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2011年度第5回(通算第16回)パレスチナ研究班定例研究会報告
池田有日子(京都大学地域研究統合情報センター・研究員)

 概要

  • 日時:11月23日(祝)13時00分〜18時30分
  • 会場:会場:東京大学本郷キャンパス東洋文化研究所3階大会議室
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS)地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第5回)
  • 報告1:臼杵悠(一橋大学大学院経済学研究科修士課程)「ヨルダンにおける都市社会:アンマーンを中心とした都市空間の発展」
  • 報告2:役重善洋(京都大学人間・環境学研究科博士後期課程)「矢内原忠雄の植民政策論とシオニズム

 報告

臼杵悠氏の「ヨルダンにおける都市社会:アンマーンを中心とした都市空間の発展」、役重善洋『矢内原忠雄の植民地政策論』について、趣旨と質疑応答について簡単に紹介し、最後に若干のコメントを述べたい。

臼杵報告

臼杵氏は、ヨルダンの首都アンマーンの急速な人口増加と経済発展に伴い、経済格差が指摘されていることに着目し、裕福な地域と貧しい地域の住民の特徴を明らかにするための分析枠組みの構築に向けた試論的な報告を行った。そのためにまずアンマーンを行政区分に分け、人口動態について調査するという手法を採用しアンマーンのリワー(県)を経済特徴ごとに分類することを試みている。
 会場の方からの質問・コメントとして、先行研究については、参考文献を一次資料、二次資料に分けて書く必要があるとのコメントがなされた。次に歴史的背景について、例えばヨルダン幹線道路とオスマン帝国期におけるヒジャーズ鉄道との関連、また1994年のヨルダン−イスラエル和平合意のヨルダン側に対する経済的インパクトと格差との関連を調べる必要があるのではないかとのコメントがなされた。加えて、研究の手法について、ヨルダンについての研究とアンマーンについての研究が混同されているといった指摘や、人口動態の調査のうえで行政区のインフラやサービスなどのプル要因についても調べるとよいのではないかとのコメントもなされた。

役重報告

役重報告は、矢内原忠雄の、無教会キリスト教徒・平和主義者などとして通常流布しているイメージ・思想と彼のシオニズム支持との相互内在的連関を明らかにしようとするものであった。矢内原の経歴の紹介ののち、北大植民地政策学の影響のもと、小農救済の側面を有すドイツ内国植民への彼の積極的評価と、ドイツ・シオニストであるアルチュール・ルピンやフランツ・オッペンハイマーらとの思想的類似性を指摘し、農業植民という技術・イデオロギーが異なる植民主体(シオニズム、日本帝国主義)に参照・共通している点を描きだした。また矢内原が、植民は政治的経済的非搾取の原則に基づいて行うべきであり、事実上パレスチナにおける「二民族国家」を提唱していた点も明らかにした。さらに、帝国主義時代の農業入植の二面性として「イギリス理想主義的植民論」と「ドイツ国家主義的植民論」との概念区分を試みていた。

会場からの質問・コメントとして、まず先行研究において帝国主義研究がないこと、それとの関連で植民地主義の全体像におけるドイツ植民地主義の位置づけがわからないことなどの指摘がなされた。さらに、「中東和平」との関連でキリスト教シオニズムと植民地主義を再考・位置づける必要があるのではないかとのコメントもなされた。

両報告に関するコメント

まず両報告に共通していえるのは、日本ではいまだ十分な研究が行われておらず今後ますます発展・深化させていかなければならない研究領域であり、その意味で極めて重要な研究報告だったということである。しかし同時に、未発展な領域であるからこそだと思われるが、両報告とも関連する歴史的背景についての抑え方が不十分だった点についての指摘が散見された。

内容についてであるが、臼杵氏の最終的な研究目的は、人口移動、経済格差とエスニシティあるいは出身地との相関性の抽出ということであるように思われた。人口移動、経済格差については様々な統計データで検証することは可能であろうが、最後のエスニシティ・出身地との相関性については、別のアプローチ、例えば人類学的なアプローチなどを組み入れることも検討の余地があるのではないか、と思われる。

役重報告については、矢内原のキリスト教者・平和主義者、植民地政策研究者としての思想とシオニズム支持との内在的論理連関を抽出するという大胆かつ興味深い研究であるが、彼の「現状認識」やそれぞれの思想・イデオロギーに対する「理解」のレベルと、植民地主義、シオニズムの「実態」のレベルとの区別が曖昧なところがあったように思われる。このことは、ひいては、この研究が「一体何を目的としているのか」という広い意味での問題関心を明確に打ち出していないことと関連しているように感じられた。
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