2006年4月の新刊より

 

木村靖二・近藤和彦『近現代ヨーロッパ史』

放送大学大学院の教材ですが、一般に市販されています

(放送大学教育振興会、2006年、246ページ、2800円)


以下、2006年4〜5月の来信から、抜粋引用させていただきます。有難うございます。   近藤和彦


ItSさんより

 このたびは御共著『近現代ヨーロッパ史』‥‥洵に有難うございました。御自身のそれを始め内外の最新の成果を踏まえ、叙述にも工夫をこらした通史、日本とのかかわり、世界史総体の中での位置に留意しつつ、ヨーロッパ・南北アメリカ近代の史的構造を平易明快に説いた好著と拝見、興味深く読ませていただきました。

 御教示を得るところ少なからず、例えば「百科全書」に図版入りで仮名文字についての解説があるのを御高論で初めて知りましたが、先月**を訪れた折、彼の地の人々に漢字を基にした二種類の音節文字の発明の意義を力説したこともあって、この事実を小生知っていたならばと、「蒙を啓かれた」思いでありました。

 <後略>


HaMさんより

 ‥‥ご共著『近現代ヨーロッパ史』‥‥まだ全部は読めていませんが、ご担当の何章かを拝読したところです。ismについての説明や革命的ロマン主義という現象もあったと触れていらっしゃるところなど、横の広がりや多様な意味の可能性を常に呼び起こすよう配慮されていてさすがという感じ。社会主義の説明も概説ではあるけれどもおもしろくわかりやすくて、ふふふっと思わず微笑んで読み進みました。岩倉使節団や福沢諭吉の紹介などはこれまでにも伺っているのでふむふむという感じですが、でもこういう話を学生に知ってもらうのにコンパクトにかつ大事なことをもらさず触れられているのでとてもいいなと思いました。

 

 とくに日本とのかかわりは大事ですよね。実はわたしもフランスと日本とのかかわりを授業で話すとき、江戸時代のオランダとの関わり、明治の開国前後に始まるフランスとの接触から説き起こして、戦後の歴史学やその後の展開までもっていくという流れで話しています。当然ながら岩倉使節団にもふれていますし、福沢諭吉にも必ず触れるようにしています。その際、たとえば日本で初めてフランス語の辞書『仏語明要』全4巻を作った村上英俊のことや法学者のボアソナードと箕作麟祥による民法典の邦訳のことや、外交官のロッシュ、軍事顧問団の来日にも触れ、富岡製糸工場建設の際にはリヨンから技師がやってきたことや、中江兆民がフランスの小学校にはいってフランス語を習得し、ルソーの思想に出会っていった話やらにも及びます。そうそう幕末のパリ万博のことにも触れています。1867年の万博のときには、幕府からは将軍の弟徳川昭武が日本を代表していったけれど、当時は琉球や薩摩藩、佐賀藩も別々に出品していて、一国としてまとまっていなかったという話や例の渋沢栄一もこのとき行ってて、帰ってきたら大政奉還が終わっていた、なんて話をするわけです。こういう話は案外おもしろがって聞いてくれます。

 

 なんでこんなところから説き起こそうと思っているのかといえば、今という時代がどこからきてどこに行くかということを考えるための手がかりを提供したいという思いがあるからです。こうしたことは大学生ならば少なくとも認識として、あるいは精神史として知っておく必要があると考えているからですが、それだけではなく、過去の人々の体験、経験、歴史をなんとか伝承し、いまの世代に少しでも伝えていかなければ、もう草も生えないんじゃないかという状況への危機感もあります。二宮先生がリアルタイムで生きてこられたような戦後史からは今の世代は限りなく遠くなり、土地はすっかり酸化(風化)してしまっています。過去をそっくりまねても仕方がないわけですが、批判するにしろ、乗り越えるにしろ、過去の記憶を呼び戻して耳を傾けることが必要で、もう一度元気な強い芽が出てこられるように土壌に回復させなければならないのではないか。そのために、ささやかではあれ、必要なサプリメント(腐葉土)をあれこれ土にまぜ込んで耕していく、という地道な努力をしたいと思っているのです。

 

 このように言うと、はるかに後衛の位置にいるわたしまでがこんなことを言うなんて、と驚かれるかもしれませんね。でも、網野先生といい、二宮先生といい、あの偉大な世代がどんどんいなくなっていくにつけ、わたしも体験の風化ということを強く意識するようになりました。大学の状況もさることながら、土壌の質は限りなく低下しており、危機的だということでもあります。そんなわけで、少なくともわたしにわかっていることは次の世代に伝える必要がある、と考えています。

 <後略>


WaHさんより

 ‥‥早速、大変興味深く拝読いたしました。無論、知っていることも多かったのですが、このように大づかみにとらえた作品を読むと改めて様々なことを考えさせられ、 また、個別にも色々と学びました。ありがとうございました。

 なお、一読者として気になった些細な点がいくつかございましたので、あるいは御参考にでもなればと思い、以下に記してみます。

 

(1)30頁。 Lumières, enlightenment, Aufklärung と「文明開化」の意味が近いというのは、やや 誤解を招く表現だと思います。「文明開化」は、福沢諭吉がチェインバースから出版された本を『西洋事情』の続編で訳したときに、civilisation の訳語として考案した というのが定説で、明治初年の「文明開化」ブームの時も、lumières 等の語に近い意味が込められていたとは言い難いように思います。

 

(2)77頁。 大久保利通は、留学はしておりません。

 

(3)114頁。「この黒船艦隊は‥‥鉄の船で」とありますが、この時点では、戦艦でもまだ鉄 造船は例外的です。ぺりの「船隊」も2隻は汽帆船、2隻は帆船、そして4隻とも木造だったというのが普通の理解だと思います。黒かったのは塗料のためです。

 

(4)128頁。「幕末から明治に、日本人は浮世絵に特別の価値をみとめず、陶磁器などを輸出する さいの包装紙としていた。」

 1856年にフェリックス・ブラックモンが陶器のパッキングに使われていた北斎漫画を「発見」したという話は流布していますが、既に1862年にはパリのリヴォリ通りに日本美術専門店が開かれていますから、開港後すみやかに正規の輸出ルートが整ったと見るべきではないでしょうか。

 <後略>

 

R 近藤和彦より

 ありがとうございます。

 昨年8月にドタバタと取りまとめたものですから、木村さんの部分との形式的不統一に始まって、いくつも問題が残りました。お恥ずかしい次第です。なお、索引についても人名をはじめなかなか不備なままですが、こちらは編集担当者の責任で、著者は校正刷を見る機会もありませんでした。

 とはいえ、指摘してくださった4点のうち、(1)以外はすべてぼくの不注意の結果です。

 (2) 大久保について、なぜかそう思いこんでいました。執筆時に念のため The World of UCL 1828-2004, eds. N. Harte & J. North, pp. 106-7 を見たのですが、大久保の名がなく、これは編者たちの不注意だろう、などと片づけていました。ぼくの頭の中で、岩倉使節団とロンドン大学組とが一緒になってしまっていたようです。

 (3) 黒船については、ご指摘のとおりです。

 (4) これも、申し開きできません。

 (1) については、福沢およびその時代に civilization の訳語として「文明開化」が定着したことに疑義を唱えているのではありません。ただ lumières/enlightenment の訳語として「啓蒙[思想/主義]」が定着した今、日本語として「蒙を啓く」から連想される教育的性格よりは、光・開けゆくよろこび・総合科学性・普遍性の含意されている語のほうがふさわしい場合もあるな、という気持から p.30のように言ってみました。しかし、ミスリーディングかもしれません。

 

 丁寧に読んでくださり、早速にご指摘くださってありがとうございました。ご指摘を考慮しつつ、版を改めることができるなら、訂正したいと思います。


AoYさんより

 放送大学の『近現代ヨーロッパ史』‥‥ 近現代史の概説として大変勉強になりました。ただ、少しまじめに考えると、高校の世界史Bから始まって、大学の教養教育、専門教育、大学院と、いろいろなレベル設定の近現代ヨーロッパ史が想定されますが、それぞれどう書き分けるのか、あるいはそうするものではないのか、自分なりにきちんと分かっていないような気がしてきました。実際の授業では、目の前の学生のレベルという要素が強く影響するので、レベル差が外から指示されるような面があるのであまり困りませんが、テキストを、特に放送大学のように受講者の安定したレベルを想定することが難しいところで、あらためて書くとなると、どう位置取りをすればいいのか、迷ってしまいました。また、そんな話もうかがわせていただければと思います。

 最後に細かいこと2件。

 p.74中段で「従来国制を担ってきた地主貴族」のところ、わたしなら「国政」にしそうですが、こちらは意識的に国制にされたのでしょうか。

 p.226の上段の1997年のスコットランド議会成立云々のところは、事実誤認ではないでしょうか。

 

R 近藤和彦より

>大学の教養教育、専門教育、大学院と、いろいろなレベル設定の近現代ヨーロッパ史

>が想定されますが、それぞれどう書き分けるのか、‥‥

 

定まった見識があるわけではありません。放送大学大学院とは、イメージも湧きにくい。暗中模索です。

 

>「従来国制を担ってきた地主貴族」のところ‥‥

 

たしかに 国政(national politics)の実際を担っていたのは地主貴族, etc. ということも可能です。国制(constitution)とは national politics のルール・骨組、という理解です。とそこまでは言っておいて、しかし、ここを階級論ですっぱり言い切るのは無理があったと自分でも思っています。この改革の時代については同時代人が世の中の問題をどう考え、いかなる対策を呈示したか(いかなる選択肢があったか)、という世界観・イデオロギー・政策論として議論しないと、あとに続いてゆかないし、そもそも大学院の講義としては不足ですね。次の機会にがんばります。

 

> 1997年のスコットランド議会成立云々のところは、事実誤認‥‥

 

ご指摘ありがとう!


TaNさんより

『近現代ヨーロッパ史』‥‥まだ前半しか読んでおりませんが、限られた紙幅のなかにエッセンスが凝縮され、アカデミックな香りのする格調高い概説と思いました。放送大学を通じて一般聴衆がこのテキストを知的共有財産とするとなると、日本人の歴史認識は変わってくるのではないでしょうか。政治や行政に携わる人たちも、是非読んでほしいものですね。なにより私自身、要にして簡、骨太の歴史叙述の中から大いに学ばせていただきました。

 

R 近藤和彦より

ウフン。ありがとう、励みになります。でも「要にして簡、骨太の歴史叙述‥‥」とは、言外に、繊細さの足りない、大胆不敵の叙述、という含意を読みとるべきや? ちょっと心配ですが、今のところはお言葉どおり骨太に受けとめておきます。

 


KoTさんより

  「実証的」ではあってもパースペクティヴを与えてくれない論文が量産されるなか(私自身もそこに加担しているわけですが)、きちんとした概説・通史が書かれることの意味は大きい、などと当たり前のことに思い至る機会が増えてきました。活用させていただくことになりそうです。


YaYさんより

『近現代ヨーロッパ史』拝受‥‥。考えぬかれた明晰な御論でよく納得できました。社会と文化のなかでとらえられた政治を軸に歴史のダイナミックな構造が捉えられているように思いました。バリケードのことなどはご自身の体験も振り返っての記述かもしれませんが、現在という立脚点からかえり見るとき、評価の基準とバランスが変わってきて、一見ささいな記述にも大きな意味が織り込まれていることが感得されます。でもなおぼくは一知半解、ご教示を楽しみながらも御論の表相に触れえたにすぎません。‥‥

 

R 近藤和彦より

ありがとうございます。5月7日、二宮さんの会では、お変わりないお姿(フリータでしょうかNIETでしょうか)に接して、こちらも元気をいただきました。

 


 

近藤和彦  スキャンダルと公共圏