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Webコンテンツ番号 134 画像の名称 集合写真(7号竪穴東壁の前にて) 撮影年 昭和22年 画像の解説 7号竪穴の東壁の前で撮影された集合写真。前列右より、中島寿雄、駒井和愛、斉藤忠、名取武光、大場利夫。後列右より、中川成夫、小林知生、米村喜男衛、(不詳)、伊藤昌一、井口大介、田辺義一。なお、『下巻』と『モヨロ貝塚』によれば、この年の調査にはほかに松野正彦が加わっていたとされているので、不詳の人物は松野である可能性が高い。 名取が手にしている土器は、No.28の7号竪穴出土土器とみられる。なお、人物の特定においては、『琅玕』(駒井和愛著、駒井和愛博士記念会、1977年)の口絵に掲載されている、同時期のモヨロ貝塚にて撮影された集合写真を参照した。 紙焼き記載の注記 No.12 紀念撮影 竪穴第七号東壁前ニテ 報告書等の図版番号 アルバム通し番号 106 箱番号 11-3 D番号 D-101 -
Webコンテンツ番号 138 画像の名称 集合写真(地元の方々と) 撮影年 昭和23年? 画像の解説 民家を背に、地元の方々とみられる家族?と一緒に撮影された集合写真。背後に積まれた魚箱とみられる木箱や、森の様子から見て、モヨロ貝塚の近隣で撮影されたものとみられる。人物構成からすると撮影年は昭和23年の可能性が高い。前列右より、名取武光、駒井和愛、(女児A)、小林知生、(男児A)、斉藤忠。後列右より、関野雄、鈴木八司?、(女性A)、(男性A)、(女性B)、(女性Cと乳幼児)。男性Aと女性AはNo.139でも一緒に撮影されている。 紙焼き記載の注記 報告書等の図版番号 アルバム通し番号 42 箱番号 2-2 D番号 D-70 -
Webコンテンツ番号 139 画像の名称 集合写真(地元の方々と) 撮影年 昭和23年または26年? 画像の解説 民家を背に、地元の方々とみられる家族?と一緒に撮影された集合写真。No.138と同じ人物(同写真の男性Aと女性A)が含まれることから、同じ民家の前で撮影されたものとみられる。撮影年は不明だが、人物構成からすると昭和23年、もしくは26年とみられる。前列右より、(女性D)、(女児B)、(No.138の女性A)、(男児B)、(女性E)、(No.138の男性A)、駒井和愛、斉藤忠。後列右より、曽野寿彦?、(不詳A)、中川成夫?、桜井清彦、田中一郎?、杉勇?、(不詳B)、市川健二郎?。不詳Bの人物は東大の学帽を被っており、東大生とみられる。No.138の女児Aとこの女児B、同男児Aと男児Bは同一人物の可能性がある。 紙焼き記載の注記 報告書等の図版番号 アルバム通し番号 184 箱番号 5-1 D番号 D-131 -
Webコンテンツ番号 140 画像の名称 調査風景と人物写真 撮影年 昭和23年または26年? 画像の解説 調査中に撮影されたとみられる人物写真。後列の2名は、服装等から見てNo,139の後列にいる人物2名(杉勇?と田中一郎?)と同一とみられる。よって、撮影年は昭和23年または26年とみられる。撮影場所は、サブトレンチが見える点からするといずれかの竪穴のようにも思われるが、周囲の風景は竪穴周辺とは異なるようである。よって貝塚トレンチの可能性もあるが、いずれにしても不明である。人物は、前列は右より、米村喜男衛、斉藤忠、名取武光、(不詳)。後列は右から田中一郎?、杉勇?とみられる。 紙焼き記載の注記 報告書等の図版番号 アルバム通し番号 118 箱番号 10-1 D番号 D-106