■古典サンスクリット語

ヴェーダ語がさまざまの變容を蒙るにつれ、簡素化の傾向を辿っていったものと考えられます。アーリヤ人の分布した北印度にはさまざまな方言が成立していったことも想像に難くありません。紀元前四五世紀頃、文法学者パーニニは西北印度のかれの故郷の教養人士が用ゐてゐた言語を基礎にして、八章から成る名高い文法書を著しました。このパーニニ文典は、その後印度の学者・詩人・宮廷人等がサンスクリット語で著述をするときの規範となりました。このパーニニ文典に遵って著されたとされる典籍の言語を古典サンスクリット語と呼ぶことがあります。もっとも古典サンスクリット典籍のすべてがパーニニ文典の細則に遵って著されてゐるかといえば、若干疑問の餘地があります。それぞれの詩人や学者のパーニニ文典遵守の度合には差があるとみてよいでせう。日本でサンスクリット語を学習する場合は、通常このいはゆる古典サンスクリット語から始めます。しかし最初から難解なパーニニ文典と取り組むわけではありません。
 古典サンスクリット語典籍はまことに多岐に亙ってゐますが、主要分野としてはおほむね次のやうなものがあげられます。

 一、カーヴィヤといはれる美文藝作品
これには名高い詩人カーリダーサの叙事詩や戲曲が含まれます。ほかに、アシュヴァゴーシャ、ヴィシャーカダッタ、バヴァブーティ、ハルシャ、バッタナーラヤナなど數多の秀れたカーヴィヤ作者の名をあげることができます。
 二、説話集
説話集にはプラークリット語で著されたものもありますが、名高い大説話集カターサリットサーガなどは格調高い古典サンスクリット語で著されてゐます。ほかに有名なサンスクリット語説話集としてパンチャタントラや鸚鵡七十話、ヴィクラマアンカチャリタなどがあります。
 三、ヒンドゥー系哲学書
サーンキャ派、ヨーガ派、ヴァイシェーシカ派、ニヤーヤ派、ミーマーンサー派、ヴェーダーンタ派などの重要な哲学派の典籍は ほとんどすべて古典サンスクリット語で著されてゐます。またヒンドゥー教徒のみでなく、佛教徒やジャイナ教徒が哲学書を著すときも、古典サンスクリット語によることが多かったのです。
 四、法典等
古代印度人は、性愛(カーマ)、實利(アルタ)、法(ダルマ)を人生の三大目的と考へましたが、三大分野それぞれの基本典籍として、ヴァーツヤーヤナのカーマスートラ、カウティリヤのアルタシャーストラおよびマヌスムリティなどが知られてゐます。これらの典籍も古典サンスクリット語で著されてゐると言ってよいでせう。ただしマヌ法典の言語には叙事詩サンスクリット的なところがあります。
 五、個別分野の学術書
印度では、文法学・詩論学、天文学、數学、占星術、醫学等さまざまな学術がきはめて高度な発達を遂げましたが、これら諸分野の典籍の多くも古典サンスクリット語で著されてゐます。

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