11月18日 並木頼寿「明治初期の興亜論と曽根俊虎について」
<コメント:安藤潤一郎>
日本近代史の問題として日本側の言説のみから論じられることが多い「アジア主義」というテーマを、言説の「客体」たるアジア(清国)側の認識・立場と対置させつつ、日本とアジアの間の関係性の場として描き出している。また、追加資料も配布され、尾崎幸雄・荒尾精・福沢諭吉・内藤湖南・平野義太郎らのアジア論や、修学旅行で「満韓」を旅した(いわば「素人」の)広島高等師範学校生のアジア観を取り上げながら、身体感覚にもとづく拒否反応(あるいは同情・共感)、天皇制との相関、植民地支配の現実とのかかわりといった諸問題について、より詳細な分析が示された。
問題点として三点あげると、第一に、ここで論じられた「アジア主義」は、日本・清国双方とも、きわめて戦略的なイメージで捉えられている。しかし、近代の日本にあって「アジア主義」がひとつの勢力をなしていった背景には、より「心情的」ないし「ロマン主義的」な「アジア主義」の広がりがあったのではないか。また、中国側の(「対日戦術」だけでは説明しきれない)「アジア主義」的な動きがどうであったのかも、その有無を含めて、無視しえない側面であろう。第二に、論文の中心素材たる曽根俊虎が、明治前期の藩閥政権のもとで辺縁に位置付けられた米沢出身者であったという点は着目に値する。明治国家におけるマージナリティと「アジア主義」の系譜との関連も、考察してゆく必要があるのではないか。第三に、「興す」べきアジア――日本人にとっての「我々」の外延――は、いかなる範囲を含むものであったのか。
<自由討議>
日本人がアジアを見る(アジアに触れる)さまざまな経路と、そこに生じるさまざまな認識、範疇化、相互作用について、多角的な討論がなされた。