報告
上記期間中、東洋学研究所に所蔵されるイスラーム宗教指導者に関するペルシア語・テュルク語写本を閲覧し、その内容について調査した。その写本は以下の通りである。
- 『ジャーミ・アルマカーマート』(写本番号No. 72)
サマルカンドにおけるナクシュバンディー教団の著名な指導者マフドゥーミ・アーザム(1542年没)の孫アブー・アルバカー・ビン・バハー・アッディーンのよって書かれたマフドゥーミ・アーザムの伝記。1617-18年に完成。
- 『アニース・アッターリビーン』(No. 3969)
16世紀のブハラのスーフィー詩人カースィム・イブン・ムハンマドにより書かれた。マフドゥーミ・アーザムの伝記を含む。
- 『スィルスィラ・アッスィッディキーン・ワ・アニース・アルアーシキーン』(No. 622)
ドゥースト・ムハンマド・ファーリーズカールによるマフドゥーミ・アーザムの伝記。
- 『ラウザット・アッリズワーン』(No. 2094)
著者バドル・アッディーン・アルカシュミーリーはブハラにおけるナクシュバンディー教団の指導者ホージャ・ムハンマド・イスラーム(1493頃−1563)に仕えた。ムハンマド・イスラームとその息子で後継者であるホージャ・サードの伝記。
- 『ナスィーマート・アルクドス・ミン・ハダーイク・アルウンス』(N0. 388)
著者ムハンマド・ハーシム・アルバダフシャーニーにより1622年に作成された、16世紀−17世紀初のナクシュバンディー教団の指導者たちの伝記。
- 『ドゥッル・アルマズハル』(No. 45)
所謂カシュガル・ホージャ家の伝記『タズキラ・イ・ホージャガーン』(もしくは『タズキラ・イ・アズィーザーン』)である。
- 『マナーキビ・シャイフ・ムスリフ・アッディーン・フジャンディー』(No. 3303)
フジャンド市の守護聖者ともいうべきムスリフ・アッディーンの伝記。
タシュケント滞在中に市内のイスラーム施設を見学した。チャールスー西方のコクチャの大通りに面してザイヌッディーン・モスクが建っている。新しく大きなモスクである。メッカ在住者の寄進によって建てられたとのこと。モスクの裏手は広大な墓地で、その端にザイヌッディーン廟がある。ザイヌッディーンはシハーブッディーン・スフラワルディーの弟子、あるいは、ユースフ・ハマダーニーの弟子という。建物の中央に大きな墓があり、その墓の前には水の入った小さな釜とお椀がある。大きな墓の左右にも墓がある。さらに廟の入り口の左右の小部屋にも、それぞれ赤い布で覆われた墓がある。この廟の建物の背後の片隅に地下室があり、ドームで覆われている。お籠もりの修行をするチッラ・ハーナであろう。
 |
 |
ザイヌッディーン・モスク |
ザイヌッディーン廟 |
 |
 |
ザイヌッディーン廟内部 |
ザイヌッディーン廟裏手の地下室 |
チャールスー北方の古い町並みを取り払って整備した区域に新築のハスティ・イマーム・モスクが大通りに面して建っており、その奥に広がる広大な敷地に宗務局、「カリフ・ウスマーンのクルアーン」を展示する博物館(ムーイ・ムバーラク・マドラサ)、バラク・ハーン・マドラサがある(本年度の小松教授とダダバエフ准教授のウズベキスタン・キルギス出張報告も参照されたい)。バラク・ハーン・マドラサの横手隅にカッファール・シャーシー廟(アブー・バクル・ムハンマド・カッファール・シャーシー、976年没)がある。ご婦人方数名が参詣に来ていた。今は壮大な広場として整備されているハスティ・イマーム区域には、かつて民家が立ち並んでいたが、その面影をしのぶことはできない。
 |
 |
カッファール・シャーシー廟 |
カッファール・シャーシー廟 |
地下鉄のアリーシェール・ナヴァーイー駅の東北方にあるシャイフ・ハーヴァンド・タフール廟(シャイフアンタウル。ホージャ・アフラールの母方親族)は2つのドームからなり、手前に墓がひとつあり、枯れた木の幹がドームまで伸びている。奥の部屋に少し小さめの大小2つの墓がある。この廟の前はマスジドであり、ちょうど昼どきで10人ほどの人が礼拝してした。年配者ばかりではなく若者もいた。同じ敷地内にはカルディルガチ・ビイ廟がある。ユーヌス・ハーン廟(モグーリスターン・ハーン国の君主、1487年没)は西隣のタシュケント・イスラーム大学の敷地内に取り込まれている。
 |
 |
シャイフ・ハーヴァンド・タフール廟 |
カルディルガチ・ビイ廟 |
 |
|
ユーヌス・ハーン廟 |
|
|
|