イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 6:
Contacts, Validity, Documentation:
Historical Research of the Sharia Courts

石黒大岳(九州大学大学院人文科学府)


セッション6は最終日(10月8日)午前中に行われた。発表に先立つ林佳世子氏の挨拶では、1970年代以降シャリーア法廷文書が第一級の史料として用いられ、社会・経済・文化といった研究分野に多大な成果をもたらしてきた一方、文書崇拝主義に対する警鐘も鳴らされているというこれまでの研究状況を押さえた上で、1)比較的研究の進んだオスマン朝とそれ以外の地域・時代とを比較することでムスリム社会におけるシャリーア法廷の機能・役割を再考する、2)法廷文書の史料としての有効性を再確認し、新たな方法論を模索する、という本セッションの趣旨が確認された。それを受けてChristoph WERNER氏の進行の下、以下に挙げる5名の発表がなされた。

1. Donald P. LITTLE, "A Fourteenth-Century Jersalem Court Record of a Divorce Hearing: A Case Study"リトル氏は、まず、自身が発見したハラム・シャリーフ文書群の中から、文献史料に記述のあるシャーフィイー派カーディーSharaf al-Din Abu al-Ruh `Isaの名が記された14世紀末マムルーク朝時代エルサレムの法廷文書を例に挙げ、それらが3つの形式に分類されることを明らかにした。そして各形式:qissa marsum(マザーリム法廷への訴願)、su'al mahdar(被告・証人とのやりとりも記録される一般的な訴願)、da`wa(被告とのやりとりが記録されない訴願)について解説した。その中で氏は、いずれの文書も訴願・証言・裁定が形式ごとに特有の定型文で書かれ、その文面およびそれらを扱う際の手順は15世紀のシャーフィイー派法学者Shams al-Din Muhammad al-Asyuti(d.1475)が著した手引き書Jawahir al-`Uqudの区分と適合することを指摘した。また、文書に他の法学派の書記による署名が見られることから、法廷内に法学派の垣根を越えて人事交流があったことも指摘した。次いで、氏は、3度離婚を宣告された女性が補償を求めて夫を訴えた事案に対し、Sharaf al-Dinが法学派の解釈にとらわれず、mut`a(補償金)とkiswat fasl(被服費)の支払いを夫に命じる裁定を下した例を紹介した。そして、裁定が定型文で語られることでその有効性を保持しつつ、法学派の解釈との違いを覆い隠している点をふまえて、カーディーには自己の意志に基づき裁定を下せる裁量範囲があることを示した。さらにこの事案がda`waの形式で記録されていることに言及し、被告との係争が表面化しないよう、女性の立場に配慮したとの見解を述べた。以上から、本発表では法廷が女性(とくに寡婦)の権利を保護し、生活を支援する役割を担っていたことが明らかにされた。

2. OKAWARA Tomoki, "Marriage Contracts and Documentation in Ottoman Syria"本発表では、まず前半部で、婚姻契約に国家はどう関わっていたのかが論じられた。氏はオスマン朝征服前後からタンズィマート期にかけての婚姻制度を概説し、その中でオスマン朝が、法廷でカーディーのみが婚姻契約を扱うよう制限し、契約に際しては手数料を徴収してizinname(婚姻許可証)を発行して、婚姻の管理を行っていたことを示した。しかし実際には、izinnameはオスマン朝征服直後と家族法や戸籍法が整備された19世紀後半以降のものしかなく、その間はあまり管理が行き届いていなかったとも述べた。この背景として、法廷に婚姻契約を届け出なくとも、とくに不都合は生じなかったからとの見解を示した。後半部では、第一次世界大戦前後のダマスクスにおける、izinnameを基礎資料とした婚姻に関連する数値統計データの提示と解説がなされた。ここで氏は、戦争で人口に占める男性の割合が減った影響で、男性の平均結婚年齢の上昇、婚姻総数の減少、婚資金額の急騰が生じたことや、月別婚姻数が春から初夏に多いというデータがパレスチナ農村の人類学調査の結果と符合すること、結婚相手の地域的選択において、中心部では選択先が他の大都市やヨーロッパまで広がるのに対し、郊外の農村地域では同一村内での婚姻が多いという、都市と農村で傾向が違うことなどを明らかにした。本発表について、法廷の役割については不明瞭であったが、後半でのデータ提示は新たな方法論の可能性を示したものといえる。

3. Brigitte MARINO, "Purchasing Properties in Eighteenth-Century Damascus: The Case of the Azm Family"本発表でマリノ氏は、18世紀にアーヤーンとして台頭したアズム家のうち、ダマスクス総督に任命されたIsmail Pasha(1725-30)と Sulayman Pasha(1734-38,1741-43)が資産を増やし、それを次代へ確実に継承するためにとった手段を明らかにした。氏は不動産売買文書に含まれる、売り手と買い手の名前、価格、日付等の情報に着目し、複数の文書の関連づけから数名の仲介者の存在を見出した。それは例えば、Sulayman Pashaが後見人として子ども達の所有する家を仲介者に売り、同じ日に同じ価格で、彼からそれを自分のものとして買い、さらにはそれを子ども達へのワクフに設定している例や、自分の所有する不動産を仲介者に売り、それを子ども達の代理人として買って、所有権を子ども達へ移している例などで示された。そして氏は、親子の間に第3者が入ることで、所有権の移転が法的により確実なものとなり、遺産相続時における財産分割と政府からの没収も回避できたため、例示した手段がとられていたと説明した。また、所有権がSulayman Pashaにあるとする証言を得るための裁判がなされた例も挙げ、法廷が個人の資産保持を確証する役割を担っていたことを指摘した。なお質疑応答では、イスタンブール中央政界の動向と絡めてアズム家の経済活動を考察する必要性が指摘された。

4. MATSUO Yuriko, "Rumeli sadareti mahkemesi in the Ottoman Legal System: 1543-1590"松尾氏は、16世紀後半、カーディー制度が確立された時期のイスタンブールにおけるRumeli Sadareti Mahkemesiの機能について論じた。Rumeli Sadareti Mahkemesiとは、Divan-i Humayun(御前会議)の一員であるRumeli Kazaskeri(大法官)が統括し、主に支配層とその家族に関わる訴訟を扱う法廷であった。氏は、i`lam(契約等の認証記録)・huccet(カーディーによる裁定の記録)等を史料として、この法廷が、askeri(支配層)にとっては互いの利害を調整し合い、自らの地位と利益を守るため国家と争う場であったこと、一方で国家にとっては、財産没収や職務不履行の告発によってaskeriを統制する場であったことを明らかにした。その上で、この法廷には両者のバランスを保つ機能があることを指摘した。また、氏は、被支配層やズィンミー、女性、奴隷身分の者が、地方法廷が発行した文書を持参して訴願している例にも触れ、この法廷が高等裁判所の役割も果たしていたことを指摘した。なお、質疑応答において、Rumeli Kazaskeriの役割、Rumeli Sadareti MahkemesiとDivan-i Humayunの関係の解明が今後の課題として指摘された。これについて氏は、不明瞭な部分が多いため、具体的に述べることは難しいとの見通しを示した。

5. KONDO Nobuaki, "The Case of Doubled Vaqf: A Study of Qajar Sharia Courts"本発表では、19世紀前半、テヘラン郊外の村において二重に設定されたワクフに関する訴訟から、カージャール朝におけるシャリーア法廷の特徴について論じられた。近藤氏はまず、関連するhukm(裁判記録)から訴訟手順を明らかにした。それは、原告がdivankhanah(法廷)へ訴願し、審理の後mujtahid(法学者)によって発行されたhukmを持ってシャーに訴願すると、シャーの命令という形で裁定が下されるというものであった。次に、hukmが証拠として重視されていたことに触れ、原告がより影響力のあるhukmを得るために国外のmujtahidの許まで赴いた例や、一度下された裁定が新たなhukmにより覆された例等を紹介した。そして氏は、こうしたhukmの分析から、国家は法廷に関与せず、裁判官の任免権を持たないこと、法廷は各々独立し、中央法廷やそれを頂点とした序列構造もないという、カージャール朝におけるシャリーア法廷の特徴を明らかにした。これらの特徴は、オスマン朝のそれと大きく異なるものである。この点において、本発表は今後イスラム世界全体という枠組みでシャリーア法廷を考えるとき、重要な比較研究のための視座を示したものといえる。

セッション最後の総括質疑では、まず、司会者のWERNER氏による総括がなされた。次いで、参加者の中から、わずかな文書しか残っていない時代や文書の公開が制限されている地域を研究するにあたって、文書へのアクセスの困難さをどう解決するか、あるいは訴訟において原告と被告の間で事前交渉が持たれた可能性を明らかにできないか、といった問題が提起された。これらの問題については、史料としての文書の限界性、文書至上主義への警鐘や、文献史料と関連づけて研究することの重要性が改めて確認された。他には、オスマン朝について、その支配地域の中でもアラブ地域と非アラブ地域では法の適用が異なることを考慮して研究する必要性が指摘された。 今回、本セッションにおいてエジプトやマグリブが扱われなかったのは残念であったが、いずれこれらにインド等も含めて同様の研究会が設けられ、いろいろな時代・地域の研究成果と、それらの比較を通じて、新たな知見が得られることを期待したい。


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