1月19日 第11回
題材:濱下武志(東洋文化研究所教授)
「近代東アジア国際体系における日本とアジア」
担当:安藤潤一郎(東アジア歴史社会博士課程2年)
本論文は、アジアで最も早く「近代化」=「西欧化」に成功したとされる近代日本の動きを、東アジアから東南アジアにかけて機能した広域地域秩序たる「朝貢システム」の文脈の中で再検討したものである。
著者によれば、「朝貢システム」下における国際体系のダイナミズムは、「中心」たる中国の主張する「宗主権」−「地政」と、周縁諸国の主張する「主権」−「権政」との相互作用として捉えることが可能であり、明治期日本の「西洋化」もまた、「主権」を求める周縁国が選択した「ナショナリズムへの手段」であった。つまり、日本は、「朝貢システム」の秩序を前提に、西洋経由で自らを均質化・集中化・求心化することで、中国に対抗しつつアジアに参入してゆこうとしたのである。
具体的には、朝鮮主属論・清朝との条約交渉・植民地をめぐる「国民の造成」や統治方式の問題などの事例が取り上げられ、(1)日本の諸施策が「清朝およびその『宗主権』に対する対応策」という面を強く有していたこと、(2)にもかかわらず、こうしたアジアからの動因は顕在的には認識・対応されないまま「アジアからの乖離」に帰結していったことが示されており、そのうえで、より長期のアジアの歴史的文脈と域圏のダイナミズムに則した近代日本の再定位が主張されている。
これに対して、担当者からは、主にナショナリズムおよび植民地の問題に関連して、以下の質問・コメントを提示した。
(1) 近代以前の「ナショナリズム」と明治以降の「ナショナリズム」とは同一に論じられるのか。また、明治期の「ナショナリズム」は清朝よりもむしろ「西洋」の脅威に由来するものではなかったか。
(2)「地政」を敷くべき「中心」たる中国で、きわめて典型的な姿を呈しつつ展開したナショナリズムは、「前近代」とのいかなる連続性と断層を基層に持っているのか。また、その現在的展開はどのように位置づけられるか。
(3) 日本植民地の原理の歴史的変遷、また、「新中華」としての日本植民地はどのように捉えられるのか。
討議においては、(1)著者が無限定に使用している「近代」概念の歴史性、(2)日本の植民地統治の哲学的背景、(3)「主権」とは何か、(4)「アジアへの参入」というイメージの有効性などについて疑義・質問が提示された。特に(3)に関しては、「小中華」を含むのか、「国家主権」と同様の概念なのか、といった質問に対して、著者から「『宗主』という場を基礎にして対抗的に出てくる考えかたを『主権』と呼ぶ」という回答が示され、本論文の理論的な側面をめぐる活発な議論が行われた。
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