10月28日 汪暉「当代中国的思想状況與現代性問題(邦訳題:グローバル化のなかの中国の自己変革をめざして)」
<コメント:渡辺浩(法学政治学研究科・教授)>
興味深い論考である。しかし、用語や議論の枠組みに、疑問に思える点もある。敢えて外在的にそれを指摘すれば、例えば第一に、80年代の中国思潮を「啓蒙」と呼ぶのは、それが西洋語の翻訳であるとすれば、不適当ではないか。「文化熱」の精神とAufklaerungの精神とは、むしろ対照的だからである。第二に、中国の「現代化」論には、日本の「近代主義」にはある「近代的個人」の確立こそを課題とするという志向があまり無いのは何故か。魯迅的な内面的反省に立って「近代」を考えることがあまりなされないようだが、そう理解してよいのか。第三に、自由と民主は別個の理念であり、「文化民主」という主張は、疑問である。第四に、絶対的な所有権概念が近年になって崩壊したという議論の紹介があるが、元来の所有権の理解に問題はないか。第五に、「人類全面解放、個人全面発展的理想」という語があるが、人間性に関する超楽観的な前提に基づく空語ではないか。
<自由討議>
カントのいう「啓蒙」の一面とは異なろうが、「封建的なるもの」を否定して自由を求める点では、「啓蒙」と共通する。「個人」観念自体多様であり、その再検討が必要である。所有権論については、中国では公有制フェティシズムから、私有制フェティシズムに一変したという背景がある。厳復の自由論には注目すべきものがある。