21世紀COE研究拠点形成プログラム 生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築
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ピーター・シャーバー助教授講演研究会
幹細胞研究にまつわる倫理的諸問題
(The ethical problems of stem cell research)

日時2004年3月8日(金)15:00-17:00
場所東京大学法文2号館 哲学研究室
共催哲学会

・資料 (Wordファイル)

去る2004年3月8日、東京大学大学院人文社会系研究科哲学研究室において、Peter Schaber博士講演研究会「幹細胞研究にまつわる倫理的諸問題(The ethical problems of stem cell research)」が開催された。午後3時よりの開演で、30名ほどの聴衆が参加した。

Peter Schaber氏はスイスのチューリッヒ大学助教授で、倫理学・応用倫理学の専門家である。講演は、「胚性幹細胞の研究利用」という、きわめて今日的な倫理的問題に正面から取り組んだものであり、大いに聴衆の関心を刺激した。この問題は、本COE代表者である島薗進先生も公的な形で関わり、発言されている主題である。幹細胞研究は、一方で、再生医療という大きな夢を促進する研究と捉えられつつも、他方で、研究自体の倫理的問題性もあり、そしてクローン人間を作る技術と紙一重であることから、クローン人間をなし崩しに容認する道筋を作ってしまうのではないか、という懸念ももたれている。いずれにせよ、私たち日本人にとってもきわめて切迫した課題であるといわなければならない。

Schaber氏は、幹細胞の研究利用に対する反対論を一つずつ取り上げ、それを検討する、という形で議論を進めた。胚性幹細胞を研究目的に使ってはならないとする議論として、胚と成人した人間とは同一人物であるとする「同一性議論」、胚は潜在的人格であるとする「潜在性議論」、胚を含むすべての形態の人類は尊厳性を持つとする「尊厳性に基づく議論」、を取り上げ、Schaber氏は、最終的にこのいずれも論証に成功していないと論じた。そして、胚性幹細胞はそれ固有の価値を持っているし、また研究目的だけのために胚を作ることは、まるで胚を事物のように扱うことになり容認できないし、クローン人間の製作ももとより容認できない、という但し書きをつけながらも、生殖医療における残余の胚性幹細胞を研究に利用することは道徳的に不正とはいえないし、それが必ずクローン人間の製作に結びつくともいえない、という論を展開した。

これだけ刺激的な論点を提起されたので、質疑の時間になると、たくさんの質問が出て、大いに議論は盛り上がった。たとえば、胚が潜在的人格であるとする「潜在性議論」に対して、Schaber氏は、そのことが胚と成人とを道徳的に同様に扱う理由にはならない、としたわけだが、環境問題に関する世代間倫理を考えれば分かるように、まだ人格になっていない潜在的存在者を道徳的に考慮することにおかしな点はないのではないか、という質問が出た。Schaber氏は、これに対し、胚のような「潜在的人格」と未来世代のような「可能的人格」との相違がそこには関わっているのではないか、と答えてくれた。

また、私自身が、「尊厳性に基づく議論」に関して質問した。Schaber氏は、胚は現に人格ではない以上、人格と同じ意味での尊厳性を帰しえない、と論じたが、現に人格として存在していないという点では胚と同じはずの「死者」に対しては、私たちは尊厳性を帰すことがあるではないか、という質問である。Schaber氏は、死者は、胚と違って、歴史をもつので、扱いが異なるのだ、と応じてくれた。

まだまだ論ずべき問題が山積みされているが、そのことを大いに自覚化してくれたという点で、Schaber氏の講演は実に有意義であった。講演後の懇親会も続きの質問で大いに盛り上がり、COEの活動も本格的な軌道に乗ってきたと実感した次第である。

(事業推進担当者・一ノ瀬正樹)

シンポジウムの様子 シンポジウムの様子

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