第一セッション「Islamism and Secularism in the Contemporary Muslim World」では6人の研究者による発表が行なわれた。まず、以下に発表者と題目を挙げておく。
1)柳橋博之. "Between the classical law and contemporary Legislation in the Arab countries."
2)N. Chandiramani, "Muslim Family Law: Gender Biases."
3)小林寧子. "Official Fatwa and Ummah in Indonesia: The Ajinomoto Case."
4)B. Babadjanov. "Islamc Community in a Non-Islamic State: Viewpoint of `Ulama-Traditionalists and `Ulama-Reformers of the Ferghana Valley Before and After Gaining Independence."
5)澤江史子. "The Reorientation of the Islamists in Turkey: An Analysis of 'Islamist journsls' in the 1990s."
6)F. Burgat氏は、「ムスリム・テロリズム」や「イスラーム原理主義」と表象される活動・組織へのアプローチのあり方について発表した(レジュメなし)。
本報告では、各氏の発表を簡単に紹介し、Chandiramani氏の発表について主に論じる。
柳橋博之氏の発表では、近代シリア家族法の分析をとおして、フィクフの性質が考察されている。具体的には、「嫡出でない子」の認知や、幼児婚などが分析対象となっている。そして、その分析から得られたフィクフの性質は、決して硬直したものではなく、状況に対して柔軟であり、近代シリア家族法を補完するものとして機能しているという。このような性質が維持されている理由として、氏はフィクフと家族法の関係において、法学論争を伴うような重要な法的事項については、その最終的な法判断が下されないままに先送りされ、その時々の社会状況に応じ、柔軟に法的処置が行なわれているためであると指摘した。
Chandiramani氏の発表では、インドのムスリム女性の現状について報告がなされた。インドでは、各宗教がそれぞれの家族法を有し、その適用を受けるのだが、ここでは、インドのムスリム女性がムスリム家族法を適用されることにより、婚姻関係や親権問題、相続問題などにおいて、他宗教の女性に比べて法的に不利な立場にあることが指摘されている。また、それによりインド女性は男性との間にある差別とともに、二重の差別を被っているという。この発表については、後に論じることにしたい。
小林寧子氏の発表では、インドネシアにおける、MUIに代表されるイスラーム諸団体と、宗教の道具的利用をこころみる利用主体との関係・軋轢が紹介されている。具体的な事例では、味の素事件が取り上げられている。
この事例にはその関係・軋轢がよく凝縮・反映されている。また、分析の際には、主にイスラーム諸団体が発令するファトワーとそれに対する反応・議論に焦点が当てられている。
Babadjanov 氏の発表では、イスラーム対セキュラリズムといった対立に目を奪われがちなこのセッションにおいて、独立前後の、中央アジア、フェルガナ地方における、イスラーム内部の軋轢について紹介されている。具体的には、ハナフィー派の流れをくむマートゥリーディー派に従う伝統派ウラマーと、サラフィー的な主張を行なう改革派ウラマーによる論争が取り上げられている。
澤江史子氏の発表では、1980年代以降のトルコにおけるイスラーム主義について、通時的に紹介されている。特に、オザル政権の自由化政策以降に発生した、イスラーム主義運動自体の見直し・変革の意図をもった潮流は興味深い。セキュラリズムが進んだトルコにおけるこのような潮流は、本セッションの主旨である「イスラーム主義とセキュラリズム」について考える上で、意義深いものである。また、この報告で紹介された、イスラーム国家構想も非常に興味深いものであった。
本セッションの最後に行なわれたBurgat氏の発表では、昨今話題の「イスラーム原理主義」に代表されるテロ問題などに対し、分析上どのようなアプローチが有効であるかについて語られた。氏はまず認識論的な諸問題に言及し、その上でイスラーム的な諸運動に対しては、従来のような政治・経済的なアプローチのみでは不充分であると指摘した。そして、これからの研究には、多元的なアプローチが必要であり、特にイスラームの内的論理を考慮した研究が求められると述べた。
以上、各氏の発表を簡単に紹介した。次に、イスラームとセキュラリズムの軋轢・争点が、最も明白なかたちで表れているChandiramani氏の発表について見ていく。
本報告では、氏の発表について考える上で、インドで問題となっているコミュナリズムの問題を考慮に入れた方がよいと考える。その理由は、氏の発表ではムスリム女性が被っている問題を、最終的な世俗法の普遍化によって解決しようとしたため、リベラルなセキュラリズムに立脚した普遍的人権擁護主義(女性の人権擁護)とイスラーム共同体主義 (イスラーム共同体の価値を守る)というふうに、問題がイスラームとセキュラリズムの対立として極度に単純化され表象されてしまっているためである(本発表の質疑応答時に、質問者から本発表はイスラームを理解していないといった主旨の批判がだされたのも、そうした理由からだと考える)。そのため、インドにおけるコミュナリズムの問題を考慮に入れたコンテクストの中に、氏の発表を位置付ける必要がある。それにより、イスラームとセキュラリズムの問題として回収されたことにより生じた単純な二項対立に注目しているだけでは見えてこなかった、氏の報告の全体像が活写されると考える。
コミュナリズムはインドの宗教問題にとって、もっとも重要な問題である。コミュナリズムは宗教共同体至上主義などと訳されるが、説明すれば、自らの宗教を至上のものとする排他的な宗教集団、およびその思想についての呼称である。インドのコミュナリズムを考える場合、コミュナリズムとナショナリズム、セキュラリズム、ポスト・植民地状況との関係が重要であるが、便宜上ここではセキュラリズムとの関係についてごく簡単にふれておく。
セキュラリズムとの関係であるが、インドの近代主義者にとって、コミュナリズムの発生原因は、公の領域への宗教の介入にあると考えられている。そのため、彼らにとって、宗教は私事化されるべきものであり、政教分離が理想とされる。そこで、コミュナリズムを克服するもっとも有効な手段としてセキュラリズムが主張される。以上を前提として、氏の発表を読み直したい。
まず氏の主張の特徴は、ムスリム女性の社会的地位向上を、世俗的な法の理念の下で行なおうとしている点にある。それは、ムスリム女性に対し、「全てのインド国民に等しく適用される世俗主義的な家族法典の制定を要求すべきである」と主張している箇所や、ムスリム家族法を憲法違反であるとの理由で断罪している箇所に如実に顕われている。氏のこのような主張は、近代主義者が行なう、セキュラリズムの徹底によるコミュナリズムの克服といった主張と同様であり、そのため、氏の立場は、リベラリズムに立脚したセキュラリズムの普遍化というかたちをとって、顕われている。氏の主張では、イスラームのコンテクストを考慮した上で解決されるべき、ムスリム女性の社会的地位向上が、コミュナリズムの克服というコンテクストにおける近代主義者の主張と同様の方法で、安易に解決が図られているのである。つまり、氏の究極的な関心はインドの懸案であるコミュナリズムの克服にあり、ムスリム女性の問題をコミュナリズムの克服というコンテクストの延長上で考えてしまっているため、イスラーム的コンテクストが捨象され、「セキュラリズムによるイスラームの断罪」として映ってしまったのである。
しかし、このようなリベラリズムに立脚したセキュラリズムの押し付けは、しばしば現地に適合しない結果を生み出すことを忘れてはならない。なぜなら宗教、特にイスラームは、自らの言語・論理で諸価値・諸概念についての回答を為し得る壮大な知の体系を保持しているからであり、それは世俗的価値観によって周縁的なものに押しやられていない。よって、氏のようなイスラームのコンテクストを軽視したセキュラリズムからの一方的な批判では、軋轢こそ生むがよい結果を生み出さないことは明白である。そのため、問題を解決するには、イスラームの内的論理を視野に入れつつ、「人間とは何か」「女性とは何か」といった根本的な問を考えてみることが必要であろう。
しかし、ここで考慮にいれなければならないのは、イスラーム社会自体に男性中心的な論理が、無意識的かつ意識的に内在化されているといった、イスラーム社会批判である。また、本質主義的にイスラームを実体視し、そこから教条主義的に「イスラームの内的論理」を語ることへの批判もある。このように、イスラームの場合、女性問題をひとつとっても、さまざまなコンテクストが入り混じり、問題が複雑であることがわかる。
では、どのようにすれば問題は解決されるのであろうか。それには、地域性に根ざしたイスラームの実体把握と、そこでの内的論理の発掘を行い、その上で見えてくる、女性の位置や役割を考慮することが必要であろう。そうした営為により、お互いに共通の認識基盤ができて初めて対話が成立し、現状の改善も進むことであろう。
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