21世紀COE研究拠点形成プログラム 生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築
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関東大震災と記録映画〜都市の死と再生

日時2003年 8月30日 (土) 10:30-18:00
場所東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール
協力東京国立近代美術館フィルムセンター
後援文化資源学会
報告者成田龍一(日本女子大学)
とちぎあきら(東京国立近代美術館フィルムセンター)
佐藤健二(東京大学)
原武史(明治学院大学)
木下直之(東京大学)*
映像紹介常石史子(東京国立近代美術館フィルムセンター)
*事業推進担当者
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・趣旨

【上映映画】

第1部:関東大震災の記録映画

  • 『関東大震大火実況』(東京シネマ商会、1923年)
  • 『関東大震災[伊奈精一版]』(伊奈精一監督、1923年)
  • 『猛火と屍の東京を踏みて』(ハヤカワ藝術映画制作所、1923年)

第2部:帝都復興祭の記録映画

  • 『帝都復興』(松竹キネマ・大日本教育映画協会・復興局、1930年)より「震火災編」、「完成編」(一部)、「御巡幸編」、「完成式典編」

2003年8月30日、東京・京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターにおいて、関東大震災80周年シンポジウム「関東大震災と記録映画〜都市の死と再生」が開催された。

突然の大量死と破壊をもたらす大災害は、残された人々がそれらとどのように向き合い、慰霊し、そして復興へと歩むのかという点で、すぐれて死生学的な主題である。1923年9月1日に起こった関東大震災は、その後7年間にわたって実施された一連の帝都復興事業とあわせて、都市の死と再生の過程を典型的に示した例として注目できる。

関東大震災と帝都復興事業は、当時発展期にあった映画によって記録され、その一部が現存している。本シンポジウムでは、これらの映画の上映を行い、それを手がかりに議論を展開する形をとった。会場となったフィルムセンターは、国内映画フィルムの保存と公開、発掘と復元、研究と分析などを行う機関で、今回上映した映画はすべてセンター所蔵の作品である。とくに『関東大震災[伊奈精一版]』は発見されたばかりのフィルムであり、本シンポジウムが初公開の場となった。

第一部は、『関東大震大火実況』、『関東大震災[伊奈精一版]』、『猛火と屍の東京を踏みて』の3作品を上映した後、3名が報告を行った。成田龍一氏「関東大震災と都市空間の死」では、震災の新聞報道がどのような段階を経て行われたかを具体的に追いながら、震災のリアリティと物語がメディアによって構築されていくプロセスを分析した。とちぎあきら氏「大震災が映画表現にもたらしたもの」では、震災映画が実際どのように撮影・制作されたのかを説明しつつ、それが後に成立する記録映画・ニュース映画の手法の萌芽を含んでいることを指摘した。佐藤健二氏「震災と視覚メディア」では、映画以上に人々に普及した「震災絵はがき」と、不逞朝鮮人に代表される「流言」を例示しながら、錯綜し断片化した情報から人々が何を求め、何を得ることができたのかを考察した。

第二部は、『帝都復興』の一部を上映した後、2名が報告を行った。原武史氏「帝都復興祭と都市の再生」では、フィルムに映された宮城と天皇の姿に注目し、震災映画と復興映画におけるそれらの違いについて論じた。木下直之氏「死者の行方」では、死体/死者がどのように扱われたのかを、報道用語、各種法要、慰霊堂の設立経緯、復興祭での天皇巡幸経路などから多角的に分析した。

事前に東京新聞で紹介されたこともあって、当日は大変な盛況であった。親から伝え聞いた震災を一度動く映像で見たいというお年寄りも多数訪れ、150席の小ホールはほぼ満席になった。

本シンポジウムの特長として2点挙げられよう。第1は、震災と帝都復興とを対にして捉えたこと。これは従来の震災研究にはなかった発想で、「死生学」というコンセプトから導かれた設計である。第2は、映画を補助線にしたこと。映像は20世紀に固有の形態資料として重要でありながら、いまだその資料論的基盤が整備されているとはいえない。本シンポジウムを通じて、文化的形象としての映画をいかに活用していくかについて、ひとつの可能性を示すことができたのではないか。死生学研究においても、劇映画分析や戦争の記録映像分析などに応用できるものと考える。

シンポジウムの様子 シンポジウムの様子 シンポジウムの様子

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