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パレスチナ/イスラエルという地域をめぐっては、さまざまな関わり方があり得る。この度の研究会では、パレスチナにおけるインティファーダ(民衆蜂起)という共通のテーマを扱いながら、研究と報道という異なる分野の専門家の間で、方法論の異なるアプローチによりどのように事象を分析可能か、その比較を試みる。また各々の知見を深め合い、ネットワークの共有により情報資源を活用する可能性について考える。 |
鈴木啓之ならびに錦田愛子による研究発表の後に、パレスチナ/イスラエルに長年かかわり、ジャーナリスト、映画監督としても著名な土井敏邦氏よりコメントを受ける形をとった。 鈴木報告では、1987年の大衆蜂起インティファーダにいたる歴史的過程とインティファーダの変容に関して、一次資料をもとに考察を加えた。このなかでは、被占領下で活発化した組織活動(福祉団体や労働組合、学生団体など)が大衆蜂起へ至る過程を述べ、指導部の存在によって1987年のインティファーダは、それ以前の短期間の蜂起と区別されることを論じた。会場からは、イスラーム主義学生団体の台頭の詳細に関する質問や、1936年のアラブ大反乱との類似性を指摘するコメントが付された。 錦田報告では、1987年のインティファーダ(以降「第一次インティファーダ」と記述)と2000年に開始された第二次インティファーダを運動として比較し、それぞれの特徴に分析を加えた。第一次インティファーダが非武装抵抗を中心とする大衆蜂起という性格を持つものであったのに対し、第二次インティファーダは武装組織が運動の中心を担ったことで、武装闘争が全面に押し出されたとの事実が提起された。会場からは、「テロとの戦い」と第二次インティファーダとの関連性などについてコメントが付された。 土井氏によるコメントは、それぞれの報告に関して別個に付されたが、共通して3つの点に注意が喚起された。第一に、「この研究を現地のパレスチナ人に聞かせられるか」という視点が提起された。研究者としての簡潔な記述に努める裏返しとして、現地の人びとが聞いた際に違和感を覚えるような論理展開をしてはいないかとの問いが投げかけられた。 第二に、現地で生きる人びとの姿を記述する必要性が説かれた。例えば、1987年のインティファーダでは、多くの子どもが催涙ガスなどによって命を落としているが、その母親たちの声を取り上げるような姿勢が研究にも求められるのではないかと提起された。 第三に、個人の顔が見える記述を心がけるべきであるとの見解が示された。組織や政治構造の議論に終始することで、現実離れした分析を行ってはいないかと自戒を求めるものであった。 これらの観点を踏まえ会場からは、研究者としての文章記述にいかなる特徴と限界があるかについての意見や、逆に研究者として現地を見る利点の提起、異業種間の情報交換フォーラムの設置の提案などが発言され、活発な議論がなされた。 |