21世紀COE研究拠点形成プログラム 生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築
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ヒュー・メラー教授講演研究会
意思決定理論は何を語るのか
(What does decision theory tell us?)

日時2003年10月7日(火)17:00-18:30
場所東京大学山上会館 大会議室
poster

・資料 (PDFファイル)

去る2003年10月7日、東京大学山上会館2F大会議室において、Hugh Mellor教授講演研究会「意思決定理論は何を語るのか」(What does decision theory tell us?)が開催された。開演は午後5時で、会場には70人を越える聴講者が詰めかけた。平日火曜日の研究会であり、しかも主題が専門的なものであったことを鑑みると、大変に盛況であったと言える。

Hugh Mellor氏は、ケンブリッジ大学教授であり、時間論、確率論、因果論、意思決定理論などの、科学哲学や形而上学の分野で、現代哲学に重要な足跡を残してきた哲学者である。講演は、「意思決定理論」に関して、従来のスタンダードな見方に対するかなり大胆な改訂を迫るもので、大いに刺激的であった。

「意思決定理論」とは、不確実でリスキーな状況下でどのように決断していくことが合理的か、という問題を扱う分野で、主として経済学において「ゲーム理論」との交錯の中で論じられてきたが、哲学においても、「合理性」、「効用」、「確率」、の概念の意義を洗い直す格好の題材として早くから主題化されていた。さらには、今日では、「意思決定理論」はさまざまな分野への応用が模索されており、なかでも「医療における意思決定」という形で、診断、治療、患者の側の選択、などの医療の問題に応用が試みられている。また、その他、死刑制度、安楽死法の制定、核武装、といった問題への適用も考えられる。本COE「死生学の構築」が理論的に深化していくためには、ぜひとも目を配るべき分野である。

今回のMellor教授の講演は、これまでの「意思決定理論」のスタンダードが、「確率」を「主観的」に解釈した上で期待効用最大化原理といった考え方を「規範的」な指標として提示する、といったものであったのに対して、「意思決定理論」における「確率」を(そして「効用」も)「客観的」に解釈して、しかも「意思決定理論」全体を「記述的」な議論を展開するものとして理解すべきだ、という主張を提示した。

きわめて物議をかもすような、オリジナルな主張であり、質疑もおおいに盛り上がった。たとえば、聴講していた高山守教授から、そもそも「記述的」と「規範的」という区別が鮮明になされうるのか、そうした区別をするためには背後に何らかのメタ「規範」がなければならないのではないか、といった趣旨の質問が出た。それに対してMellor教授は、「意思決定理論」が提示した結論に対して、それに従わなかったときに、結論が偽とされる場合が「記述的」な理論であって、従わなかった行為が誤りだとされる場合が「規範的」な理論である、という仕方で区別することができる、と応答した。

また、司会を務めた筆者自身が、たとえば安楽死法制定について意思決定しなければならないときには、安楽死を合法化することによって社会が幸福感を感じられるかどうかの心理的な「確率」が問題とされるはずだが、その場合でも「客観的確率」を取り入れるべきなのか、そしてそうなら、そうした場合の「客観的確率」とは何なのか、という質問をした。Mellor教授は、そうした場合でも何らかの統計的なデータによって幸福感についての「確率」を測るべきで、そのようにする限り、「確率」は頻度にほかならず、「客観的」たりうる、という答えを与えた。

このように、質疑を通じて、きわめて実り豊かな理解の深まりが達成されたと思う。終了後、同じ山上会館の別室にて懇親会が行われた。30名ほどの参加者で、Mellor教授を囲んで、さらに議論が続けられた。実に有意義な研究学会であった。最後に、Mellor教授から、今回の講演が日本での「意思決定理論」についての研究を促す機会になることを願っている、という挨拶をいただいた。まことに、これを機会に、多くの日本人研究者の方が「意思決定理論」に関心を抱き、そして「死生学」の展開に寄与できるに至ること、それを心より願う次第である。

(事業推進担当者・一ノ瀬正樹)

シンポジウムの様子 シンポジウムの様子

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