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第7回中央ユーラシア学会(CESS)年次大会参加記
小沼 孝博(日本学術振興会特別研究員・東京大学)

 概要

  • 日程:2006年9月28日〜10月1日
  • 用務地:ミシガン州アナーバー市
  • 用務先:ミシガン大学
  • 用務:中央ユーラシア学会Central Eurasian Studies Society(CESS)への参加

 報告


Michigan League
2006年9月28日から10月1日の4日間にわたり,中央ユーラシア学会Central Eurasian Studies Society(CESS)の第7回年次大会が,ミシガン大学(ミシガン州アナーバーAnnArbor市)で開催された。広大で緑豊かなキャンパスには,ダウンタウンとの間にはっきりとした境界がなく,街と一体になって発展してきた大学の歴史を感じさせた。会場は,ミシガン大学の象徴ともいえる,1929年創建のミシガン・リーグMichiganLeague(写真右1)であり,配布された全体プログラムによれば,28日夕方の受付と歓迎レセプションの後,29日から1日までに,歴史・文化(HC)16,政治(PO)23,社会(SO)22の合計61のセッションが組まれ,パネリストは251人にも上った。ただし,当日になってキャンセルされたセッションや報告者全員がそろわなかったものがいくつかあった。以下,私が出席したセッションの概要を,若干の感想を交えて述べ,参加記としたい。なお,当日に題目を変更した報告もあったが,すべてプログラムにしたがって記した。


■ HC-09: Historical Roles of Islamic Saints in Central Asia

 Chair: Hisao Komatsu
 Discussant: Minoru Sawada
 Panelist:
  • Yayoi Kawahara, “The Life and Activities of Khwaja Hasan in Western Turkistan”
  • Jun Sugawara & Yasushi Shinmen, “A Historical Source of the Afaqi Khwajas under Qing Rule: On Scroll Prov. 219 of the Gunnar Jarring Collection, Lund University Library, Sweden”
  • Akifumi Shioya, “The Rebellion of Yusuf Khoja Kashghari”
Historical Roles of Islamic Saints in Central Asia
このセッション(写真左)は,司会・ディスカッサント・報告者がすべて日本人研究者からなり,本プロジェクト・イスラーム地域研究のグループ1「中央ユーラシアのイスラームと政治」における研究成果報告の一環を兼ねていた。各報告は,すべて17-19世紀の中央アジアで宗教的・政治的権力をふるったホージャ一族(Makhdum-zada)のアーファーク統の歴史的役割に関するものであった。菅原・新免報告は,ルント大学ヤーリング・コレクションの中にある,清朝征服期の東トルキスタンの様子を伝えるユニークな写本史料を取り上げ,そこに描かれているアーファーク統ホージャや彼らに従ったベクらの言動を考察した。河原報告は,アーファークの息子の一人であるホージャ・ハサンの伝記という性格を持つ民間所蔵史料をもとに,西トルキスタンにおけるホージャ・ハサンの活動を検討した。アーファーク統の立場から記された史料は少なく,両報告の内容は研究史上における欠を補うものである。塩谷報告は,清朝によって駆逐されたアーファーク統ホージャの子孫であるユースフ・ホージャが,トルクメン集団のカージャール朝に対する戦争に参加し,求心力を発揮していたことを指摘した。以上の各報告に対する澤田のコメントの中にあった,「なぜアーファークの子孫だけが,巨大な政治勢力に対する反乱・抵抗において,重要な役割を果たし得たのか」という発問は,今後究明すべき課題となろう。また,質疑応答では,史料にもとづく各報告の研究手法・内容を評価する声が挙がり,日本の中央アジア史研究に対する関心の高さを窺わせた。


■ PO-01: Politics and Cultures in Xinjiang

 Chair: Arienne M. Dwyer
 Discussant: [TBD]
 Panelist:
  • Amir Saidula, “Tajiks of Xinjiang China: Formation of Historical and CulturalIdentity”
このセッションは,新疆の諸民族の文化・言語・アイデンティティーに関するものであったが,報告者のBaki氏とKamalov氏が不参加となり,Saidula氏が一人,中国新疆の「タジク族」に関する報告をおこなった。氏は,先ず中国の少数民族の「タジク族」が歴史的には「タジク」の範疇に含まれず,「タジク」から「パミーリー(パミール人)」,或いは「サリコリー(サリコル人)」と呼ばれる存在であったことを強調し,次に今日彼らが東においては中国(漢族),西においてはタジキスタンという政治的・文化的マジョリティーに挟まれ,複雑且つ微妙な立場に置かれているという現状を述べた。ディスカッサントも未定のままであり,やや寂しいセッションとなったが,逆に余ってしまった時間を用いて活発な議論が交わされ,席上から「タジク族」に対する言語教育やイスマイリー派の教主アガ・ハーンとの関係などについて質問が飛んだ。


■ PO-04: The Future of Uyghur Nationalism in Turkistan/Central Asia

 Chair: Tugrul Keskin
 Discussant: Dale Wimberley
 Panelist:
  • Dilber Kahraman Thwaites, “Women of Power in Uyghur Arts and Literature”
  • Ondrej Klimes, “Creating Modern Uyghur Identity: Adoption of Soviet Ethnic Policy”
  • Rian R. Thum, “The Apaq Khojas Shrine in Uyghur Historical Discourse”
  • Arinne M. Dwyer, “Nationalism One World at a time: Language Purification in the Uyghur Exile Community”
このセッションは,言語・文学等を通じてウイグル・ナショナリズムの動態・静態の把握を試みようとするものであった。Thwaites報告は,作家ズヌン・カディル(1912-1989)が各作品の中で描くヒロイン像が時勢の影響を受けつつどのように変化したのかを追った。Klimes報告は,ソヴィエトから強い影響を受けた1930年代の盛世才の民族政策を整理。現在,ウイグル族の範疇にあるロプ・ドーラン・マチン・アブダルら小集団を取り上げた点で興味を覚えたが,やや概説的な内容であった。Thum報告は,カシュガル郊外のあるアーファーク・ホージャのマザール,及びアーファークを取り上げた現代小説の内容を通じて,ウイグル・ナショナリズムの具体像を透写せんとするものであった。ウイグル族社会の中で,「アーファーク=民族の裏切り者」という評価が固まっているという指摘があったが,この点に関して,かつて私もカシュガルのあるウイグル族から,「アーファークは“ウズベク族”だから,大半のウイグル族は嫌いである」という発言を聞いたことを思い出した。Dwyer氏は,Radio Free Asia(RFA)におけるウイグル語と新疆人民広播電台の番組におけるウイグル語との間に,発音・語彙・表現の差異が見られることを,具体例を挙げつつ述べた。全体的にまとまりがあるセッションだったが,であるが故に,ウイグル・ナショナリズムの存在を前提として議論が展開される傾向が見られ,ウイグル・ナショナリズムとは何なのか,どのようにして形成されたのか,という根本的な問題が避けられている点がやや気になった。例えば,日本人セッション(HC-09)で指摘されたアーファーク統の歴史的役割と,今日におけるアーファーク・ホージャへの評価は,明らかに対蹠的である。この評価の逆転過程を丁寧に説明していくことは,まさにウイグル・ナショナリズムの本質を突くことになるのではないだろうか。


■ HC-05: Precursors of National Identity in Central Asia, 19th to Early20th Century

 Chair: Virginia Martin
 Discussant: Ron Sela
 Panelist:
  • Victoria Clement, “Collecting the Fragments: British Sources on TurkmenTribal Unification”
  • Nathan Light, “Mulla Musa Sayrami on the Relations of Chinese and East Turkistan History”
  • Daniel Prior, “Tribal Chiefs, Epic Poetry, and the Roots Kirghiz Nationalism”
  • Steven Sabol, “From Bandit to National Hero: Reinterpreting the Kenesary Kasymov Revolt in Kazakhstan”
このセッションは,一部分だけの参加であり,すべての報告を聞くことはできなかった。
Light報告は,ムッラー・ムーサー・サイラミーとその著作であるTarikh-i AmniyyaTarikh-i Hamidiを取り上げたものだった。歴史学というよりも文学の視点からサイラミーの著作に注目しているようだったが,いずれにせよ新鮮味を欠く報告であった。おそらく,自己の研究対象の紹介というスタンスだったのだろうが,独自の見解と呼べるものはなかったような気がする。Prior報告は,ムーサー・チャガタイェフ(?-1909/10)の四つの詩から,キルギス民族の精神的支柱となる英雄・物語の創出を希求する彼の心理状態を丁寧に読み取り,そこにキルギス・ナショナリズムの端緒を看取しようとした。席上には,中央アジア出身の研究者が多く見受けられ,積極さのあまり司会者に発言を制止される場面も見られた。


■ HC-07: Chinese Turkistan in the Colonial Period

 Chair: Scott Levi
 Discussant: Scott Levi
 Panelist:
  • James Millward, “Early Modern Turkistan and the ‘Decline of the Silk Roads’Thesis”
  • David John Brophy, “Political Rhetoric in Eighteen Century Xinjiang: A Fresh Look at the Tazkira-i Azizan”
  • Takahiro Onuma, “The Political Relationship between the Qing Dynasty and Kazakh Nomads”
このセッションは,東トルキスタン・新疆近世史にスポットを当てたものである。近現代史に比重を置いた「新疆史」の概説書Eurasian Crossroad: A History of Xinjiang (Columbia University Press) の出版をひかえるMillward氏は,16世紀以降の「シルクロード」の衰退という理解に対して,あらためて批判をおこなった。検証は未完とのことであったが,実際に交易に従事した商人たちの活動やネットワークを具体的に復元できるかが,説得力を高める関鍵であると思われる。David報告では,17世紀末〜18世紀中葉の東トルキスタン史を考察する上での数少ない史料であるTazkira-i Azizanを精読し,清朝の侵入はアーファーク統に対する神の制裁であった,という修辞法が巧妙に織り込まれていると主張。さすれば,清朝に協力して上級官職を得たベクがパトロンである本書は,彼らが清朝支配を受容したことの正当性を主張せんがために執筆されたものなのではないか,という見解を示した。小沼報告は,満洲語・オイラト語・チャガタイ=トルコ語の文書史料を利用して清朝とカザフ遊牧民との政治交渉を検討し,両者間の政治的関係が,儒教的世界観にもとづく宗藩関係ではなく,モンゴル遊牧社会に由来する「エジェン─アルバト」関係にもとづいて成立していたと指摘し,さらにその「エジェン―アルバト」関係が,皇帝と官僚との共通認識の下,政策実践の論理的根拠として機能していたことを例証した。多くの聴衆を集めたが,セッションとしてのまとまりにはやや欠けていた感があった。

以上,簡略且つ部分的ながら,CESS年次大会の概要を記した。大会全体としては,主催者側の運営力とミシガン大学の協力により,成功を収めたといえる。それぞれのセッション・報告においては,報告者の研究関心・研究対象の披露という性格のものが多かったが,その中で,史料・事例の精緻な分析にもとづく日本人の研究は一定の評価を得ることができたと思う。と同時に,そのような研究姿勢を志す意識が,欧米・中央アジア出身の,特に若い世代の研究者の中で確実に高まりつつあることを感じた。私個人としては,そのような人々と本大会への参加を通じて交流し,意見交換ができたことは,大きな収穫であった。また,今回のように,国際的な学会に日本人研究者が共通したテーマでセッションを組織して参加することは,海外への研究成果の発信・アピールの手段とし非常に有効である。そして,それを本プロジェクトが推進・支援していくことは十分に意義が認められるところであると思う。来年の年次大会は,ワシントン大学で開催されるとのことである。
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