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2:オホーツク文化7号竪穴
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Webコンテンツ番号
5
画像の名称
7号竪穴 発掘前の遠景
撮影年
昭和22年
画像の解説
竪穴の窪みの遠景。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
68
箱番号
12-3
D番号
D-83
Webコンテンツ番号
6
画像の名称
7号竪穴 発掘時の遠景と10号竪穴
撮影年
昭和22年
画像の解説
画面中央が10号竪穴の窪み、左手が7号竪穴。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
66
箱番号
12-1
D番号
D-81
Webコンテンツ番号
7
画像の名称
7号竪穴 サブトレンチ
撮影年
昭和22年
画像の解説
竪穴の窪み内に十字にサブトレンチを設定し、掘り下げているところ。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
110
箱番号
11-4
D番号
D-104
Webコンテンツ番号
8
画像の名称
7号竪穴 全景
撮影年
昭和22年
画像の解説
西方向から撮影。右手が開口部側。No.9・No.10とほぼ同じ写真。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.13 Fig.8、 『モヨロ遺跡と考古学』第一図、 『北辺の海の民』図20上右
アルバム通し番号
174
箱番号
8-3
D番号
D-124
Webコンテンツ番号
9
画像の名称
7号竪穴 全景
撮影年
昭和22年
画像の解説
西方向から撮影。右手が開口部側。No.8・No.10とほぼ同じ写真。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
47
箱番号
D番号
D-12
Webコンテンツ番号
10
画像の名称
7号竪穴 全景
撮影年
昭和22年
画像の解説
西方向から撮影。右手が開口部側。No.8・No.9とほぼ同じ写真。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
79
箱番号
D番号
D-24
Webコンテンツ番号
11
画像の名称
7号竪穴 全景
撮影年
昭和22年
画像の解説
北方向から撮影。手前が貼床上の骨塚、左奥が開口部側。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.13 Fig.9、 『北辺の海の民』図20下
アルバム通し番号
70
箱番号
D番号
D-31
Webコンテンツ番号
12
画像の名称
7号竪穴 全景
撮影年
昭和22年
画像の解説
北西方向から撮影。手前が貼床上の骨塚、右奥が開口部側。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
40
箱番号
9-13
D番号
D-68
Webコンテンツ番号
13
画像の名称
7号竪穴 全景
撮影年
昭和22年
画像の解説
北西方向から撮影。手前が貼床上の骨塚、奥が開口部側。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
182
箱番号
8-11
D番号
D-129
Webコンテンツ番号
14
画像の名称
7号竪穴 炉址・貼床上の骨塚・奥壁の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
南方向から撮影。手前が炉址、その奥側に貼床上の骨塚、さらに奥の壁際に奥壁の骨塚。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
69
箱番号
12-4
D番号
D-84
Webコンテンツ番号
15
画像の名称
7号竪穴 炉址・貼床上の骨塚・奥壁の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
南方向から撮影。手前が炉址、その奥側に貼床上の骨塚、さらに奥の壁際に奥壁の骨塚。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『モヨロ貝塚』附図第三
アルバム通し番号
6
箱番号
1-3
D番号
D-52
Webコンテンツ番号
16
画像の名称
7号竪穴 炉址
撮影年
昭和22年
画像の解説
南東方向から撮影。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
9
箱番号
1-4
D番号
D-53
Webコンテンツ番号
17
画像の名称
7号竪穴 炉址
撮影年
昭和22年
画像の解説
南東方向から撮影。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.14 Fig.10、 『モヨロ遺跡と考古学』第二図、 『北辺の海の民』図20中
アルバム通し番号
80
箱番号
D番号
D-25
Webコンテンツ番号
18
画像の名称
7号竪穴 奥壁の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
南方向から撮影。クマの頭骨が東を向いて配列されている。『下巻』によると頭骨は9個とされる。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.15 Fig.12、 『モヨロ遺跡と考古学』第三図
アルバム通し番号
170
箱番号
D番号
D-50
Webコンテンツ番号
19
画像の名称
7号竪穴 貼床上の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
南方向から撮影。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
5
箱番号
D番号
D-02
Webコンテンツ番号
20
画像の名称
7号竪穴 貼床上の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
撮影方向は特定できないが、おそらく南西方向からの撮影。クマとシカの頭骨が積み重ねられている。奥壁の骨塚ではなく、貼床上の骨塚と考えられる。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
『下巻』別篇p.14 Fig.11、 『モヨロ貝塚資料集』図版九-1、 『北辺の海の民』図20上左
アルバム通し番号
169
箱番号
D番号
D-49
Webコンテンツ番号
21
画像の名称
7号竪穴 貼床上の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
貼床上の骨塚内における土器、動物骨等の出土状況。No.22に別の構図の写真。
紙焼き記載の注記
モヨロ No.7 竪穴第七号出土 熊頭骨.土器片.石器等
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
23
箱番号
3-7
D番号
D-58
Webコンテンツ番号
22
画像の名称
7号竪穴 貼床上の骨塚
撮影年
昭和22年
画像の解説
貼床上の骨塚内における土器、動物骨等の出土状況。No.21に別の構図の写真。
紙焼き記載の注記
No.6 竪穴第七号出土 熊頭骨
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
24
箱番号
3-8
D番号
D-59
Webコンテンツ番号
23
画像の名称
7号竪穴 炉址・開口部側の石積み
撮影年
昭和22年
画像の解説
西方向から撮影。左手前が炉址、右側が開口部側の石積み。石積みの中にはクマの四肢骨からなる骨塚がある。
紙焼き記載の注記
同一ではないが近い構図の紙焼きあり。その注記は「No.65 竪穴南壁下部 石積(2枚ノ中 1)」
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
179
箱番号
8-8
D番号
D-127
Webコンテンツ番号
24
画像の名称
7号竪穴 炉址・開口部側の石積みと、石積み内から出土したクマの四肢骨
撮影年
昭和22年
画像の解説
北方向から撮影。右手前が炉址、左奥が開口部側の石積み。石積みの石が外されて画面右奥に積まれているとみられる。石積み内から出土したクマの四肢骨が見える。
紙焼き記載の注記
No.57 竪穴南壁下ノ熊ノ骨
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
11
箱番号
1-6
D番号
D-55
Webコンテンツ番号
25
画像の名称
7号竪穴 開口部側の石積み内から出土したクマの四肢骨
撮影年
昭和22年
画像の解説
No.24の近景。
紙焼き記載の注記
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
88
箱番号
13-5
D番号
D-88
Webコンテンツ番号
26
画像の名称
7号竪穴 開口部壁際 柱穴
撮影年
昭和22年
画像の解説
開口部側の石積み部分で検出された柱穴。
紙焼き記載の注記
No.66 竪穴南壁下部(柱穴三個見ユ)(2枚ノ中2)
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
82
箱番号
13-3
D番号
D-87
Webコンテンツ番号
27
画像の名称
7号竪穴? 東壁下部 柱穴
撮影年
昭和22年
画像の解説
紙焼きにあった注記からすると、7号竪穴の「東壁下部」で検出された柱穴とみられるが、7号竪穴のものか否かを含め、詳細な位置等は不明。
紙焼き記載の注記
No.64 竪穴東壁下部 ⑦
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
81
箱番号
13-2
D番号
D-86
Webコンテンツ番号
28
画像の名称
7号竪穴 東北隅 土器出土状況
撮影年
昭和22年
画像の解説
7号竪穴の「東北偶」から出土したとされるオホーツク刻文系土器の出土状況。この土器については、『モヨロ遺跡と考古学』p.122、『モヨロ貝塚出土のオホーツク式土器』p.215に出土状況の記載がある。倒立し、穿孔土器である点からすると副葬(被甕)土器の可能性も考えられるが、上記文献では副葬土器ではないとされている。
紙焼き記載の注記
No.11 竪穴第七号東北偶出土土器 高30糎 口径26 底径10 ⑧
報告書等の図版番号
アルバム通し番号
177
箱番号
8-6
D番号
D-125
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