総合テーマ「宗教―相克と平和」
総合テーマ「相克と平和」は、現代世界で著しく重要性を増している問題の一つであり、今日の学問世界で広い議論の対象となっているテーマとしてこれを掲げました。宗教学者は、相克と平和という問題群にかんして諸宗教ないし宗教的伝統がさまざまなかたちで果たしている役割を多様な視点から分析することで、この論題に大きな寄与をなすことができるでしょう。この総合テーマは、現代の諸宗教だけでなく、過去の諸宗教にもあてはまるものです。歴史学、社会学、人類学、心理学、文献研究、図像研究、哲学、その他さまざまな方法によるアプローチは、いずれもこのテーマに対して寄与するところをもっているはずです。

この総合テーマは、まず、宗教と権力の問題に関わります。宗教と権力をめぐるさまざまな相克のなかで人は生きていますが、それによって社会的に安定した関係を保ってもいるでしょう。多数派と少数派、主流派と逸脱派、体制派と革新派、男性と女性、「私たち」と「彼ら」等々がそれです。このテーマは、宗教がこれらの対立項にたいしてもつ関係の解明を目指します。宗教は、社会や文化の構成要因とみることができるからです。近年では、宗教は社会的、文化的な構築物であると主張する人々もいます。宗教はまた、目に見えるかたちでであれ見えないかたちであれ、政治権力とも結びついています。この点も研究の重要な視点の一つとなるでしょう。

宗教は、社会的、政治的、あるいは民族的なアイデンティティの標識として、人々の心や社会秩序の安定に寄与するでしょう。しかし、こうしたアイデンティティの標識が、さまざまな相克を生み出すこともあります。宗教がいつも集団間の暴力的相克の原因となり、それを促進するとは限りません。宗教、あるいは宗教的イデオロギーが、社会的暴力の抑制に役立つこともあります。冷戦時代には、宗教は平和と安定に寄与するものという考え方が強くありました。しかしここ数十年を見ると、宗教こそが文明間の相克を増幅していると見られる事例が増え、宗教の秩序破壊的側面への懸念が増大しています。なればこそ、文明間の対話によって、相克を和解へもたらす期待も高まっているのです。

宗教は、ジェンダー、世代、階級、その他の社会集団間の関係に規律を与えることで、弱者を抑圧する言説に力を貸すことがあります。一方では、ジェンダーや社会集団間の理想的関係を説き、理想社会のモデルを提供することもできます。宗教は、政治的な意味でも実存的な意味でも、自由を実現する手だてとなることができます。暴力、政治的抑圧、貧困の増大は、それに苦しむ人々によりよい未来像を提示する新しい宗教運動の発生を促すこともありますが、そうした運動自体がまた新たな相克の原因ともなることもあるでしょう。

各宗教はそれぞれに、平和や解放という勝利を得た神格や、半神的存在や、模範的人格の姿を伝えてきました。その一方で、たがいに戦いを絶やすことなく、天上にもまた地上にも、不信や悲惨をくりひろげてやまない神々の姿もあります。それは、そうした神々を崇敬する人類の鏡像なのかもしれません。結局神々とは、死すべき人間たちの平和と調和に、あるいは暴力と憎しみに、究極的な根拠を与えるものともいえましょう。宗教的指導者は、熱狂や混乱を引き起こし、破滅的な事態の呼び水となることもありますが、また世に平和をもたらす者となることもあるでしょう。

本大会は、以上のような諸問題をめぐる私たちの知識と理解が深まることをめざして、これらの問題に取り組みます。活発な学問的討議が行われ、それをつうじて、歴史上の、また現代の宗教がどのように相克と平和に関わってきたか、いまも関わっているかが明らかにされることを期待します。そうした諸現象の考察はまた、宗教理論や宗教研究の方法論をめぐる新たな反省を要求することにもなるでしょう。

本大会の総合テーマに関連するあらゆる分野、あらゆる視点からの研究発表を歓迎します。以下に挙げるものは、問題領域の例を仮に示したものにすぎません。

 ・宗教と戦争
 ・宗教と暴力
 ・宗教と迫害
 ・宗教と人権
 ・宗教とアイデンティティ
 ・メディアにおける諸宗教の相克
 ・インターネット上での諸宗教の相克
 ・宗教とグローバリゼーション
 ・宗教と移民
 ・宗教とテロリズム
 ・宗教的ファンダメンタリズム
 ・平和を説く聖典
 ・暴力を説く聖典
 ・戦争の神々と平和の神々
  等々・・・

あらゆる企画、提案を歓迎いたします。





  
1.戦争と平和、その宗教的要因 (The Religious Dimension of War and Peace)
今日、宗教こそが戦争を引き起こす主要な原因だとされることが少なくない。しかしほんとうにそうだろうか。宗教は、平和を実現する手段というより、むしろその妨害者なのか。宗教がどのようにして、どのような意味で、戦争にであれ平和にであれ寄与するのかを考察することは重要な課題である。考察は、思想のレベルでも、歴史的検証としても、なされなければならない。諸宗教は、戦争や平和をどのように意味づけ、価値づけてきたのか。そうした思想を諸宗教は、過去において、また現在において、どのように現実化してきたのか。この長く論じられてきた問いは、二十一世紀初頭という状況下で、新たに検証され、考え直される必要がある。

  
2.技術・生命・死 (Technology, Life, and Death)
宗教は、自然と人間を媒介するシステムとみなすことができる。じっさいに人間は、宗教が作り上げてきた観念や実践のシステムにしたがって、所与の自然環境の中で生き、死んできたのである。しかしそのようなシステムは、それぞれの時代と文化が提供する技術的資源を反映したものとならざるをえない。現代の科学技術と産業の発展は、各地域文化に根ざした従来の宗教的システムを崩壊させるとともに、人間の身体や自然環境、人間および自然の生命と死に関わる多くの困難な問題を生み出している。こうした未曾有の難問に取り組むことは、現代の学者に課された責務である。とりわけ、長い宗教の歴史を振り返りつつ、宗教学的な観点から取り組むべき切実な問題である。

  
3.普遍主義的宗教と地域文化 (Global Religions and Local Cultures)
宗教には、それが誕生した地域や文化の限界を越えて普遍的に広まっていこうとするものもある。と同時に、宗教伝統は特定の地域、文化に深く根ざしてこそ存在する。いわゆる世界宗教も、じっさいには、それぞれの地域文化に根を下ろし、ある意味で土着化するのでなければ、それがもつ普遍主義的理想を現実化することはできない。現代世界においてグローバル化とローカル化が一つに結びついていく過程(「グローカル化」)は、世界宗教と民族宗教、一神教と多神教といった二分法、用語法の再検討を要請している。

  
4.境界と差別 (Boundaries and Segregations)
宗教は、世界を認識する枠組みを提供し、事物や人間を類別し、序列づける。そのさい、「われわれ」と「かれら」、自集団と外部集団、等を境界づけることは、宗教の働きの重要な一部である。しかし今日では、こうした境界づけとそれにともなう差別の形成は、人類普遍の人権という考え方との関係のもとで、その意味が検討されなければならない。じっさいに宗教は、男性と女性をはじめとする人間の類別に重要な意味を認めることがあり、それが差別に根拠を与える結果ともなった。全人類の平等を唱える宗教集団が、一部の人々ないし集団を、人間の範疇を外れる者、人間以下の者と見なして、そうした人間社会の外部者への攻撃を正当化するといったことも起こってきた。このような宗教の機能や側面を、広い視野から問い直すことが求められている。

  
5.宗教研究の方法と宗教理論 (Method and Theory in the Study of Religion)
宗教学にとって方法論の検討はたえず行われるべき課題である。人文社会科学における方法と理論との複雑な相互関係は、この問題についての学問的反省や論争を生んできている。ここ数十年の間に、隣接諸学の影響、その他の要因を受けて、宗教学においても、方法と理論をめぐる問題領域に関して、顕著な変化ないし進展があったように思われる。そうした議論を評価し、継続しつつ、方法論、学問論をめぐる反省と検討をさらに精緻なものとしていく必要があるだろう。このことはさらに、本大会の総合テーマに照らしてみるとき、いっそう重要かつ必要なものとなるだろう。

 宗教と文明間の対話(Religion and Dialogue among Civilizations)

3月24日(木)13:30〜17:30

1.公開シンポジウム「宗教と文明間の対話」

パネリスト(アルファベット順、以下同様):

杜 維明(ハーヴァード大学イェンチン研究所長)
マリア=クララ・ルシェッティ=ビンジェメール(リオ・デ・ジャネイロ・カトリック大学)
ハンス・ファン・ヒンケル(国連大学(本部)学長)
小田 淑子(関西大学)
司会:
島薗 進(東京大学)


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