ひらけ!ゴマ!!

宝物 その2   (2010年10月)

「五階だって?」
文化の機微



渡辺 裕

   ( 【文化資源学研究専攻】形態資料学専門分野 ;
 【思想文化学科】美学芸術学専修課程 )

《「五階だって?」》

紹介する書物


 『歌劇』という雑誌をご存知ですか? 大きな書店には必ず置かれていますので、ご存知の方が多いと思うのですが、宝塚歌劇団の機関誌です。 パラパラめくると、まずトップスターたちを大きく取り上げたグラビアページがあったりして、自分には無縁なディープなファンのための雑誌だと感じてページを閉じられる方も多いかもしれません。

『歌劇』復刻版  宝塚歌劇団は1914(大正3)年の創設ですから、『歌劇』もそれからほどなくして、1918(大正7)年の8月に創刊された大変古い雑誌です。 その『歌劇』の大正期の分について、1997(平成9)年に復刻版が刊行されました。 索引を含めて全18巻という壮大な企画で、当文学部にも所蔵されています。 東大文学部でそんなものをなぜ所蔵しているのかと訝る方も、あるいはおられるかもしれません。 現在の宝塚のマニアックな状況というか、要するに「芸術」の本流からはずれた、一部のディープな人々で成り立っている特殊な世界というイメージからすると、そう思われるのも当然です。

 そもそも、あの雑誌になぜ『歌劇』などというタイトルが付けられているのか、不思議に思ったことはありませんか?  イタリア・オペラやドイツ・オペラといった「本格的」な歌劇を愛好する方が、オペラの専門雑誌だと思ってあの雑誌を手にとり、腰を抜かしたなどということも大いにありそうですから、何でそんなミスリーディングなタイトルをつけたのか、という疑問が生じるのも無理からぬことです。

 しかし、あの雑誌にああいう壮大なタイトルがついていることには理由があります。 簡単に言ってしまえば、宝塚歌劇はそのスタートの時点においては、「本格的」な日本歌劇を打ち立てることを目指していたのです。 ここで重要なことは、「本格的」ということで想定されていたのが、今われわれがそういう言葉で想像するような、ドイツやイタリアの「本場」のオペラに限りなく近いコピーというようなものではなかったということです。 そこで想定されていたのは、日本の伝統的な歌舞劇である歌舞伎を出発点に、その改良によって、世界に通用する日本独特の「歌劇」を編み出すということでした。

 女性が男役を演じることを売りにしているあの宝塚が、「歌舞伎改良」というような方向を目指していたと言われても、なかなかピンとこないかもしれません。 しかし実を言うと、宝塚に今われわれが考えるような男役が登場するのは1932(昭和7)年のことで、初期の宝塚はだいぶ様子が違いました。 もちろん、女性だけということは創設以来変わっていませんから、最初の頃でも男の役を女性がやっていたには違いないのですが、その時代の「男役」は今と違い、低い音域で歌ったり、断髪で男性性を演出したりということは全くなく、お下げ髪のまま演じるのが普通でした。 女子校の学芸会で、男の役をしかたなく女性がやっているというようなイメージが近いかもしれません。そして宝塚では、男性を加入させることによって、より「本格的」な歌劇を目指そうという議論が、その後も何度となくあったのです。

《1921(大正10)年7月の宝塚歌劇公演の際に作られた絵はがき》
1921(大正10)年7月の宝塚歌劇公演の際に作られた絵はがき
 宝塚歌劇団で刊行した『宝塚歌劇五十年史』などを参照して、初期の宝塚歌劇の舞台写真をご覧いただければ、今の宝塚とはだいぶ様子が違うことを実感していただけるでしょう。 また、そこに掲載されている演目リストをみていただければ、《紅葉狩》《お夏笠物狂》をはじめ、歌舞伎などの定番演目が数多く登場していることもわかります。 宝塚には今でも、何だか取って付けたような「日本物」の伝統が残っていますが、こうみると、それが草創期のあり方のかすかな痕跡であることに気づかされるのです。

 それにしても、歌舞伎に洋楽や洋舞を取り入れて「改良」して「本格的」な日本歌劇をうちたてるという発想は、なかなか理解できないかもしれません。 われわれの感覚では、「本格的」といえば、純粋な西洋オペラか、日本の伝統的な歌舞伎であって、歌舞伎を西洋化したなどというキッチュなシロモノが「本格的」とみなされるなどとは、想像もつかないかもしれません。 しかし、「本格的」ということについてわれわれの抱いているそのようなイメージ自体、実は相当に一面的です。二つの文化が出会えば、両者が混じり合って折衷されるのはごく自然な反応であって、事実われわれは、明治以来、西洋の食べ物を取り入れつつもそれに独特の「日本化」をほどこしたり、逆に日本の伝統的な食べ物を「洋風化」したりして、オムライスやカツ丼のような独自の食文化を生み出してきました。 たしかに世の中には、フランス料理店にはいってメニューのフランス語の間違いを指摘し、日本で流布しているフランス料理がまだ「本格的」たりえていないことを力説するような人もないではありませんが、そういう人の方がよほど特殊な観念に凝り固まった人なのではないでしょうか。 何をもって「本格的」と考えるかということ自体、時代によっても、また文化的コンテクストによっても変化するものなのです。

渡辺裕『宝塚歌劇の変容と日本近代』  芸術でも同じことです。西洋文化はとりわけ近代になって、世界各地に広く伝播しました。 このような動きは、世界の多様な文化を西洋一色に塗り込めてしまう「一様化」の動きとして、しばしば否定的に捉えられてきました。 しかしそこでの出会いによって新たな文化がどのように生み出されるかということは、その出会いのタイミングやそれを受け入れる側の個々の事情に応じて、様々に異なります。 それゆえ同じ現象も、考えようによっては、西洋文化がその出会いの数だけ多彩な新しい展開の可能性を見いだした歴史とみることもできるのです。 ここには、文化とは何か、ということを考える上でのキモになるような問題が集約的にあらわれています。 大正期の『歌劇』には、西洋文化という巨大な「異文化」と出会った人々が、そこで取り結ぶ関係についての様々な可能性を試行錯誤し、来るべき新たな時代のあり方に見合った展開へと結びつけてゆこうとした、そんな苦闘の跡が記されており、われわれはそこに、文化が生まれ、また変容する際の様々な機微をよみとることができます。 その意味は今になっても決して失われておらず、むしろ、今のわれわれが見失ってしまった様々なヒントを提供し続けてくれるように思えるのです。



    参考: 渡辺裕『宝塚歌劇の変容と日本近代』、新書館、1999



書き手からのコメント

 以前は、「クラシック音楽」の閉じられた世界での研究が中心だったのですが、「文化研究」のおもしろさに目覚めてからは、目にするものすべてが論文ネタになり、楽しい日々を過ごしております(笑)。
 今は、チンドン屋についての論文を書いているところです。

次回の登場人物
片山 英男   ( 【言語文化学科】西洋古典学専修課程  ; 【欧米系文化研究専攻】西洋古典学専門分野 )
 次は、西洋古典学専門分野の片山英男先生にバトンを渡したいとおもいます。
 私がやっているような軽薄な文化の対極にある、ギリシャ・ローマの古典の奥深い世界の魅力を伝えてくださることでしょう。


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