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6:昭和26年度第三次調査
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Webコンテンツ番号
109
画像の名称
15号竪穴の窪み?
撮影年
昭和26年?
画像の解説
15号竪穴の全景とされる。15号竪穴は第三次発掘の対象にはなっておらず、未調査のはずであるが、写真では窪みの中の表土が削られているようにも見える。この点において、この写真を15号竪穴とするのは多少の疑問が残る。
紙焼き記載の注記
15号竪穴全景
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
121
箱番号
10-4
D番号
D-108
Webコンテンツ番号
110
画像の名称
17号竪穴? 発掘前全景
撮影年
昭和26年
画像の解説
竪穴の窪みを撮影したもので、窪みとその周囲の表土が剥がされている点からすると、第三次発掘の対象となった竪穴とみられる。19号?(No.111)・21号?(No.112)・24号(No.124)の写真は存在しており、それらとは異なっているので、この竪穴は17号竪穴である可能性が考えられる。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
120
箱番号
10-3
D番号
D-107
Webコンテンツ番号
111
画像の名称
18号竪穴の窪み? 19号竪穴? 発掘前全景
撮影年
昭和26年
画像の解説
注記では18号竪穴・19号竪穴の全景とされる。写真左側の、ポールが立てられている窪みが18号竪穴で、その右隣の、スコップが立てられている窪みが第三次調査の対象となった19号竪穴と考えられるが、確定はできない。19号竪穴の調査直前に撮影されたものであろうか。
紙焼き記載の注記
18, 19, 号 竪穴全景
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
194
箱番号
5-11
D番号
D-139
Webコンテンツ番号
112
画像の名称
21号竪穴? 発掘前全景
撮影年
昭和26年
画像の解説
第三次発掘の対象となった竪穴の窪みを撮影したものとみられる。24号竪穴の写真(No.124)と対比すると、その写真で24号竪穴の奥に位置している窪みが、この竪穴に相当するとみられる。そうであるならば、この竪穴は21号竪穴の可能性が高い。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
122
箱番号
10-5
D番号
D-109
Webコンテンツ番号
113
画像の名称
19号竪穴? 火山灰面
撮影年
昭和26年
画像の解説
注記では19号竪穴の火山灰面とされる。しかし、『下巻』別篇p.66によれば、19号竪穴では窪みを覆うような火山灰層は認められなかったとされており、注記の記載には疑問が残る。
紙焼き記載の注記
19号 火山灰面 モヨロ
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
123
箱番号
10-6
D番号
D-110
Webコンテンツ番号
114
画像の名称
19号竪穴 炉址
撮影年
昭和26年
画像の解説
北方向から撮影。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
125
箱番号
10-8
D番号
D-112
Webコンテンツ番号
115
画像の名称
19号竪穴 炉址及び土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
東方向から撮影。
紙焼き記載の注記
19号竪穴 炉と縄文土器 モヨロ
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
124
箱番号
10-7
D番号
D-111
Webコンテンツ番号
116
画像の名称
19号竪穴 炉址及び土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
北方向から撮影。
紙焼き記載の注記
十九号竪穴 炉址と土器 モヨロ
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
188
箱番号
5-5
D番号
D-135
Webコンテンツ番号
117
画像の名称
19号竪穴 炉址
撮影年
昭和26年
画像の解説
南方向から撮影。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
189
箱番号
5-6
D番号
D-136
Webコンテンツ番号
118
画像の名称
19号竪穴 土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
No.115の近景である。竪穴に伴うもので、『下巻』別篇p.71 Fig.9-5の宇津内Ⅱa式土器である。
紙焼き記載の注記
十九号竪穴内出土土器
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
190
箱番号
5-7
D番号
D-137
Webコンテンツ番号
119
画像の名称
21号竪穴埋土 礫集中とオホーツク土器
撮影年
昭和26年
画像の解説
21号竪穴の埋土中、表土下15cmの深さの第一層で検出された礫の集中と、それに伴うとみられるオホーツク土器である。No.120に同じ層で検出されたとみられる別の礫集中が記録されているが、両者の前後関係等は不明である。土器は『下巻』別篇p.67 Fig.4-1〜4のいずれかに該当するとみられる。
紙焼き記載の注記
8 21号出土 オホーツク式土器 モヨロ
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
159
箱番号
7-4
D番号
D-116
Webコンテンツ番号
120
画像の名称
21号竪穴埋土 礫集中とオホーツク土器検出状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
21号竪穴の埋土中、表土下15cmの深さの第一層で検出された礫の集中と、それに伴うとみられるオホーツク土器である。No.119に同じ層で記録されたとみられる別の礫集中が撮影されているが、両者の前後関係等は不明である。土器は『下巻』別篇p.67 Fig.4-2及び4に該当するとみられる。
紙焼き記載の注記
7. 21号竪穴出土 オホーツク式土器並に石組み
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
198
箱番号
5-15
D番号
D-141
Webコンテンツ番号
121
画像の名称
21号竪穴 土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
注記では、21号竪穴の壁際から出土した土器を撮影したものとされる。写真右側の、壁沿いに位置する土器は後北C
2
・D式とみられるが、『下巻』には該当する土器は掲載されていない。
紙焼き記載の注記
9 21号出土土器 壁の部分 モヨロ
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
162
箱番号
7-7
D番号
D-118
Webコンテンツ番号
122
画像の名称
21号竪穴 北壁 土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
注記では、21号竪穴の北壁付近で出土した土器を撮影したものとされる。土器は『下巻』別篇p.67 Fig.4-5に該当するもので、竪穴内の第二層から出土した宇津内Ⅱa式である。
紙焼き記載の注記
21号出土 北壁出土
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
126
箱番号
10-9
D番号
D-113
Webコンテンツ番号
123
画像の名称
21号竪穴 砥石出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
21号竪穴の第三層の住居跡の壁面付近から出土した砥石。『下巻』別篇p.68 Fig.6に該当する。『下巻』PL.74-1に別の構図の写真が掲載されている。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
187
箱番号
5-4
D番号
D-134
Webコンテンツ番号
124
画像の名称
24号竪穴 発掘前全景
撮影年
昭和26年
画像の解説
24号竪穴の窪みの様子。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』PL.73-1
アルバム通し番号
185
箱番号
5-2
D番号
D-132
Webコンテンツ番号
125
画像の名称
24号竪穴 土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
注記に記載された略図によると、出土位置は竪穴の中央からやや南西よりの位置、『下巻』別篇p.70 Fig.8平面図の「B」区から出土したとされる。土器は『下巻』別篇p.71 Fig.9-3の続縄文初頭の土器に該当する。
紙焼き記載の注記
24号出土土器 モヨロ(出土位置の略図あり)
報告書等の図版番号
『下巻』PL.73-2
アルバム通し番号
186
箱番号
5-3
D番号
D-133
Webコンテンツ番号
126
画像の名称
24号竪穴 土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
土器は『下巻』別篇p.71 Fig.9-1の続縄文初頭の土器に該当する。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
160
箱番号
7-5
D番号
D-117
Webコンテンツ番号
127
画像の名称
24号竪穴 北西壁 土器出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
注記によれば、24号竪穴の「北西壁」で出土したとされる。土器は『下巻』別篇p.71 Fig.9-2の続縄文初頭の土器に該当するとみられる。
紙焼き記載の注記
6. 24号 北西壁 出土土器
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
197
箱番号
5-14
D番号
D-140
Webコンテンツ番号
128
画像の名称
第三次発掘第1号墓
撮影年
昭和26年
画像の解説
第三次発掘Aトレンチの南端部で検出されたオホーツク文化の墓。被甕土器は貼付文系土器。墓坑内の、被甕土器の反対側(写真左側)には土器の底部とみられる遺物が認められるが、これが墓に伴うか否かは不明である。蕨手刀が副葬されていたとされるが、写真では確認できない。『下巻』別篇p.73 Fig.12はこの写真をトリミングしたものとみられる。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.73 Fig.12
アルバム通し番号
156
箱番号
D番号
D-44
Webコンテンツ番号
129
画像の名称
第三次発掘第1号墓 被甕土器
撮影年
昭和26年
画像の解説
No.128の被甕土器の近景。この土器は『下巻』別篇p.73 Fig.15-3に該当する。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
155
箱番号
7-2
D番号
D-114
Webコンテンツ番号
130
画像の名称
第三次発掘第1号墓
撮影年
昭和26年
画像の解説
No.128の被甕土器を取り上げ、人骨を検出した状態。『下巻』別篇p.74では、人骨の遺存状況は極めて悪く、痕跡をとどめるに過ぎないと報告されている。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
157
箱番号
7-3
D番号
D-115
Webコンテンツ番号
131
画像の名称
第三次発掘第2号墓
撮影年
昭和26年
画像の解説
第三次発掘Bトレンチで検出されたオホーツク文化の墓。被甕土器(刻文系土器)を取り上げた状態の写真とみられ、遺体の痕跡とともに、副葬品の石鏃が遺体の頭部・胸部・脚部で出土している状況が確認できる。遺体の頚部で出土したとされる蕨手刀は写真では確認できない。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.73 Fig.13
アルバム通し番号
158
箱番号
D番号
D-45
Webコンテンツ番号
132
画像の名称
第三次発掘第3号墓 上部の土器
撮影年
昭和26年
画像の解説
第三次発掘Bトレンチで検出されたオホーツク文化の墓。墓の上部で被甕土器が検出された状態の写真である。被甕土器のほかに、その周辺で宇津内Ⅱa式土器や後北C
2
・D式土器が出土した様子が写っている。被甕土器は『下巻』別篇p.73 Fig.15-2に該当する無文土器で、熊木編年(2018)では刻文期後半もしくはそれ以降に相当するとみられる。
紙焼き記載の注記
BT内出土 3号墓上 土器
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
71
箱番号
12-5
D番号
D-85
Webコンテンツ番号
133
画像の名称
第三次発掘第3号墓 蕨手刀?出土状況
撮影年
昭和26年
画像の解説
No.132の被甕土器を取り上げた状態の写真とみられる。写真手前に、鉄刀が折り曲げられた状態で副葬されていた様子が確認できる。この刀は、『下巻』別篇p.75や注記では「蕨手刀」とされているが、写真を見る限りでは「曲手刀」のように見える。
紙焼き記載の注記
第三号 頭部の下から出土した蕨手刀 曲折した重ったもの
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
193
箱番号
5-10
D番号
D-138
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