東京大学大学院人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設所蔵 トコロチャシ跡遺跡群 発掘調査写真 デジタルアーカイブ

2. オホーツク地点の発掘調査(1998年度〜2005年度)

(1)地点および調査の概要

トコロチャシ跡遺跡オホーツク地点は、トコロチャシ跡遺跡群の北部、チャシ跡の南西隣にあるオホーツク文化の竪穴群を中心とした区域を指す。この地点では1960年代の測量調査で9基の大型の竪穴の窪みが確認されており、オホーツク文化の集落遺跡と考えられてきたが、1998年の調査開始までその実態は不明であった。

この地点の竪穴群の発掘調査は、1998年から2005年にかけて東京大学大学院人文社会系研究科考古学研究室・常呂実習施設・北見市(旧・常呂町)教育委員会によって行われ、4軒(7〜10号)の竪穴について住居跡全体の発掘がなされている。この4軒はいずれも廃絶時に火を受けており、炭化した木材とともに、土器、石器、骨角器、木製品、金属器、動物骨などの遺物が大量に出土した。それらの出土遺物から、4軒ともオホーツク文化後期(貼付文期、紀元8〜9世紀)の竪穴住居跡であることが判明している (注1)

この調査の成果は多岐にわたるが、なかでも特に注目されるのは、7号竪穴の出土遺物である。7a号竪穴の奥壁部の骨塚aからは、クマの頭骨が110個体分も出土したが、これはこれまでの調査例の中でも突出して多い数であり、その背景が注目された。また、7号竪穴からは容器類や装飾品などの炭化木製品も出土しているが、これらも類例が少ないことから貴重な資料として評価されている。

また、4軒全てに共通する点として、同一地点に重複して住居を建て替えていることと、廃絶時に火を受けた焼失住居であることが確認された。これらの点も、集落の構造や性格、儀礼のあり方を考える上での検討材料として注目される。

なお、トコロチャシ跡遺跡群で発見されている、上記の竪穴以外のオホーツク文化の遺構についても確認しておこう。住居跡全体の発掘がなされた竪穴としては、1960年と1963年に調査されたトコロチャシ跡遺跡の1号・2号竪穴の2軒がある。ほかに、試掘調査等で全体の一部が調査された住居跡として、3号〜6号と11号〜13号の7軒がある。ほかにも3基の未発掘の窪みがかつて確認されていたので、遺跡群全体では少なくとも16軒の竪穴住居跡が残されていると考えられる。また、住居跡に加えて、2基の土坑墓、屋外の骨塚、動物骨の集中なども発掘されている。これらの遺構はいずれも、オホーツク文化後期に属すると考えられている。

上記のような遺跡の規模と内容、また発掘された遺物の質と量からみて、トコロチャシ跡遺跡群に残されたオホーツク文化の集落跡は、この文化を代表する遺跡の一つとして位置づけられよう。

以下、7号〜10号の各竪穴について、形状や大きさ、建て替えの様相、内部の構造などを紹介する。

(2)7号竪穴

7号竪穴では、1回の建て替えが確認された。

外側の古い竪穴が7a号竪穴で、長軸12mの六角形を呈する。7a号では、「凹」字形の貼床a、奥壁側の骨塚a、石組みの炉aが確認された。7a号の内側に、床面を再利用しつつ、壁を入れ子状に縮小して建て替えられたのが7b号竪穴で、長軸8.5mの六角形を呈する。7b号では、「二」字形の貼床b、奥壁側の骨塚b、木枠を有する炉bが確認されている。なお、7b号の時期にも、奥壁をわずかに縮小するなどの改築が行われていたことが判明している。

ちなみに7a号と7b号の床面は同一の高さで再利用されており、上下に重複はしていない。また、7a号・7b号は、ともに廃絶時に火を受けた焼失住居であった。

(3)8号竪穴

8号竪穴では、発掘時に最初に確認された床面よりわずか下層に、古い段階の住居跡とみられる痕跡が確認されたが、建て替えや古い段階の住居跡の様相は明確には確認できなかった。そのため、8号竪穴の古い段階を8号竪穴(古段階)、新しい段階を8号竪穴と称し、他の竪穴の様相と区別した。

8号竪穴は長軸11.2mの五角形を呈する。粘土と板張りを組み合わせた「凹」字形の貼床、石組みと木枠を併用した炉、奥壁部と開口部の2か所の骨塚を有する。8号竪穴(古段階)の痕跡としては、8号竪穴の貼床の周囲に遺存していた古い貼床、8号の周溝の下層で検出された古い周溝、8号床面下の礫群とピット群などがあるが、床面や炉、骨塚などの様相は不明であった。

なお、8号竪穴は焼失住居であったが、8号竪穴(古段階)は廃絶時に火を受けたか否かを確定できなかった。

(4)9号竪穴

9号竪穴では、入れ子状の縮小を基本とする2回の建て替えが確認された。 最初に建てられたのが最も大型の9a号である。長軸が11.9mの六角形を呈し、奥壁部の骨塚aのほか、木枠を伴う炉ab、貼床の痕跡などが確認されている。次に、長軸線をわずかに時計回り方向に振りつつ奥壁側を縮小して建て替えられたのが9b号である。長軸10.5mの六角形を呈し、木枠を伴う炉ab、貼床の痕跡などが確認されている。続いて9b号の長軸線をさらに時計回り方向に振りつつ、わずかに内側に縮小して建て替えられたのが9c号である。長軸10.4mの六角形を呈し、「凹」字形の貼床c、石組みの炉c、奥壁部の骨塚cなどが確認されている。

なお、9a号から9c号に至るまで床面は同一の高さで再利用されており、上下に重複はしていない。以上の9a号・9b号・9c号はいずれも廃絶時に火を受けた焼失住居であった。

(5)10号竪穴

10号竪穴の建て替えでも2回の建て替えが確認されたが、建て替え時の形状変更は、住居の面積を順次縮小しつつ、全体を長軸方向に大きく前後移動させるという複雑なものであった。

最初に建てられたのが最も大型の10a号である。開口部側の壁が確認できなかったため正確な形状は不明であるが、長軸が11.2m以上の六角形を呈するとみられる。奥壁側の貼床aと奥壁部の骨塚a、石組みとみられる炉の痕跡が確認されている。次に、10a号の奥壁側を大きく縮小し、幅もわずかに縮め、全体を開口部方向に大きく移動して建て替えられたのが10b号である。長軸が9mの六角形を呈し、石組みの炉bと貼床の痕跡が確認された。続いて10b号の開口部側を大きく縮小し、幅もわずかに縮め、全体を奥壁方向に大きく移動して建て替えられたのが10c号である。長軸が7.9mの六角形を呈し、「凹」字形の貼床の痕跡、石組みの炉c、奥壁部の骨塚cなどが確認されている。

9号竪穴と同様に、10号竪穴では10a号から10c号に至るまで床面は同一の高さで再利用されていた。以上の10a号・10b号・10c号も、全て廃絶時に火を受けた焼失住居であった。

注1
1998年度〜2005年度にかけて行われた、上述のトコロチャシ跡遺跡オホーツク地点7号〜10号竪穴の発掘調査については、下記の報告書が刊行されている。