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第27回中央ユーラシア研究会・特別講演会報告 
小沼孝博(東北学院大学)

 概要

  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館1階117番教室
  • 日時:2011年11月15日(火)17:00〜18:30
  • 講師:David Brophy氏(オーストラリア国立大学研究員)
  • 演題:An Inner Asian Odyssey: The Story of the Xinjiang Chahars[英語・通訳なし]
  • 司会:小沼孝博氏(東北学院大学講師)

 報告

デイビッド・ブローフィー氏は,その類い稀な言語能力を生かした多彩なアプローチにより,近世〜近代の新疆史・ウイグル民族史の研究に精力的に取り組んでいる気鋭の若手研究者である。京都での国際シンポジウム参加のため来日中であったデイビッド氏に講演依頼を快諾いただいたことにより,今回の特別講演が実現することとなった。

今回の講演は,ブローフィー氏の「本業」とはやや異なり,モンゴル独立運動に参加した新疆北部のモンゴル系チャハル人の動向を中心に,近代における新疆と外モンゴルの関係を検討するものであった。1911年末の外モンゴルの独立を契機に,新疆チャハル部出身のソミヤー(1874-1935)とその弟デンベレル(1893-1938)は,属下のチャハル人を連れて外モンゴルへ移住し,ボグド・ハーン政権に参加した。1922年に人民政府が成立すると,デンベレル率いる使節団がイリに派遣され,チャハルやオイラトなど新疆モンゴル人との関係樹立と人民政府への合流を画策した。この使節派遣は大きな成果を得なかったようであるが,1931年に新疆ハミ(コムル)のテュルク系住民(ウイグル人)による反乱が発生すると,再び外モンゴルと新疆との連携の動きが現れた。ハミ反乱の指導者であるホージャ・ニヤーズらが人民政府に書簡を送付し,中国の暴政を訴えて援助を求めたのである(※註)。

質疑応答では,コミンテルンの関与や,新疆に残ったチャハル人のその後の動きについても議論が及んだ。講演日前日に購入したという青木雅浩『モンゴル近現代史研究:1921~1924年―外モンゴルとソヴィエト,コミンテルン』(早稲田大学出版部,2011年)の関連部分の検討を含め,なお未完のテーマとのことであったが,デイビッド氏の関心の広さと実力を存分に感得できる内容であった。

※註:本書簡に関しては,すでにデイビッド氏による紹介がなされている。David Brophy, “The Qumul rebels’ appeal to Outer Mongolia,” Turcica, 42: 329-341, 2010.
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