12月16日 坂元ひろ子「恋愛神聖と民族改良の『科学』」

<コメント:村井寛志>

 19世紀末中国で、日本を経由して優生学が受容されていたこと、五四新文化期の「恋愛神聖」も優生思想の文脈と切り離せない雰囲気の中で展開していたことなどの考察を通して、優生学のグローバリゼーションの中にいかに中国が組み込まれていたかを明らかにしようと試みている。しかし、優生学をナチズムと等置する発想はいささか短絡的で、ナチズムに結びついた優生学がグローバル化していたということは、逆に言えばすべての優生学がナチズムに結びついたわけではないということでもある。優生学が問題とされなければならないのは、生殖に関わる社会的管理の在り方の一般的文脈においてであり、いたずらに大量虐殺の例に結びつける扇情的な語り方は、かえって日常における性と生殖にまつわる権力の問題を後景に退けるのではないだろうか。
 このように、この論文に対しては、素人目にも議論の詰めが甘いと感じられる点は多々ある。しかし、中国近現代における性と生殖に関わる問題に関しては、まだまだ基礎的考察自体が不十分であり、その意味で、この問題にスポットを当てた意義は小さくない。まだ端緒についたばかりの試みを潰そうとかかるのではなく、むしろ上記の問題点を踏まえた上で、発展的に継承するべきではないだろうか。純粋に思想上の問題としてだけでなく、ある社会の性、生殖観を規定する、身体を取り巻く様々な構造に対する社会史的考察は、その一つの鍵を提供するのではなかろうか。<自由討議>坂元論文における五四時期の性言説と優生学の関連の論証が不明瞭であるとの指摘や、ジェンダーの視点の取り入れ方が不徹底であるとの批判がなされた。
<自由討議> 
 中国社会を理解するための手掛かりとして、「股」という概念が著者自らによって提示され、その理解の様々な可能性について多角的に話し合われた。


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