21世紀COE研究拠点形成プログラム 生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築
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聖なるイメージ:彼岸とのコミニュケーションの手段として

日時2006年12月16日(土)13:30〜17:00
場所東京大学法文2号館 一番大教室
主催DALS(東京大学21世紀COE
「生命の文化・価値をめぐる死生学の構築」)
共催美術史研究室
(東京大学大学院 人文社会系研究科)
poster

第一部 13:30〜15:30 

[挨拶]
  小佐野重利教授* (東京大学大学院人文社会系研究科・美術史学)
    Prof. Shigetoshi Osano
 ( Professor, Graduate School of Humanities and Sociology, The University of Tokyo )


[講演1]
  ゲアハルト・ヴォルフ教授(フィレンツェ、ドイツ美術史研究所長)
    Prof. Gerhard Wolf
( Director, Kunstgeschichtliches Institut zu Florenz )

「聖遺物、聖像、聖地 ―13〜17世紀のキリスト教文化における生と死、天と地とのコンタクト・ゾーン」
  “Divine Bodies, Sacred Images and Holy Sites. Contact Zones between the Living and the Death,          between Heaven and Earth in Christian Cultures.”


[講演2] 
 奥健夫 (文化庁文化財調査官)
  Takeo Oku
( Senior Cultural Properties Specialist, Agency for Cultural Affairs )

 「仏像と人体」
“Statues of Buddha and the Human Body”


[講演者による意見交換]


休憩



第二部 15:50〜17:00 

[コメント]
 秋山 聰助教授 (東京大学大学院人文社会系研究科・美術史学)
   Prof. Akira Akiyama
( Associate Professor, Graduate School of Humanities and Sociology, The University of Tokyo )


[パネル・ディスカッション]
終了  17時00分




*事業推進担当者

 2006年12月16日午後1時半から5時半までDALSと人文社会系研究科美術史学研究室の共催によるミニ・シンポジウム「聖なるイメージ―死後の世界とのコミュニケーションの一手段として―」が開催された。主催者側参加者20名に加え、一般の聴講者60名ほどで、まずまず盛会であった。第一部ではゲアハルト・ヴォルフ教授(フィレンツェ、ドイツ美術史研究所長)の“Devine Bodies, Sacred Images and Holy Sites. Contact Zones between the Living and the Death, between Heaven and Earth in Christian Cultures”と題した英語による講演と奥健夫氏(文化庁文化財調査官)の講演「仏像と人体」が行われた。
 ヴォルフ教授の講演の要点は次のとおり。地中海古代文化で死者の彫像や画像が生者にとっては形見として、死者本人にとって現世を越えたところでの死後の生の保証として聖なる領域に参入したが、キリスト教文化においては偶像と聖画像とのあいだの葛藤と線引きという根本的問題を常に伴いつつ、イメージは現世的な要求と来世的な要求のあいだを取り結ぶ弁証法として継承された。そのためキリスト教のイメージは「二重の生Double life」を有していたと論ずる。キリスト教典礼において聖像や聖画像が儀式的な機能を担い、「演者」として行動する中でもつ「生」と、イメージの審美的な特質や肖似性により生命感が付与されることによる「模倣的な生」である。多くのスライド画像や中世後期の文字資料を援用して聖画像が公衆との相互交渉の中で様々に生動化した事例を紹介された。さらに、キリストの真正なる像、ヴェラ・イコンをあげて、儀礼や場における聖画像と肖像との関係をきわめて示唆的に論じられた。13世紀に教皇ベネディクト12世によって地上でヴェラ・イコンを眺め祈祷することが、死後の「視神」の保証とされて以降、ヴェラ・イコンの複製が多く生産されるとともに、聖画像や聖遺物という物質を介しての神的なるものとの接触が信仰の主たる象徴であり続けた。14、15世紀は、芸術が「神的な力」によって感覚的、精神的な緊張を追求したイメージと信仰の魅力的な交渉と相互作用の時代であったと結論づけられた。
 奥氏は、仏像内に火葬骨を納入した阿弥陀如来像と、骨灰と土砂を混ぜ像内体部に厚く塗っている釈迦如来像の2作例を挙げ、より一般的な髪、歯、爪に加え、こうした事物の納入の風習を仏教教義との関連から考察した。その淵源をインドで行われていた舎利の像内納入に求め、それが中国を経て仏牙、さらに絹製の五臓六腑の納入による仏像の生動化へと展開したと論ずる。この像と仏との重ね合わせが人体の一部の納入を契機に、像とその人体の一部の持ち主(死者もしくは像の寄進者)をイメージの上で重ね合わせることを可能にした。死者、寄進者と像との一体化は、しばしば故人や寄進者と同寸の像を作ることによって達成されたことが願文や説話集、日記などを援用して論証された。文化財調査官としての豊富な実地調査を背景としての実証的な議論の中でも、造像者による結縁交名の納入の増加と、構造技法および様式の変革に伴う仏像の呪術性の減退との関連付けはとりわけ印象的であった。呪術性の減退が像の代理機能を弱め、像内への納入の可能性を開いたという。そして、像内空間が時空を異にする世界へと繋がる回路とみなされ、その回路を通じて造像に参加した者たちの信仰が彼岸に伝わるとし、そうした心性を物語るのが冒頭の二体の如来像であると結論付けられた。
 第二部ディスカッションは秋山聰助教授によるこれまた示唆に富む問題提起につづけて、会場から集められた質問票から話題を選択し、1時間半余り議論が続けられた。ヴォルフ教授の講演や熱気を帯びた議論では話す速度が加速し、通訳者にとっても、また聴衆にとっても聞き逃したことはあったであろう。しかし、終了後に回収されたアンケートには、講演者各位の説得力のある主張が印象深かったことや深みのある議論が展開されたという高評価が目立ち、成功裡に終わったと思う。


シンポジウムの様子 シンポジウムの様子 シンポジウムの様子

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