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第32回中央ユーラシア研究会特別講演会報告 
植田暁(東京大学大学院人文社会系研究科)

 概要

  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点
  • 日時:2013年3月5日(火) 午前11時〜
  • 会場:東京大学本郷キャンパス・法文1号館217番教室
  • 講師:Bayram BALCI氏(Visiting Scholar at Carnegie Endowment for International Peace, Washington DC)
  • 演題:Islam in Azerbaijan between Turkish Sunnism and Iranian Shia Influences[英語・通訳なし]
  • 司会:小松久男氏(東京外国語大学特任教授)

 報告

ソ連崩壊以後、多くの旧ソ連諸国でイスラームの復興が起こったが、カフカースにおけるイスラーム復興における主要な外部要因は、トルコからのスンニ派、イランからのシーア派、アラブ世界からのサラフィー主義の三つであった。

トルコは公的な活動として宗教関連機関の支部をカフカースに開き、出版活動や宗務官僚の養成を初めとした活動を展開している。民間ではサイード・ヌルスィーを祖とするヌルジュから派生したグループの一つが特に教育分野に積極的に進出している。また独立以降、ナクシュバンディー教団の進出も進んでいる。トルコの大学でイスラームを学んだ留学生の存在も世俗国家と親和性の高いトルコ型のイスラームの普及に貢献している。

イランに関して注目すべきは、歴史的にイランのシーア派とアゼルバイジャンのシーア派が近しい関係にあることである。カフカースにおいてイランの文化センター及びその関連組織はイラン型イスラームの普及に努めた。さらにイランからの民間の布教活動はより活発だった。イランによるシーア派イスラーム復興は、特に1990〜1995年にかけてアゼルバイジャン南部および同国の飛び地であるナヒチェヴァン自治共和国において大きな成果を上げた。シーア派イスラーム法学の権威であるマルジャエ・タクリードの影響力やアゼルバイジャンからイランへの留学生の存在も重要である。

アゼルバイジャンではトルコとイランの競合の結果、国内のスンニ派とシーア派の間に分断が生じた。アゼルバイジャン政府はイランとトルコの影響から距離を置き、国家による管理が可能なイスラームの創出を目指している。グルジアのアジャリア地方ではスンニ派が多数を占め、トルコの影響が強い。グルジア国内のアゼリー人地域のイスラームへの対応においてグルジア政府はアゼルバイジャン政府との協力関係を結んでいる。ロシアは90年代以来トルコ型のイスラームと良好な関係を保っていたが、近年急速に関係は悪化している。

かつて世俗化されたソ連社会において人々はシーア派とスンニ派の差をほとんど意識せず、宗教的というよりはむしろ文化的なアイデンティティーとして自身をムスリムと見做していた。イスラーム復興におけるイランとトルコの関与はカフカースのシーア派とスンニ派の違いを顕在化させた。各国政府はこの多様化への対処を迫られたが、各国政府、特にアゼルバイジャン政府は国家によって管理可能なイスラームの創出を目指している。しかし各国政府は時としてイスラームの多様化と宗教的自由について十分な配慮を欠いているように思われる。
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