12月15日 第9回
題材:小島 毅(人文社会系研究科助教授)「礼教の将来」
担当:廖 肇亨(中国語中国文学博士課程2年)

 中国語文化圏はいうまでもなく、欧米の中国思想研究現状と比較すると、日本における香港・台湾の新儒家思想に関する研究の出遅れは明らかである。著者は唐君毅の節日に対する考え方に綜合的分析を加え、新儒家の思想根源(特にドイツ観念論とのつながり)、潜んでいる問題点、ないし現代社会への啓示について独特な見識を示している。

 他の思想体系と比べると、儒教は生活様式にいっそう密接に絡みあっている。唐君毅は節日から個人と伝統とが溶けあう接点を見つけ、中国の伝統と、いわゆる民主や科学という価値観とは矛盾しないことを主張した。ただし、民主・科学という概念はドイツ観念論がフランス啓蒙主義の流れを汲んで提出し、唐も自明の真理として信じている。このような基準で孔子や孟子の言説から民主・科学の理論根拠を捜せば、結局は、文献を誤読することになるばかりか、孔子・孟子をドイツ観念論の次元に引き下ろす恐れがあるのではないか、と著者は主張している。 

 担当者からは、著者の見解に対する若干の補充がなされた。それによって、新儒家への理解がより深められるかもしれない。
一、 著者の論文は唐君毅の思想を静態的に捉えており、彼の思想の変動の軌跡については注意を払っていない。

二、 民主・科学はもちろん啓蒙時代の思惟の産物であるけれども、まだ期限切れではないだろう。これらを儒教を判別する価値基準とすることに問題はあるまい。(儒教は時代の進展に伴い、いつでもほかの新しい価値基準でチェックを受ける必要がある。)むしろ、問題は、民主・科学の中身が何かにある。五四運動時期の民主観・科学観は、今日においても適用するのかどうか。また、民主・科学というものの欠陥に対して儒教はほかの参考点を提供することが可能ではないか。

三、 中国現代思潮の三大流派(マルクス主義、自由主義、新儒家)のそれぞれの、伝統に対する認識の異同、それぞれと現実政治との絡み合いについて、さらなる掘り下げが待たれる。
 討議の中では、思想研究の方法と態度、現代新儒家として活躍中の人士への評価、儒教と近代的な諸価値との関係などが論じられた。
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