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「一国家解決案を考える 〜無駄な追求か今の現実か?」 ライラ・ファルサハ氏は、一国家案を理想主義ではなく、現実的に導入可能な解決策として論じた。一国家案は、イスラエル建国以前からある発想であり、歴史的に、誰からの支持があり、どのように提案されてきたのか述べた。 ファルサハ氏の提案する一国家案では、イスラエル・パレスチナ双方をまとめ、1つの民主国家として、全ての市民の平等な権利を保障する国家となる。国家の形態として、アメリカを例に挙げながら、各州が独自の法などを持つが、全体として1つにまとまることを目指す。そして、パレスチナ人の帰還権を認める。これは、必ずしもパレスチナ難民が帰還することではなく、パレスチナ人、イスラエル人双方の移動の自由、権利を認めることが重要であると主張した。ヨルダン川西岸やガザにおける抵抗運動で、求められているのは、独立国家そのものではなく、移動の自由など彼らの権利の保障である。ファルサハ氏は、権利の保障に単一民族の国家は必要ではないと論じる。そして、パレスチナの現状に関して、短期的に抑え込む事は可能だが、長期的解決にはならないとした。 「一国家か二国家か 〜幻想とレアル・ポリティーク」 一方、ロン・プンダク氏は、二国家案が唯一の解決策であると論じた。始めに、彼は現在のイスラエル国家の存在が、迫害されてきたユダヤ人の心の拠り所となっていることを、彼の祖父が経験したポグロムや、プンダク家が辿った歴史を通して語った。プンダク氏の提案する二国家案は、国連決議242号を原則としている。国境は1967年ラインに設定、イスラエルによる占領を終結させ、西岸にある入植地は全て撤退する。彼は、ガザと同様、入植地の撤退は可能であるとする。二国家の形態として、例にベネルクスを挙げ、それぞれ独立した国家だが、協調して動くことができるものとした。二国家案を支持する理由として、境界がはっきりしているため、双方にとり脅威がなくなる、二つの国家として、通常に生活できる、一国家案は、イスラエルは建国の根本的な理念に反しており、代案には成りえない点などを挙げた。プンダク氏は、仮に一国家案が導入された場合、アナーキーに陥り戦争を招き、その結果二国家案に戻ることになるとした。そして、二国家案導入のための時間は限られており、可能な限り早く導入すべきとした。 文責:小井塚千寿(東京外国語大学博士前期課程1年)当初の予定とは違い、プンダク氏の講演終了後すぐさまファルサハ氏が登壇し、プンダク氏の議論に疑問を投げかけることから全体討論は開始された。二民族の共存不可能性や国家が維持すべき(同質的)ナショナルアイデンティティの問題を理由に、ユダヤ人、パレスチナ人を単位とした民族国家建設を、パレスチナ紛争解決のための最良の方法とするプンダク氏の議論に対し、ファルサハ氏は、他国では両者が特に問題なく共存している現状について述べ、住民の多様な文化やアイデンティティへの尊重と自由が保障されるか否かが重要な問題であり、それを否定するシオニズム的思考こそが紛争解決の一番の障害であると論じた。さらに、既に不均衡な力関係が存在するパレスチナ/イスラエルの「一国家的現実」を鑑みるに、別々の国家ではパレスチナ人の権利や民族間の平等の達成は困難であるとするファサルハ氏に対し、プンダク氏は、一つの国家になることでパレスチナ人への差別が増大することへの危惧を示す。一方、コメンテーターの錦田氏は、プンダク氏のいう政治家本位の政治的「リアリズム」について民主主義の観点から疑義を呈するとともに、現実にはパレスチナ人難民が希望しているのは帰還という選択ではなく第一にその権利自体を求めていることを指摘した。その上で、住民の生活を包括的に保障する市民権概念などを基盤とした難民の権利保障についてまず議論すべきである。そのために、二国家論/一国家論という抽象的な論争ではなく、まず二民族共存のための具体的な個々の政策で両者の主張に共有できる部分を探ることはできないか。という建設的な共通の議論枠組みの構築に向けたコメントが寄せられた。これを受けて、議論は将来の国家像やパレスチナ難民の帰還を巡るテーマ等へと向かった。その中で、問題解決のための現実的・具体的議論を阻むシオニズムを批判するファルサハ氏に対し、今日のイスラエルの世論や政治状況を考慮した「現実的判断」からプンダク氏はパレスチナ難民の帰還について悲観的な見方を示すのであった。 その他、フロアからも二人の講演者に対し、多数の質問が寄せられ、経済と占領政策や和平を巡る世論の関係、マジョリティの政治によらない民主主義、教育問題と社会意識などそのテーマも非常に幅広くまた深いものであった。このように講演者の二人を中心にコメンテーターやフロアを巻き込んだ非常に白熱した全体討論をもって、「オスロ合意再考」についての一連の国際ワークショップ最終日は締め括られた。 文責:吉年誠(一橋大学・社会学研究科・助手) |