10月14日 小島 毅「八条目のあいだ」

<コメント:鈴木弘一郎(東アジア思想文化・M2)>
 『大学』の八条目における相互の関連づけを、朱子学がどう説明していたかを論じている。朱子学では八条目は、「心」を正しくするための修養の後、「正心」そのものとは別に外界と関わりをもつ「身」を修める修養を行い、それを家・国・天下に及ぼしていくという、内から外への階梯性を伴う修養論として読まれるようになった。八条目の階梯性自体は朱子学独自のものではないが、内から外へという形で意識されることは従来にはなく、この背景には程頤における心身感覚の変化があった。
 「修身」ができたらすぐに「斉家」にとりかかるべきだとされ、具体的には、身が修まった家長が家族に対し、感情抜きの公平な態度で臨むものとされる。そして、「斉家」から「治国」へと進んでいくのだが、実際には「家」と「国」の間に「郷」というものが意識されていたと考えられるとする。また、「国」と「天下」に如何なる違いがあるのかということも考慮すべき課題であろうとも述べられている。 
 本論の内容に関しては、(1)「心=精神=内面」、「身=肉体=外面」とする見方は程頤以前には全くなかったのだろうか、(2)『大学』では確かに内から外への階梯性を伴った修養論が説かれているが、実際の修養はむしろ逆に、外から内への階梯性によって行われていたのではないか、という二点を疑問として挙げることができる。

<自由討議>
 意・心・身の関係づけのしかた、同心円モデルで中国の秩序構造をとらえる発想について、同心円モデルと東南アジアや日本との比較、宋学とそれ以前との相違点などが話し合われた。


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