第2回研究会報告

 

1999月10月11日(月・祝) 午後1時より   於:京都大学文学部 羽田記念館

題目: 「ワクフの更新――18-19世紀テヘランのワクフ文書より」

報告者: 近藤信彰(東京都立大学)

レジュメ(PDFファイル)

討論要旨:

報告に先立ち、ワクフ文書が3種配付されており、これを基づいて活発な議論がなされた。まず、ワクフ文書やファトワーの書式について、14-15世紀のイランや中央アジア、オスマン朝下の諸地域との比較が試みられた。

 質問が集中したのは、国家が任命したカーディーが存在しないカージャール朝期のイランで、シャリーア関係の文書がいかに作成され、その効力をいかに保証したかについてであった。カージャール朝期のウラマーのあり方が他の地域・時代と大きく違うという点については、かねてより指摘されていたが、シャリーア関係の文書を作成にあたったウラマー、モジュタヘドが、どのような資格を持っていたかについては、即答できず、今後の課題となった。

 報告者の意図は、ワクフ対象のタキーエ(シーア派のアーシューラーの服喪行事を行う施設)とハンマーム等ワクフ財とする同じ物件に関するワクフ文書が、3度に亘って作られたその過程を追うことで、当時のワクフをめぐる法文化のあり方の一端を示すことにあった。この点については、3点の文書の間に、イスティブダール等の文書が存在した可能性が指摘された。

 社会的背景としては、タアズィーエの流行とタキーエの機能、一介の大工が纏まった土地を購入し、ハンマームのような高価な施設を建設した点などが注目をあつめた。

 国際会議の翌日という条件であったが、参加者は20人を数え、盛会であった。お忙しい中参加いただき、貴重なコメントをお寄せくださった方々、そして会場を提供してくださった羽田記念館関係者の方々に感謝いたします。(文責 近藤信彰)

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