11月4日 渡辺 浩「「夫婦有別」と「夫婦相和シ」」

<コメント:水口拓寿(東アジア思想文化・D1)>
 著者は、儒教的と評されがちな「教育勅語」の諸徳目の中で、「夫婦相和シ」の1条が儒教の説く「夫婦有別」と合致しないことを指摘し、これを夫婦に関して、かねて日本で一般的だった教説の踏襲であるとする。曰く、徳川期の「家」とは「家業」を営む経営体であり、夫婦はその協同経営者であった。そこで、一方で離婚が難しくなかったという状況の下、協同経営の前提たる夫婦自体の存続も含めた「夫婦中能(なかよく)」の教説が通行していたのである。なお、当時は吉原を中心に「色」が公然と氾濫していたが、これもそうした教説とは背反せず、平安女性の像とも結合した遊女は、禁裏の権威に支えを得つつ、むしろ「夫婦中能」に繋がる理想の妻像となっていた、と。徳川期の夫婦のあり方を巡る議論や、その「教育勅語」への継承という展望には敬服したい。但し、明治も既に23年の「夫婦相和シ」との具体的な継承関係については、井上哲次郎『勅語衍義』を参照する限り、順当な局面を確かに含みつつも、必ずしも「踏襲」というほど簡明でないようではある。

<自由討議>
 性および性差をめぐる言説の表と裏のありかた、家の存在様式、およびそれらをめぐる東アジア各国文化の差異などについて、多岐的に話し合われた。


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