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キルギス・ウズベキスタン出張報告
小松久男(東京大学大学院人文社会系研究科・教授)

 概要

  • 調査者:小松久男(東京大学大学院人文社会系研究科・教授)、ティムール・ダダバエフ(筑波大学大学院人文社会科学研究科・准教授)
  • 日程:2008年7月31日(木)〜8月12日(火)
  • 用務地:ビシュケク、ウスク・クル地方(キルギス共和国)タシュケント(ウズベキスタン)
  • 用務先:キルギス・トルコ・マナス大学(ビシュケク)、ゼンギーアタ廟(タシュケント)

 報告

7月31日−8月12日、ティムール・ダダバエフと小松久男両名は、キルギスとウズベキスタンで「ソ連時代の記憶プロジェクト」の一環として現地調査を行った。今回の中心的な課題は、このプロジェクトのパートナーであるキルギス・トルコ・マナス大学のイルハン・シャーヒン教授およびグルジャナト・クルマンガリエワ講師と、これまでの調査結果を評価するとともに、ウスク・クル地方で新たなインタヴュー調査を行うことにあった。

現地チームは、すでにビシュケク周辺で50名のインタヴュー調査を終了していたが、今回はウスク・クル地方の東西(カラコルとケミン)でいずれもソビエト時代に多彩な人生経験をもつ6名のキルギス人から興味深い話を聞くことができた。この中には、18歳で第二次世界大戦に出征し、ベルリン攻防戦に参加した後、コルホーズ長となった男性、同じ戦争でまだ若い父親を失った後(父親の顔は見たことがない)、大学の経済学教授となった女性、帝政末期の1916年反乱やソ連時代の強制的な農業集団化政策のために東の中国領内に逃れ、60年代にキルギスに帰還した夫妻(このような人々は一般にクタイチとよばれている)、ケミン地方の小学校で前キルギス大統領アカエフを教えたことのある元教師の男性などが含まれている。現地チームは、この秋にタラスおよびナリン地方で調査を行い、その後に第一段階の成果のとりまとめを行うことになっている。



この間、8月4−7日には、ウスク・クル北岸のチョク・タルでアメリカに本拠を置く中央ユーラシア研究学会(CESS)による、初めての現地大会(Regional Conference)が行われていた。また、この大会に先立って中央アジアの若手研究者を主な対象とする社会学・人類学のセミナーが2週間にわたって開かれたという。じっさい会場には、カザフ、キルギスなどの若手研究者が目立っていた。

われわれは、キルギス・トルコ・マナス大学所属の研究パートナーが主体となった歴史部会の1セッション、Perspectives on the Past: The Kyrgyz in the 20th Century through Oral History に出席した。このセッションでは1931-33年間のキルギスにおける農業集団化に起因する悲惨な飢饉の実態をインタヴュー調査から解明したクルマンガリエワ氏の報告が印象に残る。これまでの公的なキルギス史の中では言及されず、また同時代のソビエト紙上でも完全に隠蔽されていた大規模な飢饉の事実を明らかにしたことは大きな意義を有する。



ビシュケクでは、今年逝去した著名なキルギス作家チンギス・アイトマトフの墓地を訪問した。それは市内から離れた景色のよい保養地にあるが、そこは1991年に、スターリン時代の1938年に粛清の犠牲となった127名の遺体が発掘された場所であり、その中の一人はアイトマトフの父親であった。生前、父と同じ場所に眠ることを臨んだ彼のま新しい墓は、無実の犠牲者を悼む追悼モニュメントの傍らにある。こうした事実と人々の記憶に残る「英雄」としてのスターリン像とは対極にあるが、中央アジアにはそのいずれもが実在している。

8月10日、タシュケント郊外のゼンギーアタ廟を訪ねると、猛威をふるった熱暑の終わりを喜ぶかのように、多くの参詣者が境内を満たしていた。廟の整備は10年前と比べると格段に進み、そこにひなびた古色を見いだすことはできない。



小松久男
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