21世紀COE研究拠点形成プログラム 生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築
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ヒレル・レヴィン教授講演研究会
プラトンから『生きる』(黒澤 明)まで
 ―行き詰まり社会における問いかける生と意義ある死について― 

(From Plato to Ikiru : On the Examined Life and the Meaningful Death in the "Stuck Society" with a Footnote from the Ritualization of Death in Early Modern Judaism)

日時2003年6月25日(水)15:30-17:30
場所東京大学法文1号館 315教室

・資料 (PDFファイル)

2003年6月25日、本プログラムの特任教授として在日しているヒレル・レヴィン教授(ボストン大学)の研究集会が開催された。

レヴィン教授は世界を股にかけて活躍されているユダヤ教社会学・比較宗教社会学の専門家で、今回の講演題目からもうかがわれる通り、日本に対する関心にも並々ならぬものがあったようである。会場には30〜40数名が出席し、他の教室から椅子を調達しなければならないほどあった。講演および質疑応答は基本的に英語で行われた。

社会が行き詰まった(stuck)とき、それを突破するのはいかにして可能か、という大きな問いに対して、レヴィン氏は、人間のもつ二つの特徴、死を予期しうることと記憶をもつことに着目して、近代初期ユダヤ教における死の儀礼化を、その突破の一例として提示しつつ、今日の閉塞した日本社会の突破口についての示唆を与えた。

近世初期は一般的傾向として世俗化が進行し儀礼は後退したといわれるが、実際にはユダヤ人社会では、死の儀礼化が突然に起こった、それはなぜだったか。レヴィン氏は、これをユダヤ人社会の閉塞状態の突破として意味付ける。即ち、16世紀にヴェネチアに出現したゲットーは、ヨーロッパ世界に浸透しユダヤ人の差別化は目に見えて顕著になる中で、1666年のシャブタイ・ツヴィのメシア運動は偽メシアか否かで社会を大混乱させ、ユダヤ人社会が閉塞状態に陥った。そのとき、死に対する関心が薄かったユダヤ人社会は、死の儀礼化を通して生に新たな意味付けを与えることを可能にしたという。

具体的には、16世紀の印刷術の発展に際して、最初に印刷されたものが、法文献でなく神秘主義文献であり、それはイツハク・ルーリアのカバラーであったこと。へブラー・カッディシャー(神聖組合)が葬儀を体系的に扱う団体として設立されたこと。ユダヤ人富豪が葬儀用具の芸術品の作製に出資しだしたこと。葬儀は家庭の私事でなく公共的性格をもつことの意味付けを行うこと。善行としての死者供養が救済を左右するという意味付けが与えられて、葬儀に神秘主義的意味付けが為されたこと、等が指摘された。

また比較として、日本社会における行き詰まり打破のプロセスを、黒沢明監督作品『生きる』の中に描かれる生と死のテーマに即して話したことは、とても興味深いものであった。

およそ1時間にわたる講演の後、英語・日本語を交えた活発な質疑応答がなされた。レヴィン教授のフレンドリーな対応により、質疑応答はアットホームな雰囲気の中で盛り上がり、本研究集会は20分の延長の後、終了した。

シンポジウムの様子 シンポジウムの様子

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