11月25日 坂井洋史「文化批評・近代論・文学史」「懺悔和越界」
<コメント:佐野鉄郎(東アジア歴史文化・M1)>
両論文は、二十世紀中国文学史と中国の「現代化」とを互いを切り口にして論じながら、どちらも現代中国に見られる特定の価値観への絶対的信頼を(否定的に)評価している。前者では、八十年代の「現代化」は自己喪失を伴った一元化(「よりよき状態」への「進化」)のもとにすすめられ、モダンの「陰翳」を理解する試みがなされず、こうした状況は文学研究にも見られたことを論じている。後者では、五四新文学以降の文学作品に見られる「懺悔」という批評形式について、現実の矛盾や障壁を外部の視点から乗り越えようとする「越界」の試みと評価しながらも、知識人が自ら外部に設けた「真実」の虚構性に疑問を呈し、中国の「現代化」にもみられる外部の「真実」への絶対的信頼を批判する。
二十世紀中国における「進化」の受容を評価するには、前近代中国における「非直線的」歴史観が進化論から受けた衝撃を再検討する必要があるだろう。「真実」についても、士大夫の価値観などの考察から検討しうる部分が少なくないと思われる。
<自由討議>
八十年代から九十年代にかけての中国研究者による近代思想やポストモダンの受容のあり方、中国文学史における魯迅評価の再検討(その特異性を中心に)などが話し合われた。