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質問に応じる板垣先生と児玉先生 |
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第二部の基調講演では、大岩川氏と親交のあった板垣雄三と児玉昇の両氏から、それぞれ、「イスラエル研究のあり方を問う 」、「イスラエル研究の方向舵を求めて」との表題で話をされた。
板垣氏は、大岩川氏の現代イスラエル研究を、「イスラエル研究」「地理学」といったディシプリンを超えた問題意識において取り組まれたものと評価され、「イスラエル研究」における「transdisciplinary」の心構えの重要性を指摘された。そして、その際、根幹となるのは、パレスチナ/イスラエルにおける「特異なコロニアリズム」の「生成・展開・持続・消滅」にかかわる研究であること、日本においてこの問題を考える上で「満州国」が大きな意味をもつことなど、重要な問題提起をされた。
続いて、児玉氏は、まず、修正シオニストのイスラエル・エルダドによる議論を紹介しつつ、シオニズムの多元性とその把握の難しさを指摘された。その上で、特にその経済的側面について、ご自身のイスラエル滞在時の経験などを交え、パレスチナ人排除のイデオロギーと現実との矛盾について話をされた。その矛盾の究極的な表現としての「隔離壁」にも言及されるなど、大岩川氏の議論とパレスチナの現状とをつなぐ問題意識を垣間見る講演であった。
質疑応答では、パレスチナ問題の未来構想にまで話が及び、日本人自身の歴史認識や国家観を見直す中で、パレスチナ/イスラエルの今後のあり方を再考する必要について、両氏それぞれの視点から語られた。
(文責:役重善洋/京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)
第三部では、パレスチナ/イスラエルに携わる5人の若手研究者による研究報告がおこなわれた。それぞれの研究者が大岩川氏の現代イスラエル研究を受けて、それに応答する形で出された報告である。
エルサレム都市研究をおこなう飛奈は、エルサレムの都市計画・開発を通じて表れるイスラエルのシオニズム的論理が、大岩川氏のいう共同体としての「ユダヤ民族」の正統性の確立にかかる問題であるとして考察した。吉年はパレスチナ経済史の観点から、大岩川氏の提起する「イデオロギーとしての入植村」とその社会の「自己矛盾」に関する議論を考察し、入植者がパレスチナ人排除へ向かう論理を示した。そして日本におけるシオニズム研究の報告として役重は、戦間期の矢内原忠雄のシオニズム論を検討し大岩川氏の研究視座と比較することで、日本人研究者のもつ歴史認識におけるイデオロギー的バイアスの相対化を図った。国際政治を専門とする池田は、ヨーロッパのユダヤ人問題とパレスチナ問題・中東問題をつなぐ回路の俯瞰的なモデルを提示して、アメリカやヨーロッパの文脈と関連させてその両者の接合を試みた。最後に、今野の発表は本シンポジウムの根幹に迫るものであり、今野は大岩川氏の全研究論文を読み返し大岩川氏の関心・方法論・理論的背景などの観点から分解・分析し、大岩川氏の研究の集大成としての「地域研究論」を再構築しようと努めた。この第三部は、パレスチナ地域のさまざまな文脈を体系的に捉え地域社会の視点から世界を記述していく大岩川氏の地域研究論が、後代の研究者に如何に培われているかを示すものとなった。
(文責:塩塚祐太/一橋大学大学院社会学研究科修士課程)
第四部では、早尾貴紀氏と臼杵陽氏からまず総合コメントを話していただいた。早尾氏からは、この研究会の主旨に即して言うならばイスラエル建国以前から展開してきた入植村を、大岩川氏の研究に即して再検討するべきではなかったか、という論点と、複数の報告者が使用していた「植民地主義」という言葉に関して腑分けが必要ではないのか、という論点が提示された。前者に関しては、ナショナルなものや、「血と土地」などのイデオロギー、さらには政治経済的な要因など建国以前から現在までのユダヤ人社会形成要素は大きく変遷したが、いずれの段階でも入植村の存在は不変であり、ここにイスラエルの本質があると見抜いた大岩川氏の視座をどう受け止めるのか、という指摘であった。
これらの論点を引き継ぐ形で、臼杵氏からは大和川氏から引き継ぐべきものとして弁証法的思考法を挙げ、更にイスラエルにおいてそれまで無視されてきた、1880年代から始まる「第一波アリヤー」の再評価が90年代ころから始まってきたことなどの変化が指摘された。しかし大岩川氏は、現在のこの再評価を先取するような形で研究をしていた。こうした研究を可能とした背景には、大岩川氏の議論の進め方が必ず対立するもの、対になるものから分析していくという戦略をとっていたことにある、と指摘された。臼杵氏は、こうした思考法によって大岩川氏は社会の矛盾こそがその社会の発展を説明するものであるということを見出し、入植村や「血と土地」のイデオロギーに注目することになったのではないか、我々はこうした大岩川氏の思考法を学ぶべきではないのか、とコメントしている。また、板垣氏からの指摘のなかで、現在のパレスチナ研究と聖書研究があまりにかけ離れているということをどのように考えるのか、一般市民の問題関心と研究者のそれの間の隔絶をどのように埋めていくのか、というものがあったが、これらの問題をどう考えていくのか、さらにはパレスチナとイスラエルという二項対立を乗り越える上でアラビア語やヘブライ語を利用することがどの程度有効なのか、ということをもう一度再検討すべきではないかと指摘していた。
このコメントに対して板垣氏からは77年に開いたシンポジウム(<パレスチナ問題を考える>シンポジウム)の想起から、何百人もの人が参加し、研究者とか一般という区分けや立場の差を超えて討論を重ねることができた当時と、それがほとんどできない現在の間にある問題は一体何か、これは非常な危機的状況なのではないか、という論点が提示された。また児玉氏からは現在資料が簡単に手に入るようになった、といわれるが、むしろそこにアクセスできる要件というものが際立つ結果になってしまっているのではないか、研究者だけでなく広く資料を利用できる環境を整えることがじゅうようではないか、という指摘がされた。
登壇者からは、今野氏と役重氏から板垣氏の論点に関して、世代間の問題やそれに起因するそれぞれの世代における「植民地主義」などのイデオロギーへの関心が異なるのではないか、という応答があった。しかし板垣氏からは、世代の問題ではなく時代の問題としてとらえてほしい、という提案があった。それは、77年の時がよく、今がダメ、ということではなく、77年当時の人々も、現在の状況はもうわからなくなってしまったのではないかということであった。その背景には、人や社会全体を騙す技術やその情報を流布させる情報が発達して、「事実」というものがわからなくなってしまっているのではないか、と指摘されている。
最後に長沢氏から閉会の言葉があった。大岩川氏が亡くなられて30年経ったことを回顧し、故人の志を継ぐということは言うことは易く実行は非常に難しいが、今回のシンポジウムをひとつの起点としてパレスチナ研究が更に発展するような努力を積み重ねよう、という提案で会を締めくくられた。
(文責:武田祥英/千葉大学大学院 人文社会科学研究科博士後期課程)
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