11月10日 第4回
題材:尾崎文昭(東洋文化研究所教授)「鄭振鐸の「血と涙の文学」提唱と費覚天の「革命的文学」論」
担当:喬 志航(東アジア思想文化修士課程1年)
この論文は鄭振鐸および費覚天による「革命の文学」の提唱と、周作人による個人主義的自由主義的文学観の主張と、茅盾がはじめて社会革命派による文学の政治的効果を重視する文学効用論の主張を紹介し、周・鄭・茅三者の文学観のずれを考察する。
茅盾は文学の目的は全人類の人生・生活を総合的に表現するところにあり、表現される思想感情は民衆のもの人類のものであって個人のものではない、と強調した。自然主義を提唱し、小説創作に科学発見の原理を求め、創作綱領を実地観察と客観的描写という方法論的定式にまとめあげた。科学的描写の方法論、被抑圧民族の精神の精華として文学を見る観点、効用論の重視によって、茅の文学観ができあがった。鄭振鐸は「血と涙の文学」論を提唱したが、文学の生命は真情にあり、文学作品は伝道の用ではなく、虚偽の血と涙の文学は攻撃しなければならないと強調し、文学の社会効用論を抑えて文学独自の世界を確保しようとしている。革命的文学の提唱の熱意が減退、文学の社会効用論の欲求が弱まったため、翻訳に沈潜し、詩作、また欧米文学理論の紹介が増え、国故整理と古典文学に力を注ぎ、タゴール詩の翻訳と評論も発表しタゴールヘの全面的な傾倒を生んだ。周作人はかつて「人生の為の文学」を唱えたが、茅が「人生の為の文学」論を主張し、鄭が「血と涙の文学」を提唱した後、汎人類主義・世界主義を捨て、個人主義を中心的なものとして押し出し、文学効用論を収めて、文学独自の美と無用の用こそが文学の要点であると主張した。「血と涙の文学」論を批判し、文学の社会効用論を否定して、個の表出を重んじる自己の文学世界を形作っていき、革命文学論を否定していた。
当日、著者から補足的に、通俗文学をどう扱うかの問題、周作人評価の問題、革命イメージの問題が提起され、これらの問題をめぐって、またより広く、近現代中国文学の評価をめぐって議論がなされた。
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