日時 | 2005年11月26日(土)13:00〜 |
場所 | 東京大学医学部2号館本館 大講堂. |
提題者 |
立岩真也 (社会学/立命館大学)
川本隆史 (社会倫理学・応用倫理学/東京大学)
清水哲郎 (哲学・臨床倫理学/東北大学)
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コメンテーター | 上野千鶴子 (社会学東京大学) 鷲田清一 (臨床哲学/大阪大学) |
司会 | 熊野純彦* (倫理学/東京大学) |
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*事業推進担当者
文学部の「応用倫理教育プログラム」と本プログラムとが共催する公開シンポジウムとしては三回目となったのが、このシンポジウム「ケアと自己決定」である。自己決定という問題は、本COE主催のシンポジウム等で繰りかえし主題とされてきた論点のひとつであり、他方、「ケア」をめぐる諸問題は今日さまざまな場面で提起され、焦点化されているもののひとつである。ケアをたんに一方向的にとらえるのではなく、ケアする者、ケアされる者との関係において、またそれを取り囲む社会的・共同的なコンテクストから考える場合には、ひとはみなケアと自己決定をめぐる問題の潜在的な当事者にほかならない。ここから議論が始まった。
立岩氏は「障害者運動の歴史から」という副題で、障害者運動に同伴しつづける過程で紡がれた氏の思考のエッセンスを語られた。わけても最後に、「死にいたる微弱な生」をべつのかたちで受容し承認するという課題に言及されたのが印象的であった。川本氏は自分史から説きおこされながら、正義論研究から出発した氏が現在「ケア」と「自己決定」をめぐり、主として「高齢者介護」の問題場面を中心にどのようなスタンスをとろうとしているかを報告された。清水氏は「医療現場から」ケアと自己決定というテーマをそもそもどのようにとらえるかを、意思決定のプロセスにかんする「説明−同意モデル」に替わるべき「情報共有−合意モデル」の説明からはじめられ、コミュニケーションとケアを主題化する議論を展開された。
コメンテーターの鷲田氏は、共同的なものを目ざすコミュニケーションに対してはむしろ差異を、independenceに対してはかえってinterdependenceをあえて対置することで、議論の呼び水とされた。同じくコメンテーターの上野氏は、ケアの担い手は圧倒的に女性であるのに対して、ケアの語り手が多く男性であるという、ジェンダー的なアンバランスを指摘されたうえで、各論者への疑問点を整理され、また、そもそもこうしたシンポジウムはだれを「宛先」としたものであるか、という問題を提起された。その後総合討議へと進み、満場を埋め尽くした大勢の観衆を交えた質疑を経て、本シンポジウムは盛会のうちに終了した。(議論の詳細は、刊行予定のブックレットに譲る。)