒屋規制、中世フィレンツェにおける共和制と都市生活、近世パリ都市民の共属意識と公共善、といった各局面をめぐる報告がつづき、さらにコメンテータ2名の論評によって一挙に問題の地平がひろがり深まり、わたしは黙って帰ることができなくなってしまった。

  この5月の二つの会合は別個に企画されたものであり、趣旨も会衆の規模も違った。しかし、両方に出席することのできた幸運な少数者の一人であるわたしは、西千葉と三鷹の両キャンパスにおける討論の含有した共通性と、そのさなかに頭の中を往来していたがうまく表現できなかった論点を中心に、箇条書きのメモふうに書き留めておきたい。せっかく紙面を拝借しながら、未整理のまま議論がアチコチすることは申し訳ありません。『常識のアメリカ・歴史のアメリカ』について『思想』(836号)の書評ですでに記したことは一点を除いて繰り返さず、むしろ、現在およびこれからの歴史学と人文学に想いを馳せるということにしたい。

 1. 時間的には順番が逆になるが、15日のシンポジウムでの議論に先に触れておこう。こちらでは二宮氏が年来の思索をふまえて、ソシアビリテをめぐる議論の出てくる背景、その概念形成、実証研究の展開、新たな方向の模索を示された。

  個別報告のあと、会場の活気を励起したのは、コメンテータ、岸本美緒氏と牧原憲夫氏である。−「近代」像の再検討は、方法的個人主義にたいする疑問と不可分であり、これは共同体なるものに向けられた戦後史学の否定的なまなざしからの解放にもつながる。中国史の場合これは、正統史観に対抗して提起されていた谷川道雄氏の豪族共同体説と時代区分論争の批判的継承にもつながる。最近のアジア史におけるネットワーク論はヴォランタリな結合を強調する潮流に属する、という確認のうえで岸本氏は次の3点について疑問を表明された。(1)ソシアビリテ論の適用範囲。これは社会的結合の一般理論たらんとしているのか、近世ヨーロッパないし伝統的共同体が解体して新しい公共性が創出される移行期に有効な概念なのか。(2)社団が解体し、ヴォランタリな結合が生じるとしても、これが制度化し、イデオロギー化した場合はどうなのか。(3)ソシアビリテと全体秩序ないし天下国家の関係いかん。

  牧原氏の場合は、日本の近世・近代史の観点からすると、ヨーロッパ近世の民衆生活における地縁的共同性の濃密さ、そのさいに酒場が核となるらしいことがたいへん印象的であり、日本にはこれがなかったから想像的共同体の呪縛がつよいのだろうか、という指摘につづいて、日本史における酒の規制、町(八百八町)をめぐる具体的なエピソードを紹介された。

  二宮氏の説明によってソシアビリテ論の来歴はよーく分かる。が、理論的裏付けをえて今さらに入念な実証研究を蓄積していこうと提唱すべき段階なのかどうか、わたしは疑問に思う。氏が最後に「新たな方向の模索」の可能性として列挙されたうち、変容過程、外部世界との関連、表象論への展開については賛意を明らかにしておきたい。しかし、それらはもっと具体的に提起されてしかるべきだったろう。会場でわたしや柴田三千雄氏、北原敦氏が次々に立って、疑問ないし異議をとなえたのには理由がある。生得的なゲマインシャフト感覚をこえ、出身の違いや利害・信仰の対立と併存を前提に、どういった公共性が形成されてくるのかを問わねば……。さまざまの形態のソシアビリテの交錯と矛盾のなかから言説(ディスクール)として国家・階級が復権してくる……。ソシアビリテ論のそもそもの政治性……。

 2. こうした問題意識から改めて『常識のアメリカ・歴史のアメリカ』を読み直し、13日の合評会の意義を考え直すなら、この共著にも合評会にも、社会的結合と公共性をめぐって粗削りながらいくつかの方向と手がかりがすでに呈示されていた。わたしがすでに書評で記しながら、あえて繰り返す一点は、それにかかわる。共著者たちほとんど全員が、意識・無意識のうちに歴史学ないし歴史人類学の新しい潮流に棹さして、共同体的アイデンティティの動揺にともなう係争と、秩序回復の試みとしての制裁に切りこみ、あるいは歴史的変動にともなう近代的公共性を模索した人々の試行錯誤を論じようとしていたのである。この共著者たちへの連帯をもう一度表明しておきたい。

  金井光太朗氏の場合は、とりわけ理屈っぽく18世紀マサチューセッツにそくして問題を呈示していた。氏が論じるのは、共同体の一体性ないしローカルなコンセンサスの崩壊したあとのタウンにおいて、そして共和国において、利害の競合・意見の対立を前提にした新しい公共善(public good/res publica)と秩序がいかに模索され、樹立、維持されるか、である。肥後本芳男氏が企業心と公共精神を問題にされる場合も、同じことを読みとってよいだろう。金井氏の場合は、これを狭い意味でのアメリカ合衆国史としてでなく、文明史として論じる。氏は当然ながら、一定の問題意識を佐々木孝弘氏の圧縮された論考と共有している。ジョージア州における白人男性の家父長的な「有機社会」の動揺、そしてポピュリストのイデオロギーと外なる文明の脅威にたいする排外主義的なリンチ(秩序の自助回復努力)。共同体の所有物としての女、それを守るべき男の沽券、という価値観(世界観)も具体的に示されていた。ジェンダーがインディアンや黒人に置き換えられれば、鵜月裕典氏、松岡泰氏も似た問題を白人ないし国家統治の側から照射していると考えてよいかもしれない。なお、佐々木氏のリンチ、山田史郎氏の健康言説、太田和子氏のシャリヴァリは、本稿最後の論点4.にもかかわる。

  13日のコメンテータのうち笠谷和比古氏は、日本史との対照で合意の形成されかたの違いを指摘された。オスマン帝国の鈴木薫氏は、アメリカ合衆国よりはるかに大きいサブカルチャの差異を包括する、イスラムの柔らかい普遍性を論じられた。

 3. 金井氏のもう一つの論点は、単なる合衆国史にとどまらぬアングロ=サクソン史であり、また北大西洋をまたぐ啓蒙思想とホウィグ貴族の反王権レトリックの appropriation 史であろう。いやむしろ16世紀フィレンツェから18世紀末の「二重革命」にいたる、ジョン・ポーコックのいわゆる Machiavellian moment # の発展・転変史かもしれない。ルネサンスの継承としての啓蒙的文明(civilization)と公共性(res publica)→共和国(republic)を新大陸において我がものとし実現した長男=アメリカ合衆国と、旧大陸において我がものとし実現した長女=フランス共和国*。18世紀から19世紀の初めまでは、ヨーロッパを中心とした世界のさらに中心パリで展開したフランス革命こそが、政治文化における身分制の終焉、近代の確立を告知したと意識された。新大陸はまだ文明の辺境にすぎず、野卑とみられていたアメリカの実験国家が、やがて19世紀に民主主義と資本主義だけでなく、キリスト教そして社会主義に新天地を供給し、20世紀の人類の歴史に決定的なインパクトを及ぼすだろうとは、まだ二重革命の時代の人々にはよく認識されていなかった。

  このマキャヴェッリ的契機によって成りたつ啓蒙的アメリカの政治文化の合理性・普遍性と、その(世界覇権ゆえの?)専制・暴力性に、日本人としてどう立ち向かうか。このアンビヴァレンスは、金井氏一人に託しておける問題ではない。遠藤泰生氏が新たな政治史をとなえ、鈴木氏がウェスタン・インパクトの内面化されて以後の中東近代史に触れられたことの含意を、わたしはまだ十分に理解できていないが、どちらも重要にして多くを解明しうるテーマだろうことは疑う余地がない。もしや「文明としてのソ連」論とも、このあたりから対話を始められるだろうか。

  なお、6月18・19日には「欲望・規範・秩序」という魅力的な共通テーマをかかげて「中国社会文化学会」の大会が開催された。わたしはごく一部分を覗いてみただけだが、たいへん得るところの多い報告・討論が行なわれていた。大きな会場でどう対話できるか、ということとは別に、歴史学・人文学は今おもしろい地平に立っているという感を強くした。

 4. 最後に、山田氏と太田氏による言説ないし表象の分析では、「健康」や「共和国」、あるいは神父=ドイツ系教養人への制裁が、どのように人々に表象され記憶されていたか、イメージ豊かに叙述されていた。現実的存在感と意味をもってしまった「夢うつつ」の問題だという点では、ポピュリストの世界観、政府のインディアン政策、民主党の黒人戦略にも、いや共和国の主権論にも共通するところがあるだろう。山田氏は合評会でみずからC・ギーアツにならって thick description をめざしたと公言されたが、太田氏は謙虚に「覚え書」としてプロデュースしている。いずれの場合も、二宮氏が慎重に指摘するだけに留めておられるポストモダン的課題に一歩踏みこんだ試論として読みたい。
 

$ のちに、二宮宏之(編)『結びあうかたち』(山川出版社、1995)として編集刊行された。
# 参照、近藤和彦「近世ヨーロッパ」『岩波講座 世界歴史』16(岩波書店、1999)、pp.45-48, 67-75
* 参照、近藤和彦「二重革命とイギリス」『講座 世界史』2(東京大学出版会、1995)、p.252
  近藤和彦『文明の表象 英国』(山川出版社、1998)、p.151

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