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国際シンポジウム「アブデュルレシト・イブラヒムとその時代―トルコと日本の間の中央ユーラシア空間―」 ABDÜRREŞİT İBRAHİM ve ZAMANI: TÜRKİYE ve JAPONYA ARASINDA ORTA AVRASYA ALANI SEMPOZYUMU報告
小松久男(東京外国語大学)

 概要

  • 日時:
    • 2014年5月24日(土)
      会場:早稲田大学早稲田キャンパス小野記念講堂(27号館)
    • 2014年5月25日(日)
      会場:ユーヌス・エムレ・センター東京ジャーミー・ホール
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点、早稲田大学重点領域研究機構アジア・ムスリム研究所、アンカラ大学、アタテュルク文化・言語・歴史高等研究機構、トルコ歴史協会
  • 共催:早稲田大学イスラーム地域研究機構
  • 後援: Yunus Emre Enstitüsü / Tokyo Kültür Merkezi、東京外国語大学国際日本研究センター、東洋大学アジア文化研究所、在日トルコ共和国大使館
  • ※2013年度サントリー文化財団「人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成」による開催

 プログラム

【プログラム】

2014年5月24日(土)

9:30 開場

10:00-10:30
  • 開会挨拶:小島宏(早稲田大学アジア・ムスリム研究所長)、Erkan İbiş(アンカラ大学学長)、H.E. Ahmet Bülent Meriç (駐日トルコ共和国大使)
  • 趣旨説明:小松久男(東京外国語大学)
10:30-12:30 第1セッション:アブデュルレシト・イブラヒムとその時代
  • 司会:小松久男(東京外国語大学)
  1. Neslihan Arul Aksoy (Abdürreşit İbrahim’in Torunu-İzmir): Abdürreşit İbrahim'den Geride Kalanlar.
  2. 山﨑典子(東京大学): Abdürreşid İbrahim’s Journey to China: Muslim communities in the late Qing period as seen by a Russian-Tatar intellectual
  3. M. Ertan Gökmen (Ankara Üniversitesi): Abdürreşit İbrahim'in Seyahatnamesine Göre Kore.
  4. A. Merthan Dündar (Ankara Üniversitesi): Abdürreşit İbrahim Hakkındaki Polis Kayıtları Üzerine.
12:30-13:30 昼休み

13:30-15:30 第2セッション:ロシア・ムスリムの民族運動・トルコと日本の中央ユーラシア政策
  • 司会:松長昭(笹川平和財団)
  1. Abdullah Gündoğdu (Ankara Üniversitesi): Rusya Müslümanları Yenileşme Çizgisinde (Cedidizmde) İsmail Gaspıralı ve Abdürreşid İbrahim Üzerine Karşılaştırılmalı Bir Zihniyet ve Usûl İncelemesi.
  2. Alper Alp (Gazi Üniversitesi): İsmail Gaspıralı'nın Ceditçilik Programı Çerçevesinde Bir Ceditçi Olarak Abdürreşit İbrahim.
  3. 澤井充生(首都大学東京): Is Turkish Muslim ‘Uthman a “da‘i” or “intelligence agent”?: “Collaboration” between Japanese Army and Muslim minorities in China
  4. İsmail Türkoğlu (Marmara Üniversitesi): Türkistan'da Hayali Japon Casusları (1920-1937).
15:30-16:00 コーヒー・ブレイク

16:00-18:00 第3セッション:タタール移民と日本
  • 司会:店田廣文(早稲田大学)
  1. Larisa Usmanova (Kazan Federal University, Russia): Tatar Emigrants' Next Generation in Japan: Children of Different Cultures.
  2. 沼田彩誉子(早稲田大学/ボアジチ大学): Re-migration of the Tatar immigrants from the Far East (tentative)
  3. 福田義昭(大阪大学): Kobe Mosque and the Local Muslim Community: From Their Beginnings to the Aftermath of WW II
  4. 小野亮介(慶應義塾大学): Turancılığın Üçgeninde Bir Muhacir Alimcan Tagan: Japonya, Macaristan ve Türkiye.
5月25日(日)

10:00-12:00 第4セッション:アブデュルレシト・イブラヒムとその著作
  • 司会:三沢伸生(東洋大学)
  1. Mustafa Balcı (Yunus Emre Enstitüsü): Âlem-i İslâm’ın Üslup ve Anlatımı Üzerine.
  2. İbrahim Maraş (Ankara Üniversitesi): Abdürreşit İbrahim’e Göre Müsülmanların Geri Kalma Sebepleri.
  3. Asiya Rakhimova (Kazan Federal University, Russia): Abdurreşid İbrahim'in 'MİR’AT' almanahı (mecmuası)
  4. İhsan Demirbaş (Kazan Yunus Emre Merkezi): Abdürreşit İbrahim’in Orenburg Ruhani İdaresindeki Görevi ve Faaliyetleri.
12:00-12:20 閉会挨拶 
  • Telat Aydın (東京ユーヌス・エムレ・トルコ文化センター長)
  • Derya Ors(アタテュルク文化・言語・歴史高等研究機構長)

 報告

ロシア帝国領内、西シベリア出身のアブデュルレシト・イブラヒム(1857-1944)は、19世紀末から20世紀初めにかけてロシア・ムスリムの政治・社会運動を指導した著名なムスリム知識人であり、1908-1909年にユーラシアを広く巡った旅行家としても知られている。その大旅行記『イスラーム世界―日本におけるイスラームの普及』は、彼の名前を不朽のものとした。とりわけ彼の日本訪問は、明治末期の日本人がイスラーム世界に関心をもつ契機となり、アジア主義の指導者たちはイブラヒムと親交を結んだ。ロシアを離れた後は、オスマン帝国を中心に「イスラームの統一」のために尽力し、ロシア革命とトルコ革命で活動が困難になると、1933年以降は東京にわたり、日本の対イスラーム政策に協力しながら、列強支配下のイスラーム世界の解放を構想した。第二次世界大戦中に東京に没したイブラヒムは、いま東京の多磨墓地に眠っている。

イブラヒムの名前は、1917年のロシア革命によるソヴィエト政権の成立、オスマン帝国の滅亡とトルコ共和国の成立、大日本帝国の滅亡という世界史的な事件のために、長く忘れられていた。彼の名前が想起されるようになったのは、ちょうどソ連末期のペレストロイカ時代のことである。トルコでは1987年にメフメト・パクス氏によるイブラヒムの大旅行記の現代トルコ語版が刊行された。またソ連の解体にともなってタタール人など旧ソ連領内のトルコ系諸民族への関心が高まり、さらに日土関係や日本近代史への関心の高まりも加わってイスマイル・テュルクオール准教授やセルチュク・エセンベル教授をはじめとして、イブラヒムに関する研究は急速に進展した。この間、パクス版に見られた誤りや改変を正し、原著に忠実な現代語版をめざしたエルトゥールル・オザルプ版も刊行されている。

ソ連解体後のタタルスタン共和国では、ソ連時代に「汎イスラーム主義者」などとして断罪されてきた近代のムスリム知識人の再評価が進み、イブラヒムにも関心が寄せられるようになった。『タタール百科事典』(カザン、1999年)には彼の項目が立ち、最近では彼の著作の一部に帝政期の関係文書史料、内外の研究論文を収めた一書が、故ミルカシム・ゴスマノフ教授らによってタタール著名人シリーズの一巻として刊行されている。

日本では1991年にイブラヒムの旅行記のうち、日本の章を翻訳した『ジャポンヤ』の刊行が一つの契機となり、戦前日本のイスラーム政策や日土関係、タタール人移民、さらにはアジア主義に関する研究の進展にともなって坂本勉教授や松長昭氏、三沢伸生教授らによる一連の研究成果が刊行されるようになった。2013年にはNIHUプログラム・イスラーム地域研究による「イスラーム原典叢書」(岩波書店)の1冊として『ジャポンヤ』の増補改訂版が刊行されている。この間、アンカラ大学のメルトハン・デュンダル准教授が日土関係について精力的な研究を進め、日土間の共同研究が進展したことも注目に値する。また、フランスではトルコ近代思想史研究者のフランソワ・ジョルジョン教授らによる『イスラーム世界』のフランス語抄訳が刊行され、ドイツでもセバスティアン・ツウィクリンスキ氏が博士論文を執筆している。イブラヒムに関する研究は、いまや世界各国で大きく進展しつつあると言ってもよい。

とくにイブラヒムへのまなざしが大きく変わりつつあるのはトルコである。2012年5月にはメルトハン・デュンダル准教授の企画により、コンヤ(セルチュク大学)で「日土関係の画期点におけるアブデュルレシト・イブラヒム」と題する国際シンポジウムが開催され、同年中にその報告集が刊行されている。これはひとえにシンポジウムの準備と運営にあたられた故メフメト・アリ・アルパジュ氏の尽力のたまものである。今回の東京シンポジウムは、このコンヤ・シンポジウムと対をなすものである。

今回のシンポジウムは、以上のような最近の研究動向を受けて、イブラヒムの思想と活動をより広く、大きな歴史的構図の中で考えてみようというアイデアから出発した。トルコと日本との間に広がる中央ユーラシアという広大な地域を設定したのはこのためである。もとより、ここはイブラヒム自身が巡った地域にほかならない。

なお、初日の会場、早稲田大学は、1909年2月イブラヒムか訪問し、創設者の大隈重信と親交を結んだ場所である。二日目の会場、東京ジャーミイは、1938年に創建され、イブラヒムが初代イマームを務めた東京モスクを受け継ぐものである。いずれもイブラヒムの活動にちなんで選ばれた。

シンポジウムの開催にあたり、小島宏教授(早稲田大学アジア・ムスリム研究所長)、エルカン・イビシュ教授(アンカラ大学学長)、デリヤ・オルス教授(アタテュルク文化・言語・歴史高等研究機構長)、駐日トルコ共和国大使アフメト・ビュレント・メリチ閣下から挨拶をいただき、実行委員会を代表して小松久男教授(東京外国語大学)からシンポジウムの背景と趣旨の説明が行われた。

       
 小島宏教授の
開会挨拶
 エルカン・イビシュ・
アンカラ大学学長の挨拶
 デリヤ・オルス教授の
開会挨拶
アフメト・ビュレント・メリチ
駐日トルコ共和国大使の挨拶 


第1セッション「イブラヒムとその時代」では、令孫のネスリハン・アクソイ氏からイブラヒムのソヴィエト・ロシアからの脱出劇や息女フェヴジイェ・ハヌムの教育啓蒙活動、祖父に寄せる家族の想いが語られた。あわせてアクソイ氏編のイブラヒム家写真集も披露された。続く山﨑典子氏とエルタン・ギョクメン准教授の報告は、それぞれ中国と朝鮮におけるイブラヒムの旅行記を取り上げ、そのユニークな観察が評価された。山﨑報告は戦前日本の対中国ムスリム工作にも関わるものであった。メルトハン・デュンダル准教授は、1920年代後半以後のイブラヒムに関するトルコ公安当局の報告を紹介し、その史料としての有効性を指摘した。氏によれば、イブラヒムの自叙伝(1885年までを記述)の現代トルコ語版を年内に刊行するとのことである、

 
 第1セッションから1  第1セッションから2


第2セッション「ロシア・ムスリムの民族運動・トルコと日本の中央ユーラシア政策」では、前半でアフドゥッラ・ギュンドードゥ教授とアルペル・アルプ助教が、イブラヒムとその同時代人でロシア・ムスリムの改革運動(ジャディード運動)の創始者として名高いイスマイル・ガスプラル(ガスプリンスキー)との比較と連関を論じた。質疑では、反ロシア的言動の激しさ(イブラヒム)が両者の大きな違いとして指摘された。後半では、澤井充生助教が戦前日本の回民工作を調査する過程で発見したアンカラ生まれのトルコ人オスマンの活動を取り上げ、彼はイスラームの宣教者であったのか、それとも日本の協力者だったのか、という興味深い問題を提起した。対してイスマイル・テュルクオール准教授は、20世紀初頭のロシア・ムスリムの間に見られた日本に対する高い評価と、スターリン時代の1930年代に「日本のスパイ」という無実の罪で粛清されたムスリム知識人について報告した。ちなみに、20世紀初頭のカザフ知識人の日本観については、宇山智彦「カザフ知識人にとっての<東>と<西>」塩川伸明・小松久男・沼野充義・宇山智彦編『<東>と<西>』(ユーラシア世界1)東京大学出版会、2012年に興味深い分析がみられる。

 第2セッションから1  第2セッションから2


第3セッション「日本におけるタタール移民の活動と日本」は、早稲田大学アジア・ムスリム研究所の企画であり、前半ではラリサ・ウスマノワ氏と沼田彩誉子氏が、ロシア革命後日本にわたったタタール移民の第二世代についてきわめて具体的な考察を行った。こうした事例をタタール人の数世紀にわたるディアスポラの歴史の中で検討するとどうなるだろうか。後半では、福田義昭准教授が創建から第二次世界大戦期までの神戸モスクとそのムスリム・コミュニティに関する詳細な報告を行った。世界に開かれた神戸モスクの定点観測から現代史の展開をたどることができるのは興味深い。小野亮介氏は、ロシア革命後国外に亡命し、日本、ハンガリー、トルコを舞台にトゥラン主義の活動を展開したアリムジャン・タガン(1892-1948)に光をあてた。彼の活動をより大きな同時代の構図の中で考察することが期待される。

 第3セッションから1  第3セッションから2  第3セッションから3


二日目の第4セッション「アブデュルレシト・イブラヒムとその著作」は、ふたたびイブラヒムに焦点を合わせ、ムスタファ・バルジ氏は、『イスラーム世界』の叙述の巧みさを実例を挙げながら論じ、イブラヒム・マラシュ准教授は、イスラーム世界はなぜ発展に遅れをとったのか、に関するイブラヒムの議論を分析した。イブラヒムもまたワッハーブ派やサラフィー派に対する批判や警戒の論説を書いていることは興味深い。この問題については、イブラヒムと同時代のタタール人ウラマー、リザエッディン・ファフレッディン(1859-1936)やムーサー・ビギエフ(1875-1949)らも論及しており、今後の実証的な研究が期待される。アスィヤ・ラヒモヴァ准教授は、イブラヒムが1900-1909年の間にサンクトペテルブルクとカザンで刊行した『ミルアト(鏡)』誌を取り上げ、それが雑誌と同等の影響力を発揮したことを指摘し、イフサン・デミルバシュ氏は、オレンブルグ・ムスリム宗務協議会におけるイブラヒムの活動について報告した。

シンポジウムは、テラート・アイドゥン氏とデリヤ・オルス教授の挨拶で閉会し、その後、一同は多磨墓地への墓参を行った。

以上のように、本シンポジウムは、イブラヒムとその時代に関するトルコ、タタルスタン、日本における最新の研究成果を集約するものであり、これを機会に中央ユーラシアの近現代史研究がさらに前進することが期待される。イブラヒムに関する第3回の国際シンポジウムは、来年カザンで開催される予定である。
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